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2014年4月24日 (木)

小名木善行先生の☆百人一首37番から39番

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昨日は、ねずさんの出版記念講演が賑やかに開催されました♪
このお写真をちょっと拝借(^_^)
さすがプロが撮ったナイスショット♪
Tさん、ありがとうございました〜\(^o^)/

さーて、
今回の右近様の和歌は、ねずさん流解説で大好きなものになりました(^_^)

==========
38番歌 右近(うこん)

忘らるる身をば思はず誓ひてし
人の命の惜しくもあるかな

わすらるる
みをはおも
ひとのいのちの
をしくもあるかな

=========
図書館で読んだ子ども向けの解説本で、私を捨てたあなたに神仏の罰があたるのではないかと思うと、あなたの身が心配ですね、という自分を捨てた男への恨みを、いやみを込めて詠んだと書かれていた、というコメントを目にしてビックリ!(◎_◎;)

ねずさんの解説の反対の恨の精神を子どもに教えている本が図書館にあるなんて!!!(; ̄ェ ̄)

『右近は、愛する人に忘れられてしまったのかもしれません。
もう、相手の心はいまさら自分には帰ってこない。
けれど、それでも相手のことを気遣い、心配し、命だけでも長らえてほしいと願っています。
別れた相手のことを、どんなに想ったとしても、いまさら愛し合った時が帰ってくるわけではありません。

それでも、わが身よりも、相手の身を案ずる。

「恋」は、良いときは良いけれど、ちょっと状況が変化すれば、それで終わってしまう。
そういう、いわば軽さのようなものがあるのに対し、「愛」はどこまでも一途に相手を思いやる。
右近は終わった「恋」でも、相手に対する「愛」があるということを、格調高く歌っているわけです。

37番歌の文屋朝康は、「つらぬきとめぬ玉ぞ散りける」と詠みました。
けれど散ってなお、愛する心は、ずっとずっと残っている。
そういうことを、この38番の右近の歌は詠んでいるわけです。

夫婦の間でも、恋人との間でも、あるいは親子の間でも友人との間でも、なにかのきっかけで破談に至るような事態が起こることは、世の中にはあるものです。
それは「裏切られた」と感じるものかもしれません。
失意の底につき落とされるようなショックだったりすることかもしれません。

「それでも相手を想う」
それは、そこに「恋」より深い、「愛」があるからです。
そういう人をこそ、大切にしたい。

そんな意味も、この歌にはこめられています。』

これぞ日本人としての別れの美学の心だと思います。

愛した人と、縁を失ってお別れした後も、ご無事と幸せを影ながら祈るという心を右近様は私たちに語りかけてくれています。

最近では、恨み辛みをネットへの書き込みや裁判で晴らそうという女性のことが、度々ワイドショーで報道されます。
いくら綺麗で魅力があると見えても、パクさんみたいな恨の精神をお持ちの方とは、ご縁がないのが一番です。

この右近様のような心映えは、やはり小町さんもお持ちだったことでしょう。

お二人には似ているところを感じるのはわたしだけでしょうか。

この右近様の和歌の意味がわかると、小町さんの愛した人の息子さんの歌の意味も、また感じ方が変わってきます。

==========
37番歌 文屋朝康(ふんやのあさやす)

白露に風の吹きしく秋の野は
つらぬきとめぬ玉ぞ散りける

しらつゆに
かせのふきしく
あきののは
つらぬきとめぬ
たまそちりける
==========

文屋朝康というのは、あの小野小町の彼氏で、地方転勤を命じられたときに小町に「俺に付いてきてくれぬか」と申し向け、小町が「はい」と答えてくれたという、あのモテ男の文屋康秀の子です。

父である文屋康秀は、たいへんな才能に恵まれた男性でした。
なんたって、本邦最高の美女である小野小町を彼女にしたくらいの男性です。
見た目もよく、教養もあり、まさに優れた男子の典型であったことでしょう。

けれど、その文屋康秀は、愛する小町を「都会育ちの小町には田舎暮らしは難儀であろう」と、焦がれる想いを胸に抱いたまま、単身、地方へと赴任していったという、男としての思いやりとやさしい心を持った男でもありました。』

やっぱり康秀さんは、地方でそこそこの美しくて元気で若い娘さんと結婚して、朝康さんというハンサムな息子さんに恵まれていたのですね(⌒-⌒; )

私の思った通り!!!

そんなもんです。
男の人って。。

だけど小町さんは、右近様のようにいつまでも康秀さんの幸せを願うような女性だったのでしょう。

このような別れは、因果となって残るのだと私は思います。

お父さんの康秀さんが玉のような小町さんを置き去りにしたことの後悔の念が、息子さんに受け継がれたのではないでしょうか。

歴史は繰り返す。

小町さんのような素晴らしい女性に再度巡りあった息子の朝康さんは、何らかの事情で繋ぎとめておく前に、その白露にもたとえられる清楚で美しい戀した想い人を、あっけなく喪ってしまったのではないでしょうか。

戀して、さらに愛し続けた右近さんと小町さん。

戀して、その想いを繋ぎ留めて置くことのできなかった康秀父と朝康さん。

そう解釈した方が、女性の私としてはスッキリします☆〜(ゝ。∂)

『ただ一途に想うのが「恋」。
魂を揺るがすほど熱く心が乱れるのが「戀」』

ということですが、魂を揺るがすほどの熱い心の乱れとはどのようなものか興味ありますね(⌒▽⌒)

そういう「戀」から「愛」を育てる経験をしないと、人間として深みがまさないかもしれません。

Image_2

千年前の想いに寄り添うって

楽しいニャン(^ν^)

恋愛にオクテと自称する、ねずさんの次回解説が

楽しみニャン♪

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