2017年11月13日 (月)

東條英機元首相の遺書から極東軍事裁判を読み解く

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http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1784.html
極東国際軍事裁判は、第二次世界大戦で日本が終戦した後の1946年5月3日から1948年11月12日にかけて行われました。連合国が「戦争犯罪人」として指定した日本の指導者などを裁いた一審制の軍事裁判でした。
ねずブロの東條英機元首相の遺書から、どんな裁判であったのかをご紹介いたします。

***

東条英機元首相の遺書はいろいろなところで紹介されているのですが、実はかなり意図的な改ざんが目立つものとなっています。
たとえ総理といえども、他人の遺書を改ざんするなど、もっての他と思うのですが、ほんとうに売国左翼や在日たちの悪意には、ほとほとあきれ果ててしまいます。

たとえば、遺書に「今回の処刑を機として、敵・味方・中立国の国民罹災者の一大追悼慰安会を行われたし。世界平和の精神的礎石としたいのである」という文があります。

東京裁判で、戦犯として処刑されることが決まった元総理が、戦争の責任は、自分たちが全部負って死ぬから、いったん、それはそれで終わりにして、戦争で亡くなられた方々、あるいは被災した方々について、敵味方の区別なく、みんなで追悼会を開催してほしい、というよびかけです。

なぜそれをしようというのかといえば、敵も味方もない、戦争の悲惨をくり返さないために、その世界的一大追悼会を、世界平和の精神的礎石にしてほしい、というお言葉です。

ところが、いろいろなところで紹介されている遺書をみると、肝心の「世界平和の精神的礎石としたいのである」や、「慰安会」が取り払われて、単に、「今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし」とされていたりします。
つまり、なんのために、という東条元首相の熱い気持ちやメッセージが、見事に消されているのです。

あるいは、「再建軍隊の教育は、精神教育を採らなければならぬ。という文があるのですが、これなどは主語が改ざんされて、「教育は、精神教育を採らなければならぬ」にされたりしています。

将来再建する軍について、単に強いばかりの軍を築くのではなく、精神性を大事にせよと言っているのに、主語が変わると、まるで子供達への「教育は精神教育を第一とせよ」と言っている、つまりまるっきり右翼的軍国主義的な主張であるかのごとき誤解を与える文章にされたりしています。

さらにこの文は、軍隊の再建について「忠君愛国を基礎としなければならぬが、(旧陸海軍の一部に)責任観念のないことは淋しさを感じた」とされているのですが、これがまた「責任感をゆるがせにしてはならぬ」と変えられているものが多いようです。

まだあります。この続きとして東条英機元首相の遺書には、軍の責任観念について「大いに米国に学ぶべきである」と書いているのに対し、それが「教育は、大いに米国に学ぶべきである」とすり替えられていたりしています。

この一文は、戦争遂行責任者としての東条英機元首相からみた、陸海軍への感想です。
両軍ともに忠君愛国の念は非常に堅牢なものがあったにもかかわらず、本部命令に現場が背き、進撃すべきものを現場指揮官の判断で勝手に逗留したり、反転したりするような事態が、前線において顕著にみられた、そうすることによって、勝てた戦いが負けに終わってしまったということが、実際、いくつも起こっています。
人を大切にし、人と人とが対等であるという観念の強い日本ですが、軍においては、一部の人のそうした振る舞いが、大勢の命を奪うことになる。
これは軍の総責任者であった東条首相だからこそ言える苦言であろうし、そうであるがゆえに、とても大切な一文であるにもかかわらず、それが単に「教育」という言葉にすり替えられる。
ひどい話です。

東条英機元首相は、昭和23(1948)年12月23日に、東京巣鴨において刑死されました。64歳でした。
東条英機元首相は、明治17年生まれ。陸軍大学を卒業し、陸軍大将となられ、改選前の昭和16(1941)年10月に、勅命をもって内閣総理大臣に就任されています。

処刑後、GHQは、日本の総理大臣だったのだから、きっと隠し財産がいっぱいあるに違いないと、東条英機元首相の青森の実家にまでおしかけ、徹底した家捜しと取り調べをしたそうです。
ところがめぼしい財産など、なにひとつ出て来ない。
当時の日本はとても貧しかったけれど、その貧しい中でも、とびきり貧しいのかと思えるほど、なにひとつ財産らしい財産は、出て来なかったそうです。

先日も書かせていただきましたが、日露戦争くらいまでは、世界の資源エネルギーは石炭だったのです。
それが第一次世界大戦頃から、エネルギーの中心が石油に変わりました。
日本は、石炭は自国内で産出できます。
けれど、日本に石油はありません。
これは、エネルギーの最先端にある軍にとっては、きわめて重大な事態でした。
しかも日本は、その石油の多くを米国から輸入していたのです。

陸海軍の士官学校を卒業された軍の高官たちにとって、このことは致命的ともいえる大問題でした。
ですから東条閣下が開戦前に、米国から石油の輸出を差し止められ、日本が追いつめられたときに、若い部下たちや、メディアから即刻開戦せよ!と迫られ、「石油ごときのために戦争がはじめられるか!」と激怒されたというのは有名な話です。

それでも開戦に踏み切らざるを得なかった。
その決断をした者として、戦後、戦争の全責任を負わざるを得なかった。
そしてそういう東条英機元首相が、地位を利用した自分の財産など毛筋一本残さず、お金のためなどではなく、天下国家のためにその生涯を捧げぬいたというこのことは、私達は、批判ではなく、謙虚に事実を事実として受け止める必要があるのではないかと思います。

その東条英機元首相の遺言状をここに掲載します。
死の直前の文です。
私には、この文が、まさに戦前の日本人の良心の血の叫びのように、聞こえるのですが、みなさんはいかがでしょうか。

~~~~~~~~~~~
【遺言】

開戦当時の責任者として敗戦のあとをみると、実に断腸の思いがする。
今回の刑死は、個人的には慰められておるが、国内的の自らの責任は、死をもって贖(あがな)えるものではない。しかし国際的の犯罪としては、無罪を主張した。いまも同感である。

ただ力の前に屈服した。
自分としては国民に対する責任を負って、満足して刑場に行く。ただこれにつき、同僚に責任を及ぼしたこと、また下級者にまでも刑が及んだことは実に残念である。
天皇陛下に対し、また国民に対しても申し訳ないことで、深く謝罪する。

元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部過ち犯し、世界の誤解を受けたのは遺憾であった。このたびの戦争に従軍して斃れた人、およびこれらの人々の遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。
心から陳謝する。
 
今回の裁判の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ。
もしこれが永久平和のためということであったら、も少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せぬ。
 
天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。
天皇存在の形式については、あえて言わぬ。
存在そのものが絶対に必要なのである。

それは私だけでなく多くの者は同感と思う。
空間や地面のごとき大きな恩は、忘れられぬものである。

東亜の諸民族は今回のことを忘れて、将来相協力すべきものである。
東亜民族もまた他の民族と同様、この天地に生きる権利を有つべきものであって、その有色たることを、むしろ神の恵みとしている。

インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。
これをもって東亜民族の誇りと感じた。
今回の戦争によりて東亜民族の生存の権利が了解せられ始めたのであったら、幸である。
列国も排他的の感情を忘れて、共栄の心持をもって進むべきである。

現在の日本の事実上の統治者である米国人に対して一言するが、どうか日本の米人に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
また、日本人が赤化しないように頼む。

東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにされなければならぬ。
実は東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。
今後、日本は米国の保護の下に生活していくのであらうが、極東の大勢はどうであらうか。

終戦後わずか3年にして、亜細亜大陸赤化の形勢は斯くの如くである。
今後のことを考えれば、実に憂慮にたえぬ。
もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。

今、日本は米国よりの食糧の供給その他の援助につき感謝している。
しかし一般が、もし自己に直接なる生活の困難やインフレや、食糧の不足等が、米軍が日本に在るがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。

実際は、かかる宣伝をなしつつある者があるのである。
よって米軍が、日本人の心を失わぬよう希望する。

今次戦争の指導者たる米英側の指導者は、大きな失敗を犯した。

第一は、日本といふ赤化の防壁を破壊し去ったことである。
第二は、満州を赤化の根拠地たらしめた。
第三は、朝鮮を二分して東亜紛糾の因たらしめた。

米英の指導者は、これを救済する責任を負うて居る。
従ってトルーマン大統領が再選せられたことは、この点に関して有り難いと思ふ。

日本は米国の指導に基づき、武力を全面的に抛棄(ほうき)した。これは賢明であったと思う。
しかし、世界全国家が、全面的に武装を排除するならばよい。
然(しか)らざれば、盗人がばっこする形となる。泥棒がまだいるのに警察をやめるやうなものである。

私は、戦争を根絶するには欲心を取り払わねばならぬと思う。
現に世界各国は、いずれも自国の存在や自衛権の確保を主としている。これはお互いに欲心を抛棄(ほうき)して居らぬ証拠である。

国家から欲心を除くということは、不可能のことである。
されば世界より今後も戦争を除くということは不可能のことである。

これでは結局は人類の自滅に陥るのであるかも判らぬが、事実はこの通りである。それゆえ第3次世界大戦は避けることができない。

第3次世界大戦に於いて主なる立場に立つものは、米国およびソ連である。
日本とドイツというものが取り去られてしまった。

それがため米国とソ連というものが直接に接触することとなった。
米・ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。
この見地からみても、第3次世界大戦は避けることはできぬ。

第3次世界大戦において極東、日本と支那と朝鮮が、その戦場となる。
この時にあって、米国は武力なき日本を守の策を立てなければならぬ。
これは当然米国の責任である。

日本を属領と考えるのであったならば、また何をかいわんや。
そうでなしとすれば、米国は何等かの考えがなければならぬ。

米国は、日本人8千万国民の生きて行ける道を考えてくれねばならない。
およそ生物として、自ら生きる生命は、神の恵みである。
産児制限の如きは神意に反するもので、行うべきでない。

なお言いたきことは、公・教職追放や戦犯容疑者の逮捕の件である。
いまは既に、戦後3年を経過しているのではないか。
従ってこれは速やかに止めてほしい。
日本国民が正業に安心して就くよう、米国は寛容な気持ちをもってもらいたい。

我々の処刑をもって一段落として、戦死病者、戦災死者、ソ連抑留者の遺家族を慰安すること。
戦死者、戦災死者の霊は、遺族の申出あらば、これを靖国神社に合祀せられたし。
出征地に在る戦死者の墓には保護を与えられたし。
従って遺族の希望申出あらば、これを内地へ返還されたし。
戦犯者の家族には保護を与えられたし。

青少年男女の教育は注意を要する。将来大事なことである。
近時、いかがわしき風潮あるは、占領軍の影響からきているものが少なくない。
この点については、我国の古来の美風を保つことが大切である。

今回の処刑を機として、敵・味方・中立国の国民罹災者の一大追悼慰安会を行われたし。
世界平和の精神的礎石としたいのである。

もちろん、日本軍人の一部の間に間違いを犯した者はあらう。
これらについては衷心謝罪する。

これと同時に無差別爆撃の投下による悲惨な結果については、米軍側も大いに同情し憐憫して悔悟あるべきである。

最後に、最後に軍事的問題について一言する。

我国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。
あれでは陸海軍一本の行動は採れない。

兵役制については徴兵制によるか、傭兵制によるかは考えなければならない。
我が国民性に鑑みて、再建軍の際に考慮すべし。

再建軍隊の教育は、精神教育を採らなければならぬ。
忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任観念のないことは淋しさを感じた。
この点については、大いに米国に学ぶべきである。

学校教育は従前の質朴剛健のみでは足らぬ。
人として完成を図る教育が大切だ。
いいかえれば宗教教育である。
欧米の風俗を知らすことも必要である。

俘虜のことについては、研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。

 辞 世

我ゆくも
またこの土地に かへり来ん
国に酬ゆることの足らねば

さらばなり
苔の下にて われ待たん
大和島根に 花薫るとき

散る花も
落つる木の実も 心なき
さそうはただに 嵐のみかは

今ははや
心にかかる 雲もなし
心豊かに 西へぞ急ぐ

~~~~~~~~~~~~~

この遺書を読んで思うのは、次の三つです。

第一に、ひとつの時代を責任者として真剣に生きた人を、後世の平和な日本という環境の中で、裁いたり評価したりするのは間違っている、ということです。
もっと謙虚に、そこから「学ぶ」という姿勢が必要なのではないかと思います。

第二に、東条英機閣下は「戦争犯罪者」ではなく、「戦争責任者」であるということです。
戦争犯罪者というのは、非常に偏った内容を持つ東京裁判史観による一方的な評価でしかありません。

東条英機元首相は、日本国中が「鬼畜米英」と「開戦やむなし!」「ススメ一億火の玉だ!」などといたずらに戦争を煽っている中、昭和天皇から、そのアオリを抑えれるのは東条しかいない、と言われて総理の任命を受けられています。

昭和20年12月8日、日本は真珠湾攻撃を成功させていますが、その翌日の明け方、開戦回避を熱望していた昭和天皇の期待に応えることができなかったと、東条英機首相は、懺悔の念に耐えないと、首相官邸で皇居の方角に向かって号泣したそうです。

そういう経緯があったからこそ、総理の職を辞した時に、昭和天皇から異例の感謝の勅語を贈られているのです。これも有名な話です。

日米が開戦してから、約100日、日本は東南アジアではなく、米国領だったフィリピンや太平洋においても、米陸海軍をことごとく打ち破りました。
まさに破竹の勢いでした。
日本国中が勝った勝ったと沸き立ちました。

ということは、同じころの米国内は、負けた負けたという報道ばかりです。
米国内は、負け戦のたびに失われる米兵の生命で、国内世論が日米開戦に踏み切ったルーズベルト大統領に対して怨嗟の声が満ち溢れる状況となりました。

米国としては、なんとしても日本に一撃を加えなければならない。
そこで行われたのが、ドーリットル空襲です。

これは、陸軍が持っている長距離爆撃機を、海軍の空母から飛ばす。そうすることで、日本の東京や名古屋などの都市を空爆しようというものでした。
一般人への無差別攻撃ですから、これは明らかにハーグ陸戦条約違反です。
その違反を承知で、日本本土空襲を行わなければならない、そんなところまで、当時の米国政府は追いつめられていたのです。

空爆は実施されました。
現実の被害はたいしたことはなく、「ドゥ、リトルだった」と、日本から揶揄される程度のものだったのだけれど、米国内では、開戦後、はじめて日本をやっつけた快挙として、おおいに戦意高揚に寄与しました。

この空爆のとき、撃ち落された米軍機の乗員が日本の捕虜になりました。
一般人を巻き込んでハーグ条約を破って本土攻撃をしたわけです。
これは国際法上は、戦争行為としては本来認められず、民間人大量虐殺の刑事犯です。

日本の参謀本部は、犯人を即刻死刑にすべし!と東条総理に建言しました。
けれど東条総理は、これを許可しませんでした。
現行犯として処断するのではなく、世界中のだれが見ても正当な軍事裁判を行って、ことを処理せよ、と命じています。

ひとついえることは、戦争責任者として、ただしく事を進めようとしても、あるいは人として正しく生きようとしても、相手がそういうことを無視して非道を働くなら、そこでは正義も道理も条理も真実も、全部ないがしろにされてしまう、それが社会の現実だ、ということです。

人の世の正義、人の世の真実は、ときに力による正義や力による支配を望む者たちによって、蹂躙(じゅうりん)されます。
それが世の中の現実です。

けれどそうした現実は、結局は一部の人の幸せと贅沢、多くの人々の貧困と不幸しか招きません。

そういう力による支配や力の正義に、最後の最後まで戦い抜き、そして血の出るような遺書を残されたのが東条英機元首相でもあったわけです。

もちろん、戦争の責任がそれによって帳消しになるものではありません。厳しいことを申上げるようだけれど、責任者というものは、そういうものです。

けれど戦後68年が経ち、開戦から70年が経過したいま、私達は、もういちど冷静になって、真実はどこにあるのかを、先入観や偽造、変造、捏造をとりはらったところで、事実に基づいて冷静に考えてみる必要があるのではないかと思います。

すくなくとも、たとえ相手が著名な学者の先生であろうとも、死を目前にした他人の遺書まで改ざんするような、とんでもない連中のいう事など、いっさい信用するに値しないと思うからです。

2017年6月 7日 (水)

アメーバーブログに移動します♪

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紫陽花の美しい季節になってきました💖

こちらのブログも久しぶりとなってしまいました。

アメーバーブログの方が、動画を貼り付けたり、いろいろがとても簡単にできるので
今後、そちらでねず先生の応援を継続させていただきます。

応援といっても、ねずブロから学んだり、感じたりしたことを
私なりに記録として綴っていくくらいしかできませんけど(^^;)

明日は、ねず先生の百人一首塾にも久しぶりで参加できそうです。

ameblo.jp/inukayh777?frm_id=v.jpameblo&device_id=673f6ec6c82341838239f0c8adc26806

ぜひ、⬆︎のアドレスからご覧くださいませ💖

2017年2月25日 (土)

『ねずさんと語る古事記 壱』が予約開始になりました♪

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『古事記については、これまで部分的にねずブロでご紹介したり、あるいは倭塾で講義をさせていただいたりしてきましたが、やはり「通し」で読んでいくと、ものすごく理解が深まります。』

ねず先生の倭塾講義では、日本の神様は愛によって成長して偉大な神様になっていく、ということを学ばせていただきました。
西洋の神様は、生まれながらに完璧であり、人類創生をなされました。
そこに神と人間の関係があります。
ところが、日本の神様は日本人の元のご先祖様であり、神代からの血筋を現代にまで継承される天皇という有難いご存在が、私たちを神様の世界としっかりと結びつけてくださっているのだ、ということを教えていただきました(^-^)

『この古事記の本は、取り組みを始めてから、出版に至るまでに、まる三年かかりました。
その間、20回以上、原稿をいちから書き直し、その都度、新しい発見や学びをいただきながら、自分としては、最高の内容の本になったと思います』

本当に、苦しまれていらっしゃいましたっけ(・・;)
お尻から根っこが生えるんじゃないの?
古事記なんてもう書くの止めて、百人一首の新作書いた方がいいのでは?
神様に満足していただける内容になるのかしら?
と、たくさん心配になりました。
だけど、神様から選ばれて、書き上げさせていただけて、最高の内容になった!ということは
とても喜ばしいかぎりです💕


『なぜなら古事記は、7世紀の白村江の戦いに破れ、唐と新羅の連合軍に我が国の国土を侵略されかねないという国家の危機にあって、我が国の国家国民としてのアンデンティティを確立するために書かれた書であるからです。
つまりそこには、日本を取り戻すための大きな知恵が、まさに宝物のように連なって書かれています。

私たち現代日本人は、71年前に大きな敗戦を経験し、いま再び「日本を取り戻そう」としています。
では、その取り戻すべき日本というのは、どのような形をしているのか。
実はそのことについて、明確な回答を与えてくれているものは、残念ながらありません。』

なぜ、今、古事記ブームなのか
あちこちで古事記が見直されているのか
⬆︎の部分で、よく理解できます。
日本は長い歴史の中で、敗戦したのは二回しかありません。
白村江の戦いと、大東亜戦争です。
白村江の戦いで、危機を感じた天武天皇の大御心により、古事記は生まれました。
日本を護るための大いなるメッセージが込められているはずです。

その大いなるメッセージを、ねず先生がどのように解き明かしてくださったのか、とても楽しみです。

百人一首も、現代の私たちと何ら変わることのない日本人としての感情を読み解いていただき、歌人たちが、まるで『長年の友』のような錯覚を覚えるほど身近に感じられました。

きっとねず先生の古事記は、神様が私たちと同じように感じたり、愛を生きていらしたことを教えてくださるのではないでしょうか。

3月15日の発売が、とても楽しみです!


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youtu.be/yVdx0wh9LMg

2017年2月12日 (日)

天智天皇と天武天皇と持統天皇について

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2月9日は、ねず先生の百人一首塾でした。
持統天皇についての授業でした。
その時の内容は、今日のねずブロでアップされています。

また、塾生の疑問などに、ねず先生から直接のご返答をいただくことのできるサイトがあるのですが
私の質問に、完璧なお答えをしてくださいました。

ねず先生の了解がありましたので、以下に転載させていただきます。

◆私の質問
昨日は、ありがとうございました。
さて授業の中で、天智天皇が森の中へ姿を消して行方知らずになった!と古事記の中に書かれているというところが、とても気になりました。
これは、ねず先生の古事記からの大発見なのではないでしょうか?

ネット検索すると、天武天皇により暗殺されたのだ、というものが多数検索されました。
もしそうだとすると、娘の持統天皇が父を殺した天武天皇に対して、二番歌のような天武天皇を亡くなった後も恋い慕うはずもないのだから、そのような暗殺などなかったのだ!
というとても強いメッセージの和歌となります。

昨日は、サラリと「天智天皇は森の中へ消えてしまわれました」
でしたが、いつかこの辺りを
持統天皇、天武天皇の和歌をご紹介いただいて、時代背景、ねず先生の読み解きを教えていただいて、また皆様とも意見交換できたら素晴らしいだろうな〜と思いました。

ネットからの検索だけでしか調べていませんが、どうも天智天皇、天武天皇が貶められている意図を感じました。
それは、今上天皇へも繋がっているようなのです。
これは、何とか正しい読み解きで名誉挽回をしないといけません。

またいつの日か、よろしくお願いいたします♪

◆ねず先生のお答え
天智天皇は、中大兄皇子時代に、本当に日本をひとつにまとめるためにたいへんな大鉈(おおなた)を振るわれました。とにかく、支那との交易は儲かるのです。その代わり、多くの命が犠牲になります。このことは今も昔も変わりません。
中大兄皇子は、蘇我入鹿を討ちましたが、蘇我氏の財力は、当時、天皇を凌ぐとさえいわれたのです。そして国内最強の財力を得た蘇我氏は、朝廷を壟断するという挙に出ました。これをそのまま放置しておけば、蘇我氏は堂々と唐に朝貢して日本国王の称号を得、日本を唐の属国としていったことでしょう。

乙巳の変は、まさにこれを防いだ戦いであったし、その後に続く大化の改新における公地公民こそ、まさに民を天皇の「おほみたから」とするという我が国の国是を、そのまま形にしたものであるということができます。

一般に、領主であれば、自分の領土領民を、その上の偉い人のものにしてしまい、さらに税をその上の偉い人に上納することなど、誰も好みますまい。ところが公地公民が豪族の間に広く受け入れられたということは、それ以前に何百年何千年の間、それを当然とする風土が我が国に育っていたということです。大化の改新は、それを蘇我氏のような履き違えた者が出ないように、それを文字にしたというだけのものであると理解すべきなのだと思います。

ところが、あらためて文字にするとなれば、それに抵抗する者もいる。既得権益を奪われると反対する者もいる。これらに対して、情け容赦ない粛清をするということは、これは政治権力の行使であり、そうした権力行使は天皇の役目ではありません。だから中大兄皇子は、みずから進んでその泥をかぶり辣腕を揮われました。

その結果、中大兄皇子は皇位に就かれますが、これはおそらくご本人は希望しなかったと思います。なぜなら、皇位に就くにはあまりに泥をかぶりすぎているという自覚があったからです。

だから御在位、わずか4年にして、お隠れになられています。
反対派(つまり開国朝貢派)の恨みを、我が身一身に集中させ、そして自ら死んだことにすることによって、その恨みの矛先を消してしまう。これは、後年、信長が本能寺で同じことをしています。
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3032.html
持統天皇は、御在位中に、ひんぱんに吉野に行幸されています。
これは異常なほど、多いことです。
おそらく天智天皇は、名前を変え、姿も変えられて、額田王とともに、吉野にお住まいであったのであろうと思います。
ですから何かあれば、吉野の父に、教えを請いに行っていたとするなら、このあたりの辻褄があってきます。

また、巷間、天智天皇と天武天皇が対立していたという構図を描こうとして歴史を解釈する人がいますが、私は、それは間違いだと思っています。
なぜなら、そもそも幕末に英語の翻訳語として「対立」という熟語ができるまで、我が国には対立という概念はなかったからです。


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是非、皆様も百人一首塾にご参加くださいね💕

とても素晴らしい授業です❣️


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2016年10月25日 (火)

百人一首 九十番歌 殷富門院大輔 ミセバヤ

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百人一首の90番歌に、殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)の歌があります。

見せばやな
雄島の海人の袖だにも
濡れにぞ濡れし色は変はらず

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この歌は、古来解釈がむつかしいとされてきた歌です。
「見せばやな」は、「ばや」は願望、「な」は詠嘆の終助詞で「見せたいものだ」
「雄島の海人の」の「雄島」は、宮城県松島にある島のこと、「海人」は漁師、
「袖だにも」は、袖でさえも
「濡れにぞ濡れし」は、同じ語を繰り返して強調する語法、
「色は変はらず」は、漁師の袖の色は変わらないという意味で、「~だにも」の文脈で「私の袖の色が血の涙で変わった」ことを表わします。

このまま通しで現代語訳しますと、
 見せてあげたいものですわ
 雄島の漁師の
 袖でさえ
 海水で濡れに濡れていますが
 色は変わりません
となります。

ここから一般的に流布している現代版の解釈は、「袖が濡れる」ということは、涙を拭いて袖が濡れるということなのですけれど、「海水に濡れた袖の布地の色さえ色が変わらない」というのだから、それは「きっと血涙に相違なく」、殷富門院大輔は、恋に破れて目の下から袖まで、血で真っ赤に染めているのだとしています。
様子を想像してみると、なにやらホラーみたいです。

***

 八十九番 式子内親王
 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば
 忍ぶることの弱りもぞする

まさに、玉の緒の歌です。
そして「ミセバヤ」も、別名が「玉の緒」です。

式子内親王の歌は、「ずっと平和な世を願ってきましたが、世の中が一向に変わらない。もう、耐え忍ぶことにも疲れ果ててしまいましたわ」といった意味の歌です。

そして続く90番の殷富門院大輔の歌は、その「玉の緒が次々と切り離されて三途の川の渡し人の袖まで濡れているであろうくらいなのに、世の中はちっともかわっていないではありませんか。殷富門院さまのおつらい御心をみなさまにも見せてあげたいくらいですわ」と詠んでいるわけです。

殷富門院さまにせよ、それに仕える大輔にせよ、あるいは式子内親王にせよ、ご皇族であり、そのご皇族のスーパー・アシスタントであるわけです。
ご皇族は、権力を必要とする政治には直接は関わりません。
日本における天皇や皇族は、権力よりも上位の権威というお立場です。
その権威が、「たから」としているのが、民衆です。
その民衆の生命が、政治権力の闘争によって、次々と奪われている。
そのことについて、政治家力者に成り代わって天皇やご皇族の方々が、政治権力を行使したら、我が国のカタチは支那と同じ皇帝陛下が絶対権力を持ち、王も貴族も民衆も、すべてを支配し隷属化するウシハク体制となってしまいます。

お立場上、それができないからこそ、式子内親王は、「もう耐える力も弱り果ててしまいそうです」と詠まれているわけですし、大輔は、斎宮であられた殷富門院様に代わって「世の中が変わっていませんわ」と詠まれているわけです。

89番の式子内親王の歌と、90番の殷富門院大輔の歌は、つまり、表裏の関係にある歌として、ここに並んでいるのです。
(と、実は、上に述べた塾で、H氏から、その指摘をいただき、思わず膝を打った次第です)。

殷富門院大輔の、他の歌をご紹介します。
いずれも、世の中の平和を求めるお心が、胸を打つ名作ばかりです。

花もまたわかれん春は思ひ出でよ
 咲き散るたびの心づくしを

桜の花もまた枝と別れる春は、思い出が咲いては
散るたびに悲しみ悩むことと同じなのね

うき世をもなぐさめながらいかなれば
 物悲しかる秋の夜の月

どうしたらこの世を慰めれるのか。
それを思うと秋の夜の月さえも物悲しく思えます。

虫のねのよわりはてぬる庭のおもに
 荻の枯葉の音ぞのこれる

虫の声がすっかり弱くなった冬の庭には、
荻の枯葉の風に鳴る音ばかりが残ります。

かはりゆく気色を見ても生ける身の 
 命をあだに思ひけるかな

人の心がかわっていく様子を見るにつけ、自分の
命など、どうでも良いのかと思ってしまいますわ。

死なばやと思ふさへこそはかなけれ 
人のつらさは此の世のみかは

死んでしまいたいと思うことさえ虚しく思えます。
人の辛さはこの世だけのことなのかしら。

それにしても、百人一首って、ほんとうに素晴らしいですね。

***

ねず先生の百人一首を、ねずブロで読み始めた時は、百人一首が恋の歌という解釈ばかりではない、ということに、どうしてもすんなりと納得できませんでした。

式子内親王の89番歌も、絶対に藤原定家との秘密の恋を詠んだ歌だと思っていました。
(お二人には特別な絆はあったのですから)

だけど、今回のミセバヤ、玉の緒、雄島の海人、の神解説で、長年の胸のつかえがすっきりとした感じで、ようやくわかりました。

ねず先生の解説にお付き合いして三年。
百人一首は恋のみを詠んだものではなかったのですね♪

500年続いた貴族社会が音を立てて崩れていく、平家に呑み込まれ、悲劇の運命に翻弄されてしまう天皇様や内親王様や皇子様。

そういう全てを、この89番歌、90番歌のお二方の悲痛な叫びの和歌をもって、定家は
日本人の心の源が消えないように、美しい時代が忘れさられないように、後世の私たちに百人一首という形で託したのだ、とやっとわかりました。

ねず先生のお陰で、千年の時を超えて、やっと封印がとけ始めました♪

だけど、恋の歌のままにしておかないと困る先祖をお持ちの方は、このような解説を信じないかもしれません。
それはそれで良いのだと思います。

青葉慈蔵尊を、毎年お参りする方々もいれば
その真実を葬りさりたい方もいらっしゃいます。
そして、真実を語るものを妨害します。
通州事件とかは、良い例ではないでしょうか?

歴史というものは、真実に光をあてれば、嘘で塗り固めた側に、都合が悪いのです。

そんな風に、最近思えてきました。

それにしてもミセバヤという、こんな綺麗なお花があったなんて、しかも玉の緒という別名まであるなんて、とっても素敵なことですね(╹◡╹)

2016年9月22日 (木)

修行者と羅刹

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youtu.be/X-2BLPx_38I

***

チャンネルアジャーで、私の大好きなお話がありましたのでご紹介いたします。
⬆︎の動画では、ねず先生が講談のように面白くお話されています。
ねずブロでも昨年アップされてます。

***
国民学校「初等科国語八」から、一文をお届けします。
いまで言ったら、小学6年生用の教材です。
文はねず式で現代語に訳してあります。
比較的短い文ですので、まずはご一読してみてください。

********
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2725.html
国民学校「初等科国語八」七
【修行者と羅刹(らせつ)】

 色はにほへど散りぬるを、
 わがよたれぞ常ならむ。

どこからか、そんな歌が美しい声で聞こえてきます。
ところは雪山(せっせん)の山中です。
長い長い難行苦行に、身も心も疲れきつた一人の修行者が、ふとこのことばに耳を傾けました。

修行者の胸に、言い知れぬ喜びがわきあがってきました。
それはまるで、病人が良い薬を得たとき、あるいは喉の乾いた者が清涼な冷たい水を得たのにもまして、大きな悦びでした。
羅刹は首を振りました。
「だめです、行者さん。おまへは自分のことばっかり考えて、人の腹の減っていることを考えてくれない」
「おまえは何を食べるのですか」
「びつくりしちやいけませんよ。わしの食べ物というのはね、行者さん、人間の生肉、それから飲み物というのは人間の生き血さ」
と、言うそばから、さも食いしんばうらしく、羅刹は舌なめずりをしました。

しかし、修行者は少しも驚きませんでした。
「よろしい。あの言葉の残りを聞かせてくれるなら、私の体をおまえにやってもよいです」
「えっ。たつた二文句ですよ。二文句と、行者さんのからだと、取りかえっこをしても良いと言うのですかい?」

修行者は、どこまでも真剣でした。
「どうせ死ぬべきこのからだを捨てて、永久の命を得ようというのです。何でこの身のいとうことがあるでしょう」
そう言いながら、彼はその身に着けてゐる鹿(しか)の皮を取つて、それを地上に敷きました。
「さあ、これへお座りください。つつしんで仏の御言葉を承りましょう」

羅刹は座に着いて、おもむろに口を開きました。
あの恐しい形相から、どうしてこんな声が出るかと思われるほど美しい声です。

 有爲(うゐ)の奥山今日(けふ)越えて
 浅き夢見し酔ひもせず

と歌ふように言い終わると、
「たったこれだけですがね、行者さん。でも、お約束だから、そろそろごちそうになりましょうかな」
と言って、ギョロリと目を光らしました。

修行者は、うっとりとしてこの言葉を聞き、それをくり返し口に唱えました。
すると、
「生死を超越してしまへば、もう浅はかな夢も迷いもありません。そこに本当の悟りの境地があるのです」
という深い意味が、彼にはっきりと浮かびました。
彼の心は喜びでいっぱいになりました。

この喜びをあまねく世に分(わか)って、人間を救わなければならないと、彼は思いました。
彼はあたりの石といわず、木の幹といわず、今の言葉を書きつけました。

 色はにほへど散りぬるを
 わが世たれぞ常ならむ
 有為の奥山今日越えて
 浅き夢見し醉ひもせず

書き終ると、かれは手近にある木に登りました。
そのてっぺんから身を投じて、羅刹の餌食(えじき)になろうといふのです。

木は、枝や葉を震はせながら、修行者の心に感動するかのように見えました。
修行者は、
「一言半句の教えのために、この身を捨てるわれを見よ」と高らかに言って、ひらりと樹上から飛びました。

とたんに、妙(たえ)なる樂(がく)の音が起こって、ほがらかに天上に響き渡りました。
と見れば、あの恐しい羅刹は、たちまち端嚴な帝釋天(たいしやくてん)の御姿となって、修行者を空中にささげ、そうしてうやうやしく地上に安置しました。

もろもろの尊者、多くの天人たちが現れて、修行者の足もとにひれ伏しながら、心から礼拝しました。
この修行者こそ、ただ一筋に道を求めて止まなかつた、ありし日のお釈迦(しゃか)樣でした。

2016年9月15日 (木)

秋の七草

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ナデシコは、繊細なピンクの花を咲かせます。
その小さくてつつましく控え目で可憐な花の姿に、日本女性の美しさを重ねた言葉が、「大和撫子(やまとなでしこ)」です。

「万葉集」では26種詠まれています。

 なでしこが その花にもが 朝な朝な
 手に取り持ちて 恋ひぬ日なけむ
        (大伴家持)

(通解)あなたが撫子(なでしこ)の花だったなら、私は毎朝、手に取ってあなたを愛でることでしょう。

 秋さらば 見つつ偲へと妹が植ゑし
 やどのなでしこ 咲きにけるかも

これも大伴家持の歌です。
この歌は、天平11年の作ですが、この年の6月に家持は、奥さんを亡くしています。

その奥さんが、生前、「秋になったら、いっしょに眺めましょうね」と言って、なでしこを、庭に植えた。
秋になって、その撫子が、家の敷石のかたわらに咲いている。

「おまえが、そばにいてくれらなら」
そう思う家持の悲しみが、胸を打つ名作です。

なでしこは、女性の美しさと、手の中に入れて愛でたいと思わせるほどの可憐さを象徴しています。
そんな美しい愛する妻の、こぼれるような笑顔。
そして緑の中に咲く、ピンクの花。
文字は白黒だけれど、歌は、美しい色彩に彩られています。

どういうわけか、なでしこは、西洋の花言葉でも「長く続く愛情」とされています。
そういう不思議なイメージを抱かせるきれいな花です。

また、なでしこには、英語名で「ピンク pink」の名前があり、また、「輝く目」のという意味もあります。
ピンク色の語源も、なでしこの花からきています。

もうひとつ、なでしこを歌った、こんどは俳句です。
小林一茶の作です。

  御地蔵や
  花なでしこの
     真ん中に

きれいな秋の夕焼け空に赤とんぼが舞い、稲刈りを終えた田んぼは、黄色く色づいています。
道ばたにふとみると、緑の葉に彩られて、ピンクのなでしこの花が咲いている。
その真ん中には、ちいさなお地蔵さんが、赤い前掛けをつけて、そっと立っている。
そんな情景が目に浮かびます。

和歌、短歌、俳句に限らず、日本画や文学などにおいても、日本文学などでは、こうしてものすごく簡素化し、簡略化した中に、くっきりと浮かび上がる色彩豊かな情景や、背景などを連想させるものが、秀作とされます。

nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2385.html?sp

***
ここのところ週末は、いつも台風が来ています。
しかも、大きな台風だから被害もひどい…>_<…

だけど今夜はお月見の日です。
素敵なお月見様が見られるといいですね(^_^)v

youtu.be/PNybuBNT-vA

2016年7月21日 (木)

人は死なない

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すこしスピリチュアルなお話をします。

これは、先日行われた「女性のための古典塾」でもお話させていただいたことなのですが、その日は清少納言についてのお話をさせていただきました。

清少納言といえば、世界最古の女流小説を遺した紫式部と並ぶ、女流随筆文学としてやはり世界最古の文学を遺した、日本の中世を代表する優秀な随筆家であり、歌人です。
ものすごく優秀な女性で、かつ魅力的な女性であることは、ねず本の第二巻でも『枕草子』の現代語訳などをご紹介して、詳しくお話させていただきました。
またブロクにおいても、

nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1869.html

nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2711.html
などでご紹介させていただいています。

 夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも
 よに逢坂の 関は許さじ

この歌は権大納言であった藤原行成とのやりとりの中で生まれた歌ですが、『枕草子』には次のような物語が書かれています。

*******
清少納言がこの歌を藤原行成に送ると、行成は、
「逢坂は人が越えやすい関なので、
 鶏が鳴かないうちにも関の戸を開けて待つといいますよ」
(あなたはいつでも容易に人に逢うとの噂ですよ)
という歌を清少納言の送ります。

そして清少納言に、
「夜をこめて」の歌は、
 殿上人がみな見てしまったよ」
と申し向けるのです。

実は、行成は、この時点で二股がバレています。
都合が悪くなったので、清少納言は「生意気な女だ」と、噂を広めたというわけです。

これに対する清少納言の返事です。
「本当に(あなたが私のことを)思ってくださっておいでと
 これで初めてわかりましたわ。
 すばらしいことを相手の人が言い広めてくださらないのは
 確かに甲斐のないことですわね。
 私は、見苦しいことが世間に散り広がるのが困るので、
 私はあなたのお手紙を隠していて、人に見せてはおりません。
 私の歌を人に知らせてくださったあなたのお心配りと
 相手を思いやる心は同じものですね。」

いかがでしょうか。
清少納言は、ここで男性であり、地位も名誉もある行成を「へこませた」のでしょうか。
そうではなくて、むしろ行成が男性であり、地位も名誉もあることを気遣い、行成の非礼さえも、隠し事にしただけでなく、あきらかに、行成をゆるしているのではないでしょうか。

だから行成は次のように述べています。
「まろの手紙を隠しなさったということは、
 やはりしみじみとうれしいことです。
(そうでなかったら)
 私はどんなにか情けなく
 つらかったことでしょう。」
二股がバレて、ヤバイヤバイと思っていた行成は、ここでどんなにか救われたことでしょう。

nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3046.html
***

私は、古典塾、ブログでこの解説を知って
とても感動しました。
きっと清少納言すら、目からウロコの解説で驚いていたことでしょう。
こんなに美しい気持ちとして、解説してもらえたことは喜びだったと思います。

だけど本当の気持ちは、今も昔も変わらないのが「心」だとしたら、生きていたときの清少納言の「心」は、ボロボロに傷ついていたのではないかしら。
だけど、どちらかの国のように、泣き叫んだり、中傷したり、恨んだりもしません。
この時代、輪廻転生の思想があったとしたら
「ご縁は今世限りのこと。
あちらの世でも、来世でも、二度と私の前に現れないで!!」と
「心」の奥深くで、願ったことと思います。

矢作直樹先生著の「人は死なない」では、以下のように書かれていました。

●母との再開 147ページ〜
次に、もう一つ疑問に思っていたことを訊ねてみました。
「亡くなったときに結婚指輪を外していたけれど、いつ外したの?」
「あなたは気が付かなかったかもしれないけれど、私がこちらに来る二ヶ月以上前よ。
お父さんの命日の後ね。箪笥の上に置いた通知用の葉書もそのときいっしょに置いたの」


私は、質問を続けました。
「そちらではお父さんには会ったの?」
「お父さんには会わないわ」
そう言って、母は少し右下を向きます。
それ以上の質問を拒むような雰囲気でした。
私には非常に意外な答えだったので、一瞬戸惑いました。
いったい、父母の間に何があったのか。
父の命日の後に指輪を外したということが、父と切れることを意味していたのか。
私は、晩年の二人は仲良く暮らしていたとばかり思っていたのですが、夫婦の間にはいろいろな事情があるのだろうと無理矢理納得して、それ以上は訊きませんでした。
「お祖父さん、お祖母さんには?」
「会ったわ」
「伯母さんには?」
「会ったわ」


人は輪廻転生をしながら、カルマを解消しながら魂を昇華していくことが事実だとしたら。

矢作先生のご両親は、今世でも、やはり前世のカルマを解消できない何かがあったのではないでしょうか。

矢作先生の著書は、たくさん読みましたが、上記の部分は私の「心」に衝撃として残りました。

ねず先生は、とても美しい日本の心で百人一首を解説してくださいましたが、何となく納得出来ないところがありました。

清少納言と行成が、今世に生まれ変わっていたとして
行成は、同じ過ちを犯さなかったか心配になります。
右近の想い、相模の想い、式子内親王の想い、もちろん小野小町の想い、たくさんあります。

矢作先生の著書から、今まで疑問だったことのヒントをいただけたようです。

これからも、百人一首は私の中で成長し続けることでしょう。

ねず先生、素敵な本の出版をありがとうございました(^_^)v

2016年5月26日 (木)

今日は古典塾で清少納言です(^_^)v

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【清少納言と枕草子
2013年04月23日08:24 】

届けてくださった使いの人は、すっごいおっかない顔をして、「早く参上せよ」なんて言ってたのだけど、そのあとに、まじめくさって、
「じゃが、この紙はあまり上等ではなさそうじゃ。延命を祈るお経も書けそうもないようだが・・・」なんて、言うものだから、思わず吹き出しちゃった。

ほんとうはね、そんなんじゃないの。
前にあたしが中宮様に、「気が滅入っているときは、紙を見ていると気もちが晴れます」って言ったのを、中宮さまがちゃんと覚えていて下さっのよね。
それで紙を贈ってくださったんだわ。
だから、ほんとは、紙の質がどうのこうのなんてどうでもいいことなの。

でもね、言った本人が忘れていたようなことまでちゃんと覚えていてもらえるのって、うれしいくない?
相手が普通の人でもうれしいのに、ましてその方が、中宮さまってなったら、そりゃー感動だわ。

でね、あたし、ドキドキしちゃって、中宮様に、
「紙(神)のおかげで、あたし、鶴みたいに千年も長生きしそうです!」って歌を書いたの。

で、使いの人に、「この歌を中宮様にお渡しになるとき、私が、あまりに大げさでございましょうが、と言っていたって申し上げてくださいね」ってお願いした。

そのあと、使いの人にに青い綾織りの単衣をあげたりして、大騒ぎしちゃった。
そしたら、なんだか気持ちが晴れてきちゃって。
あたしったら、さっきまでへこんでたはずなのに、もうはしゃいでる。
人の心って、おもしろいわね。


=======

このときの歌が、

 かけまくも
 かしこき かみの しるしには
 鶴のよはひと なりぬべきかな

とても上品で、格調高いですね。
ほかにも、面白いのが、たとえば第25段。

=====
憎らしいもの

お部屋にこっそり忍んで来る恋人を、犬が見つけて吠えるのって、すっごい憎ったらしくない?
あとね、ようやく密かに忍んで来てくれたのはうれしいんだけど、みんなが寝静まってお屋敷がシーンと静まり返っているのに、大いびきをかきながら寝ちゃうヤツ。
もぉ、絶対、まわりにバレバレじゃん><

それから、きっとバシッと決めようと思ってのことなのだろうけど、大袈裟な長い烏帽子(えぼし)をかぶって忍んできてさ、慌てているのか、烏帽子が何かに突き当たり大きな音を立てるヤツ。
なにそれ〜って思っちゃう。

あとね、簾(すだれ)をくぐるときに、不注意で頭をぶつけて、「イテテテ!」って、大声をあげるような男って、絶対、無神経!。

それからさ、夜、忍んでくるときに、戸を開けるなら、少し持ち上げれば音などしないのにさ、ヘタすれば軽い障子でさえガタガタ鳴らす男もいて、そーいうのって、なんかにくったらしいわ。
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第26段 胸がときめくもの

髪を洗ってね、きれいにお化粧して、お香をよくたき込んで染み込ませた着物を着たときって、心の中は晴れやかな気持がして素敵。
別に見てくれる人がいなくてもいいんだ^^
男を待っている夜は、雨音や風で戸が音を立てるだけでも、ハッと心がときめく。


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第27段 過ぎ去った昔が恋しいもの

もらった時に心に沁みた手紙を、雨の日などで何もすることがない日に探し出したとき。
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こうした、いかにも女性らしい感受性の豊かなエピソードが、323話もぎっしり詰まっていて、躍動感ある大人の女性の感受性が活き活きと描かれているわけです。
実に、ほがらかで、感性豊かで、明るく楽しい。
これが平安中期の、世界最古の女流随筆でもあるわけです。


***

今日は、ねずさんの古典塾の日なので、清少納言のおさらいをしてみました。

定子様とのやり取りをみていると、今だって
女子校に通ってる女子や、宝塚大好き女子には、痛いほど理解できる感性です。

上に抜き出したところは、どんな女性にも当てはまるでしょう?

心はクルクルと上がったり下がったりするものだし。

落ち込んでいる時に、オシャレしてお出かけしたり、アロマテラピーを楽しんだり、綺麗なものを見つけたりして、気分を華やいだものにしたりするのも、同じ。

無神経な男に腹を立てるし。

清少納言の感性は、私にドンピシャでとても共感を覚えます。


そんな傷つきやすい繊細な感性の清少納言に
二股かけてた藤原行成さん。。

【補助線一本で解ける謎
2015年07月24日】
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そんなわけで、当時の一級の知識人である藤原行成は、清少納言を訪ねて、四方山話に花を咲かせていたのですが、この会話があまりにも楽しい。
ついつい彼は清少納言のもとで、すっかり時間を忘れて会話を重ねてしまったであろうことは、容易に察することができます。

ふと気がついたら、もう夜も遅い時間です。
すぐにでも別の彼女のところへ行かねばなりません。
そこで、「宮中で弔事があるので」などと、いい加減なことを言って清少納言のもとを去るわけです。

そして朝になって、彼は清少納言のご機嫌を伺う手紙を届けさせました。
ところが彼は、手紙に「ニワトリの声に促されて帰ってしまいましたが......」と書いてしまったのです。

彼が清少納言のもとを去ったのは、前の日の夜です。夜にニワトリは鳴きません。
別の女性のもとを去ったのが、明け方、ニワトリが鳴く早朝だったのです。


ここの解説は、とても興味深いです。

楽しみです(^_^)v

今夜の古典塾には
定子様や清少納言、行成さんも参加してると思いますよ、
それぞれの思いに寄り添って、みんなが納得!!
できる講義でありますように💝

2016年5月 3日 (火)

ねずさんのひとりごと☆祝3000話

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当ブログは、3000話を超えました。
これもみなさまのご贔屓あってのことです。
心から感謝と御礼を申し上げます。

【今日は済南事件のあった日 2016年05月03日07】
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3001.html?sp


今日は、ねずブロ3000話のお祝いの記念日なのですが、こんな悲しい日と重なってしまいました。

でも、それも何か意味があるということです。

***
【当時の外務省公電にある公式文書です。
=======
腹部内臓全部露出せるもの、
女の陰部に割木を挿し込みたるもの、
顔面上部を切り落としたるもの、
右耳を切り落とされ左頬より右後頭部に貫通突傷あり、
全身腐乱し居れるもの各一、
陰茎を切り落とし・・・(以下略)
======

現場を視察した南京駐在武官佐々木到一中佐の手記です。
======
予は病院において偶然其の死体の験案を実見したのであるが、酸鼻の 極だった。
手足を縛し、手斧様のもので頭部・面部に斬撃を加へ、或いは滅多切りとなし、
婦女は全て陰部に棒が挿入されてある。
或る者は焼 かれて半ば骸骨となってゐた。
焼残りの白足袋で日本婦人たる事がわかったやうな始末である。
我が軍の激昂は其の極に達した。
======

ちなみに上にある女性の写真は、間違いなく済南事件のときの新聞報道写真であり、被害者の女性も日本人、横に立っている男性も間違いなく日本人医師なのですが、いまの中共政府はこの写真を「日本陸軍七三一部隊による人体実験の犠牲者の写真」として流用し、さらに同じ写真を南京事件の支那人被害者として流用し、展示しています。】

***

こういうことを、ブログで書くとヘイトスピーチになりますか?
ヘイト思想とか?

私たち日本人って、被害にあったことや辛いこととかは「水に流す」ということが美徳とされています。
だから、日本人の従軍慰安婦が、韓国の従軍慰安婦の方々のように被害者だと言って訴えたりしません。
それは恥だから、誰にも言わずに胸の中にしまって、この世を去っていきます。

嘘だ、捏造だ、と言われている「青葉慈蔵尊」のお話だって
日本では、ひっそりと語り継がれ慰霊されているだけで、ご遺族の方が損害賠償を求めて大騒ぎしたり、
従軍看護婦の像とかを建てたりしません。

日本人は、恥という美徳をもつからです。

だから、ねずブロのように拡散力のあるブログ、
ねず先生のようなわかりやすい明るい笑顔で、過去の歴史や、これからの日本の役割を教えてくれるような講演会は、とても大切です。

私たちが、とても大切にしているのは
こういうお話を知って「慰霊」の気持ちを持つことです。

過去にあった出来事を、騒ぎ立てて、損害賠償したり記念碑?を建てたりすることではなく
犠牲になられた方々の「慰霊」をして、二度と同じ悲劇を繰り返さないようにするためのものではないでしょうか。

そうして、こんな悲しい戦争が二度と起きないために
日本が正しい道をあゆみ、世界が平和と安全と幸せになるために
一人一人が意識しながら毎日を暮らしていくためのヒントのブログが、「ねずさんのひとりごと」です。

☆☆☆

次は4000話目指して、頑張って下さい😊💐


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