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2014年5月

2014年5月30日 (金)

小名木善行先生の☆立てば芍薬(しゃくやく)

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昨日、お花屋さんの前を通ると、
このお写真のような濃いピンクの芍薬が飾られていました。
とっても綺麗で、写メしたかったけど、まさかできませんから(^_^;)
だから、今日のねずさんのブログはとても嬉しかったな〜(^.^)

Image_2今朝、うちでも薔薇が咲きました。
芍薬と似ていますね。

うーん(^_^;)

見比べて見ると、芍薬は花びらが柔らかそうで大輪で豪華ですね〜
トゲもないし。。。
虫もつかないのかしら?
今度、芍薬も育ててみます。

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そして、こちらの絵も素敵でした♡

とっても私好み\(^o^)/

この水色って着こなすの難しいのに。なんて素敵に着こなしているのかしら。

とっても素敵♪♪♪

✩✩✩✩✩✩

記紀では、まず日本の国土が生まれ、次いで神々が誕生したとあります。
わたしたちの国においては、国土や風土と神々は兄弟であり、その神々の直系のご子孫が歴代の天皇であり、その家系に連なっているのが、わたしたち日本人です。
ですからわたしたちの国では、国土や風土と、わたしたち日本人自身に、分つことの出來ない深い関係があるとされているわけです。

柿本人麻呂は、万葉集で次のように書いています。
==========
やすみしし 我が大王(おおきみ)
神(かむ)ながら神さびせすと
芳野川(よしのがは)たぎつ河内(かふち)に 高殿を 高しりまして
登り立ち國見をすれば疊(たゝな)はる青垣山
山祇(やまつみ)の 奉(まつ)る御調(みつぎ)と
春べは 花かざしもち
秋立てば 黄葉(もみぢ)かざせり
ゆきそふ 川の神も 大御食(おほみけ)に 仕へ奉ると
上つ瀬に 鵜川(うがは)を立て
下つ瀬に 小網(さで)さし渡し
山川も 依りてつかふる 神の御代かも
===========

この歌は、持統天皇の吉野行幸に際して詠まれた歌で、現代語に訳すと次のようになります。

「すべての天下をシラス我がおおきみが
 神として、そして神の御業をなさるため
 吉野川の 激流渦巻く 都邑に宮殿を 高く建て
 その高殿に登り立って 国見をなさると
 幾重にも重なりあい 緑なす山々の
 山の神が天皇に捧げる貢ぎ物として
 春には 花を髪にかざし
 秋には 紅葉を飾り
 流れる川の 川の神も 天皇の御食(みけ)に仕えようと
 上の瀬で 鵜飼いを催し
 下の瀬では 投網をさし渡し
 このように山の神も川の神も仕えている、まことに尊い神の御代であることよ」

✩✩✩✩✩✩

そうですか〜

私たちの美しいものを感じる心って、もしかしたら天皇の存在のお影なのかもしれませんね。

百人一首も、万葉集も、天皇という存在がなければ生まれなかったのかも。

侘び寂びとかも。

日本人の心は、天皇の存在で育まれてきたようですね。

そのお陰で、私たちはお花見したり、紅葉狩りしたり、お月見したりして
心から楽しめる民族になれたのかしら?

良かった〜(^.^)

『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』

これって、全ての女性が目指すものではないでしょうか?

頑張りましょう\(^o^)/

Image_4日本人の心って

本当にいいにゃ〜♡

忘れさせられてしまいそうだったけど
毎日、ねずさんが書いてくれるから
思い出してきたにゃん♪
ありがたいことにゃ(⌒▽⌒)

youtu.be/NAnBxv8hJU0

2014年5月29日 (木)

小名木善行先生の☆「あやめ」と「しょうぶ」と「かきつばた」

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今日も夏気分です。
薄着になって、自転車に乗ると風が心地よいです。

こちらのねずブロで、菖蒲浴衣(アヤメユカタ)を思い出しました。
若い頃、踊りました。
花柳流なのでお衣装は上のものとは違ってました。

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「あやめ」は、漢字で書いたら「文目(あやめ)」です。
「あやめ」がどうして「文目」と書くかというと、その花の根元が、文字通り「あみ目模様」になっているからです。

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見分け方のポイントは、やはり花の根元にあります。
菖蒲は、花の根元に、はっきりした黄色いマークが付いています。


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「かきつばた」は、漢字では「杜若」または「燕子花」です。
背丈は60〜80cmと、文目と菖蒲の中間くらいで、見分け方のポイントは、やはり花の根元のマークです。
「かきつばた」のマークは、「白」です。

=======

うーん(⌒-⌒; )

覚えられないかも。。。


とりあえず、文目だけは
あみめ模様ということで覚えていられそうです(^ν^)

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私の大好きな絵♪

今の季節にぴったりです。

ボートは、心地よい風と

キラキラ光る水面で気持ち良さそう\(^o^)/

2014年5月27日 (火)

小名木善行先生の☆赤旗強制購読問題続報

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昨夜は、ひどい雨でしたが
今は蒸し暑くなりました。

今朝は、共産党の資金源を断つための問題提起の第三弾でした!(◎_◎;)

これはやばい問題提起ですね。。。

陰湿ネット保守の、誹謗中傷のパターンは最近では定番となり

あ!!!
またか(^_^;)

って感じになりましたけど。。。

===========
庁舎内でのしんぶん赤旗の購読状況等の実態調査を求める「陳情」書が、○○市議会にも届いたことが20日午後分かりました。
郵送による陳情書は各議員に文書を配布する事だけになっています。
議長決裁を受け、これから配布するとの事です。
中央方針に基づき戦略を立てて反撃していきます。

mobile.twitter.com/haradahidetosi
==========

日本解体を目指す議員さんの、このような恐ろしい発言がでたなんて!(◎_◎;)


《中央方針に基づき戦略を立てて反撃していきます。》

ですって!!!

そして、ここで発言されてる方の恐ろしいこと(;゜0゜)

こういう、思想信条に凝り固まった方々と
離間工作員の宝庫の保守層は果たして戦えるのだろうか。

ヒョエー((((;゚Д゚)))))))

死人でるの?

あの人たち、人殺しも思想のためなら厭わないんでしょう?

私が、ある事件があって怖くなって警察に相談に行った時に
警察官が言った言葉が忘れられない。。。

「あなたは、こういうことでご飯食べているのではないのでしょう?
色(政治、思想、宗教)には、一切関わってはいけません。
昔から、思想上のもつれで殺人とかもおこっていますよ。
わかりましたね」

でした。

今回の、このねずさんのブログは
まさに危険な拡散ではないでしょうか?

◆赤旗強制購読問題続報
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2275.html?sp
◆赤旗の根を絶て!
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2259.html
◆市町村役場等における赤旗強制購読問題に思う
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2261.html


でも、ねずさんが書くと
必ず、拡散されてしまうという法則がありますから。

あっという間に、このことはあちこちで噂されるようになるでしょうね。

たくさんの人が声を出して
たくさんの目で見守れば、

言い出しっぺの人たちの安全が、確保されると思います。

是非、拡散をよろしくお願い致しますm(__)m


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神様お願いします。

どうか、お護り下さい。

2014年5月25日 (日)

小名木善行先生の☆百人一首(第15回)43〜45番歌

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最近、憂鬱なニュースばかりが流れ
Facebookでも、保守の人による日本の危機、日本人の劣化のニュースで溢れているので
私は、不安な気持ちになっていました(^_^;)

そんな時、今朝のねずさんのブログを見ると百人一首だったので、朝から嬉しい気持ちになりました\(^o^)/

前回は、男性の立場からのお話だったので、イメージを共感することができませんでした。

ところが今回は、一日中千年前の世界にドップリと浸り楽しめました♪

=========

43番歌 権中納言敦忠(ごんのちゅうなごんあつただ)

逢ひ見てののちの心にくらぶれば
昔はものを思はざりけり

あひみての
のちのこころに
くらふれは
むかしはものを
おもはさりけり

=========

『「貴女と深い仲になってからの熱い想いは、こうした仲になる前のあなたへの恋心が、まるで何も思っていなかったのではと思えるほど、深くて愛おしいものなのです」といった意味になります。』

『その藤原敦忠が25歳のとき、なんと第60代醍醐天皇の皇女である雅子内親王(がしないしんのう)と、良い仲になってしまうのです。
このとき雅子内親王は21歳です。
これまた若くて美しい盛りです。

二人は、まさに熱愛となります。
このとき互いに交わした愛の歌の数々が『敦忠集』におさめられています。
もう、ラブラブです。

けれど、身分が違いすぎる。
困った大人たちは、雅子内親王を伊勢神宮の斎宮(いわいのみや)に選んでしまうのです。
斎宮というのは、皇女の中から選ばれる伊勢神宮の祭神である天照大神の御杖代(みつえしろ=神の意を受ける依代)です。
つまり、神様の依代(よりしろ)、いってみれば神様の代理人のような存在になってしまうのです。

そうなると、雅子内親王がどんなに藤原敦忠を愛していたとしても、二人は別れなければならない。
そして雅子内親王は、京の都から、伊勢に送られてしまいます。

そもそも二人は身分の違いすぎる恋だったのです。』

『この歌に、あえて「権中納言敦忠」と詠み手の名に職名を付したのは、この歌が単に愛の讃歌というだけでなく、つらい別れを経験した男が、そこから立ち上がり、世の中におおいに貢献し、出世し、そして愛した女性と釣り合うだけの男として成長していった、男の孤独とドラマがあったからに他なりません。

歌は、純粋に恋の歌です。
けれど、百人一首の選者である藤原定家がこの歌に込めたメッセージは、
「男なら、そうやって成長せよ」
そんな思いからだったのです。』

ならば、生木をさくような別れをした雅子内親王は、どのような人生を過ごされたのでしょうか。。

女性の場合、このような無理やりの別れは心を破壊することに繋がりかねません。

とても、お気の毒な雅子内親王さま。

と、気になって調べて見ると


「 しかし、この恋は破れる。そして雅子は結局敦忠の従弟師輔(忠平の二男)と結婚(降嫁)し、師輔との間に四人の子を生んでいる。」

とありました(^_^;)

なーんだ、心配して損したわ。。。


だけど、二人の恋は百人一首の中で生き続けることができました。

二人の愛を、この歌に留めることで二人の愛は永遠となりました。

ねずさんに書き起こしていただけて、お二人が喜んでらっしゃるように私には感じます。

この百人一首のねずさん流解説は(しのぶ恋、戀と生き方)、この時代でもやはり稀有なことだったのではないでしょうか。

稀有な綺麗な心だから、千年後もずっと語り継がれる永遠の美徳として、藤原定家は選んだのだと思います。

だから、本当はもっとドロドロしていただろうし、裏切りや不誠実もあったと思います。

でも、そういうのも全てひっくるめて、美しい心の和歌を残し、千年後の私たちにも道標となるように、との願いがこめられているのでは?
と、やっとわかりました。

ねずさんの解説のおかげで、世俗的な一般的な解説から、日本の美しい心を啓蒙するものへと本来あるべき姿にやっとなれたのではないでしょうか?

今日は、雅子内親王のために現代の素敵な歌をプレゼントしたいと思います。

彼女の人生が、この歌のようでありましたようにと祈りをこめて^_−☆

youtu.be/TTkyJ0ftEMA

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あと、10年後に
また、この百人一首を読み返してみたい。
きっと、また違った感じ方をすると思うから。

私たちに伝え残したかったもの。

それは、きっととっても美しい心だったに違いないから♡


2014年5月22日 (木)

小名木善行先生の☆マッカーサーを心服させた昭和天皇

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www.geocities.co.jp/WallStreet/2687/gosinei/10.html

このお話は、私の大好きなお話の一つです。

ねずさんのブログで初めて知りました。

こちらのねずさん動画も、とても良かったのでご紹介します♪

youtu.be/e3Gh1_YhNDs

♡♡♡♡♡♡♡

「日本国天皇はこの私であります。
 戦争に関する一切の責任はこの私にあります。
 私の命においてすべてが行なわれました限り、
 日本にはただ一人の戦犯もおりません。
 絞首刑はもちろんのこと、
 いかなる極刑に処されても、
 いつでも応ずるだけの覚悟があります」

弱ったのは通訳でした。
その通り訳していいのか?
けれど陛下は続けられました。
                                  
「しかしながら、罪なき八〇〇〇万の国民が住むに家なく、
 着るに衣なく、食べるに食なき姿において、
 まさに深憂に耐えんものがあります。
 温かき閣下のご配慮を持ちまして、
 国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように」

マッカーサーは驚きました。
世界中、どこの国の君主でも、自分が助かりたいがために、平気で国民を見捨てて命乞いをし、その国から逃げてしまうのが、いわば常識なのです。
ところが陛下は、やれ軍閥が悪い、やれ財閥が悪いという当時のご時勢下にあって、「一切の責任はこの私にあります、絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられても」と淡々として申されたのです。

マッカーサーは、咥えていたマドロスパイプを、机に置きました。
そして椅子から立ち上がりました。
そして陛下に近づくと、今度は陛下を抱くようにして座らせました。
部下に、「陛下は興奮しておいでのようだから、おコーヒーをさしあげるように」と命じました。

マッカーサーは今度はまるで一臣下のように掛けていただいた陛下の前に立ち、そこで直立不動の姿勢をとりました。
「天皇とはこのようなものでありましたか!
 天皇とはこのようなものでありましたか!」
彼は、二度、この言葉を繰り返したそうです。

そして、
「私も、日本人に生まれたかったです。
 陛下、ご不自由でございましょう。
 私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけ下さい」と言いました。

陛下も、立ち上がられました。
そして涙をポロポロと流しながら、
「命をかけて、閣下のお袖にすがっております。
 この私に何の望みがありましょうか。
 重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」と申されたのです。

そののちマッカーサーは、陛下を玄関まで伴い、自分の手で車の扉を開け、陛下をお見送りしました。
そして、あわてて階段を駆け上がると、これまでのGHQの方針を180度変更するあらたな命令を下しています。

このことがあったあと、マッカーサーは、

「陛下は磁石だ。私の心を吸いつけた」と言ったそうです。

♡♡♡♡♡♡♡

この部分、小学校の教科書に載せるべきですね。

天皇が、どのような存在であるかを知らない人、
戦後、日本を封印されて生きてきた私みたいな人、
GHQの洗脳が、一瞬で解除されてしまう大切なキーワードに感じます!!!

私も、この事を語り伝えていきまーす(⌒▽⌒)


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日本人に生まれて良かった〜♪

目は潰されないし、

のんびり暮らせるし、

綺麗なものいっぱいだしね(^_^)

2014年5月20日 (火)

小名木善行先生の☆慰安婦問題の処方箋

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ここのところ、暑くなりました!
だけど、朝は爽やかですから、早朝散歩とか良さそうですね♪

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このお写真の女性たちも爽やかな笑顔で、売春婦のようには見えません。

だけど、従軍売春婦として有名なお写真のようです。

ねずさんの、講演とかでも
笑顔を分析して説明してくださるので、とてもわかりやすくこの問題を理解することができました。

今、騒いでらっしゃる韓国の元従軍売春婦の方々は、お金をレンガのような厚みでいただいていた方々。

国を上げて騒いでいるのは、朝鮮戦争の時に、日本でなく自国の韓国から騙されたお気の毒な方々。

自国訴えてもお金もらえないから、日本からもらっちゃえ!!という図々しい人たち。

私が、心底お気の毒だと思うのはこの方々です。

「小町園の悲劇」の女性たち。
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アメリカ兵が、進駐する際に
日本の婦女子に暴行しないために、最初に作られたアメリカ兵のための売春宿です。

このお話は、ねずブロで初めて知って最初は信じられませんでした。

だけど、この知られてないお話が本当で、
今、騒がれている韓国の売春婦像のお話は、朝鮮戦争の時のお話で日本によるというのは嘘なのですから驚きですね!(◎_◎;)

アメリカは、侵略する国で、原爆を日本に二回も落としたし、大空襲を民間人大殺戮のために何度も日本にしたし、お金払わずに日本の婦女子に暴行をたくさんしているのに、日本は韓国のように謝罪要求はしていません。

とっても不思議なことです。

何か損かも。。

でも、恥を知る文化だと韓国みたいなあんなことはできないです。

Facebookで紹介されていましたが、こういうのも信じられません!(◎_◎;)

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こんな会とは。。。
なんなのだろう(ーー;)

性に対して、恥もなく大っぴらにこのような表現をすることと、韓国の恥さらしな捏造従軍売春婦カツアゲと、同じ空気を感じてしまいました。

この会員証を持った女性が何人か写真にアップされてましたが、性に対してとても鈍感で、真の愛に出会えなかったお気の毒な方に見えて、呆れるよりも可哀想に感じました。

何だか、汚くって気分悪くなってきたわ。。。

こういう事を考えた後は、綺麗なのが必要。
世界は美しいものに満ちていると信じないとおかしくなりそう(ーー;)

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愛は大切ニャー♡

youtu.be/piqQxe6jeRc

2014年5月13日 (火)

小名木善行先生の☆権現堂堤と母娘巡礼

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先日、春日部の先の「幸手」というところに行ってきました。

どんなところかな?
と思っていたのですが、ねずさんのブログで紹介されていたのですね。
この「幸手」駅の近くで、権現堂堤の母子巡礼のお話があったのです。


nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1943.html

『この堤防は、「権現堂堤(ごんげんどうづつみ)」と呼ばれ、たいへんによくできた立派な堤防で、なんと約130年間の長きにわたり、河岸地域を水害から守りました。

ところが、宝永元(1704)年に、この堤防が決壊します。
いちど決壊がはじまると、次々とあちこちがほころびはじめます。
そうならないように、日頃からのメンテナンスが大切なのですが、それが不十分だったわけです。
なんでもそうですが、はじめから「ある」わけでなく、いつまでも「ある」わけではありません。
人が作ったものは、人が手当をしないと、ことごとく滅びてしまう。

権現堂堤も、築造された頃には、メンテナンスもきちんと行われていたのです。
おかげで、130年間、堤防は決壊せず、人々の暮らしを守ってくれました。
けれど、長い期間の安定は、次第に安住と手抜きを生みます。

結果、宝永の長雨で、堤防が決壊してしまうのです。
このときの水害は、江戸市中にまでおよびました。
大江戸八百八町の半ばが水浸しです。
その手前にある、いまの草加市、越谷市、春日部市なども、ことごとく、水没してしまいました。
権現堂川の竜神様、おそるべしです。

いちど、こうした決壊が始まると、堤防は次々と決壊していきます。

天明6(1786)年には、権現堂堤の、また別な場所が決壊し、村ごと濁流に飲み込まれました。
このとき村人たちが、銀杏の大木にすがりついて避難していたのですが、その大銀杏が、根こそぎ流され、75名が流死してしまいました。

享和2(1802)年にも、堤防が決壊しました。
このときも民家80軒が流されています。

この享和2年の決壊のとき、ひとつの事件ありました。
それが「母娘の順礼の悲話」です。

長雨で切れた堤を、村人たちが一生懸命、幾度も修理したのですが、大雨が降りだすと一夜のうちに堤防が切れて、水が流れ出す。
そんな日が何日も続き、大きな被害と、毎日続く工事の疲れで、みんなが口をきく元気さえも失っていた、そんなある日のことです。

夕霞のかかってきた堤の上に、母娘の順礼が通りかかりました。
母の順礼は、堤の切れ口をのぞきこんで、
「こうたびたび切れるのは、竜神のたたりかもしれない。人身御供(ひとみごくう)を立てなければなるまい。」と言いました。

それを聞きつけた堤奉行は、「誰が人身御供に立つものはいないか。」と人々を見渡しました。
あたりまえのことですが、誰も人身御供など(自分の命がなくなるわけですから)なり手などいません。
お奉行は、いないと承知で、みんなに問いかけたのです。
そこまでしてあげれば、母娘巡礼も、あきらめると思ったわけです。

ところがそこで予期せぬ事が起こりました。
母順礼が、「では私が人柱になりましょう」と言い出し、念仏を唱えたかと思うと、渦巻く濁流の中に、身をおどらせてしまったのです。
そしてこれを見た娘順礼も、あっというまにその後を追いました。

伝説では、「不思議にもそこから水がひいて、難工事もみごとに完成することが出来た」と書かれています。
たぶん、嘘でしょう。
そう書き遺すことで、母娘の御霊を慰めようとしたのだと思います。

ただ、不思議なことがあります。
まずひとつは、この事件以降、堤防工事がはかどり、堤防の決壊事故がほとんど起こらなくなったこと。
そして、もうひとつ・・・こちらのほうが不思議な出来事だと思うのですが・・・・母娘の人身御供のあと、それまで、堤防補強のために何本も植えた護岸用の桜が、まったく根付かなかったのに、なんと、それが見事に根付き出したのです。

こうして権現堂堤には、3000本の桜が植えられ、そこは桜の名所となりました。
いまでも、このうちの1000本あまりが、当時のままに残り、人々の眼を楽しませています。
そして権現堂堤には、順礼母娘の供養のための石碑も建てられています。

もうひとつ書いておかなければならないことがあります。
それは、「おそらくこの母娘は、最初から死に場所を求めていたのであろう」ということです。

亭主に逃げられたのか、何かの事故で夫を失ったのか、その事情はいまではもうわかりません。
けれど、おそらくこの母娘にとって、死ぬ事よりも辛い出来事が、何かあったのでしょう。
そうして、この母娘は、魂を清めるために巡礼の旅に出た。

そしてある意味、死に場所をもとめて雨の中を、関東八十八ヵ所霊場をめぐって歩いているときに、たまたまこの、大水と、堤防補修工事の現場に遭遇したのであろうと思います。

おそらくは、「生きていても役にたたないこの身、最後に人柱となって人々の役にたてれれば・・・」、そんな気持ちで、最初から自分が濁流に飛び込むつもりで、人柱の申し出をしたのであろうと思うのです。
そして、そんな母親の悲しみの心を知る娘だから、母が濁流に飛び込んだとき、自分も一緒に飛び込んだ。
この二人の母娘には、それだけの深い孤独と悲しみがあったのであろう、ということです。

ただこのことを通じてひとつ言いたいのは、この二人の母娘巡礼に、どのような孤独と悲しみがあったかはわからないけれど、二人は死を決意したとき、その死を、二人に最後に残された、かけがえのかい「命」というものを、最後の最後に、世のため人のために尽くすことに使おうとしたということです。
その二人の母娘の心情や、まことに哀れ、と思うのです。

いまの日本では、年間の自殺者が約3万人いるのだそうです。
薬物死、飛び降り、電車などへの飛び込みなど、やり方、方法はいろいろです。
けれど、そのいずれもが、申し訳ない言い方にはなるけれど、最後に「他人に迷惑をかけて死んで」います。
最後に多くの人の役に立って死のうとして母娘、自分勝手な自殺をする現代人。
なにかあまりにその心根に差がありすぎるように思います。

人が生きていれば、辛いこと、我慢しきれないほどの悲しみなど、たくさんあります。
そこで、死を決意することもあることでしょう。
けれど、ひとつしかない自分の命を、最後にどう使うのか。
それは、その人自身の判断によって決せられることです。

自ら捨てようと決めた命を、多くの人のために使おうと、一般人の母娘でさえも考え決意した、かつての日本。
周囲や他人の迷惑を省みず、ただ自分が辛いからと、命を粗末にする昨今の日本。
申し訳ないけれど、その違いは大きすぎると思います。

もし、3万人の中高年自殺者が、ただ死ぬのではなく、日本を建て直すためにそれこそ一人一殺の心意気で世直しに立ち上がったら、それだけで日本は変わる。

個人主義が標榜される現代社会ですが、江戸の昔には、そもそも「個人」などという単語自体がありません。
あるのは、つねに「みんな」です。

誰もが世のため人のために生きるということを、あたりまえとしていたかつての日本。
いま、私たちが、学ばなければならない日本の姿のひとつが、そこにあるのではないかと思います。

さて、大暴れした権現堂川は、いまでは江戸川、利根川とは切り離された、農業灌漑用の小川となっています。
そして、川の沿線は、洪水の心配のない大規模な住宅地となっています。

長い歴史の中で、人が人と力を合わせることで、いかにしたら自然と共存し、自然と仲良くできるかを、創意工夫し続けて来たのが、日本の歴史です。

そういう自然と溶け込み、なんとかしてみんなで工夫することで共存しようとする思考は、やはり日本が多神教の国であり、根底に自然への感謝の想いがあるからなのであろうと思います。』

温泉も、あちこちあるし
自然の豊富な素敵な場所でした。

ここが、洪水で困っていた地域なんて( ̄◇ ̄;)

大地震に襲われても、ここなら助かりそう!!
と思いました。

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こんな静かで、ひろびろとしたところで
日向ぼっこできるニャンコは
幸せだニャン♪

2014年5月10日 (土)

小名木善行先生の☆生きるということ 福井文右衛門

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今朝は、朝からねずさんのブログを読んで感動していました!

この福井文左衛門さんの、お話は何回読んでもいいですね。


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『長生きをすることは、とっても良いことですし、幸せで素敵なことです。
一方、人の死には二つの死があります。
ひとつは肉体の死、もうひとつは人々から忘れ去られるという死です。
そういう意味において、福井文右衛門は、亡くなられてから300年経ったいまもなお、出間村に生きています。
福井文右衛門は、武将でもない。ただの一介のお代官にすぎなかった人です。
現代風にいえば、中堅企業の課長さんくらいの、名もない一介のサラリーマンです。
けれど、福井文右衛門の心は、いまも人々の間に生きています。

生きるということは、生かされているということだと思います。
何かの意味があって生きている。ひとりひとりが、きっと何かの使命をもって生きているのだと思います。
そしてその使命をまっとうし、人の肉体は滅んで行きます。
ひとりひとりの生きた証は、ほんのわずかな小さなものかもしれないけれど、その生きた証が積み重なって、わたしたちの国を築いています。
わたしたちは、日本という国のなかの、未来のための小さな証なのです。』

うーん、なるほど!!

日本的な、死についての受容のご教授ですね。。。

*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

前回のお話は、こちらです♪


nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1994.html

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ねず先生は

時々、ねず和尚さんになるな〜

って思うのはニャンだけニャンか?
( ̄ー ̄)

youtu.be/w2IxA6bUAJg

2014年5月 9日 (金)

小名木善行先生の☆百人一首(40〜42番歌)

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昨日のねずさんのブログの中で、ガラシャ夫人の辞世の句が紹介されていました。

 『散りぬべき時知りてこそ世の中の
 花も花なれ 人も人なれ

細川ガラシャ夫人は、戦国時代を代表する美人の誉れ高い女性です。
関ヶ原の戦いの少し前、やってきた石田三成の使いに捕らえられそうになり、家老の小笠原勝寄に、ふすま越しに槍で胸を突かせて自害しました。』

というところに、一日想像を巡らせて感動していました。

お市の方も同じお気持ちだったのでしょうね〜

私には、この死の受容がなかなかできなくて、
これから訪れるであろう大切な人とのお別れの受容なんて無理。
考えたくもありません。

そして、電車の中で観て
感動のあまり泣きそうになってしまった昭和天皇とマッカーサーの会見をお話ししているねず先生の動画。

youtu.be/e3Gh1_YhNDs

前に、ねずさんのブログで読んでいましたが、ねず先生のお話でさらにグッ!!っと心に響きました(T . T)

何て偉大な天皇さまなのでしょう。。。


さて、今日の百人一首は男の純情がテーマだそうで。。

==========
40番歌 平兼盛(たいらのかねもり)

しのぶれど色に出でにけりわが恋は
ものや思ふと人の問ふまで

しのふれと
いろにいてにけり
わかこひは
ものやおもふと
ひとのとふまて
=========

41番歌 壬生忠見(みんぶのただみ)

恋すてふわが名はまだき立ちにけり
人知れずこそ思ひそめしか

こひすてふ
わかなはまたき
たちにけり
ひとしれすこそ
おもひそめしか
==========

42番歌  清原元輔(きよはらのもとすけ)

契りきなかたみに袖をしぼりつつ
末の松山波越さじとは

ちきりきな
かたみにそてを
しほりつつ
すゑのまつやま
なみこさしとは
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〈歌にある想いには、自分を捨てた女性に対する恨みのようなものは微塵もありません。
むしろ、捨てられてなお、相手のことを想い、慕い、変わらぬ愛を抱き続ける純情と、そういう友を気遣う男友達のやさしさが、この歌からあふれ出ています。

どこまでも純。
どこまでも男。
そして男は、どこまでも女にやさしくあるべきという、日本男児の心が、この歌のテーマになっているのです。

前にも書きましたが、恋は、まさに糸がからまるよに激しく、そして悶々とする「戀」そのものです。
それだけに、熱く募る想いは、いきおい歌のテーマになりやすいものです。
そして百人一首に描かれる戀の歌は、そこに純情というひとつの糸が、ずっと通っているのです。
それが、いくつになって、いつまでたっても変わらない、大和男の心なのです。〉

確かに、女性が大切にされていた文化であるということはよーくわかりました。

このような心は、縄文時代から、いえ、もっと以前からあったのだと思います。

日本の国土には神様がいらして、その上に住む人間を感化しているのだと思います。

こういう時には、神様という存在が強く感じられるのに、

死に対する受容ができない、という矛盾を抱えております(ーー;)

あと、今回の和歌3首は私の心には届かない。

なんでだろう。

多分、これは男性と女性の恋に対する思いの違いからなのではないかしら?

そのうちわかるかな?

Image

大和男の純情ってニャンだろ。。

猫には、にゃいな。。
ただ、ゴロゴロするだけニャ(⌒▽⌒)

フワフワのスリスリ♪

最高にゃー♡

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