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2015年5月

2015年5月25日 (月)

東天の夜明けに輝く木星と金星

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今年、金星と木星と月が大接近するのは6月20日です。
私はこの夜空を見るのを、楽しみにしています(^-^)

【いま、夜明け前の東の空を見上げると、光り輝く大きな星が2つ輝いています。
上に見えるのが木星、下に見えるのが金星です。
木星のほうがちょっと暗く、金星はまるでビーナスのように明るく美しく輝いています。
この2つの星が、夜明け前の東の空に輝いているのです。

木星の神、ジュピターは、正義の神です。
金星は、ビーナス、美の女神です。
そして2つの星の輝きのあとからは、太陽が昇ります。
太陽は、日本の象徴です。

正義が実現され、美が実現され、陽がまた昇る。
まさにこれからの日本を象徴しているような気がします。】
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1556.html?sp
2012年06月28日のねずさんのひとりごとからの引用です。

この記事から三年経ちましたが、ねずさんのご活躍はめざましいものでした♡

ねずさんシリーズの本が4冊も刊行されました。

毎月講座も開かれるし、講演会は毎週どこかで開催される勢いです♪

ねずさんファンとしては、とても嬉しいことです。

私の当初の目的は達成されましたので、もうここは必要でなくなりました。

私の大好きなこの季節に、大好きな写真を最後に
こちらのブログはしばらく休止させていただきます。

今まで、ありがとうございました(^-^)
また、いつかどこかでお会いしましょう💝

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2015年5月18日 (月)

男の価値

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本日配信のねずマグは「男の価値」というお題で、謙徳公の和歌の解説でした。

【百人一首に謙徳公の歌があります。

 あはれともいふべき人は思ほえで
  身のいたずらになりぬべきかな

私は父からこの歌について、「謙徳というのは、つましくて徳の高いことだ。この歌は、そういう徳の高い人であっても、いざという時に不退転の決意を示すことが大事であることを詠んだ歌だ」と教わりました。】


不退転といえば、トンボですね。

【ウィキより抜粋

縁起
トンボは勝ち虫とよばれ縁起物であり、前にしか進まず退かないところから、「不転退(退くに転ぜず、決して退却をしない)」の精神を表すものとして、特に武士に喜ばれた。戦国時代には兜や鎧、箙(えびら)刀の鍔(つば)などの武具、陣羽織や印籠の装飾に用いられた。トンボを勝ち虫とする由来は雄略天皇が狩に出かけた際に詠んだ歌が元になっている。素早く飛び回り害虫を捕食し、前進するのみで後退しない攻撃的な姿からともいわれる。徳川四天王の一人本多忠勝は蜻蛉切(とんぼぎり)とよばれる長さ2丈(約6m)におよぶという長槍を愛用した。名前の由来は蜻蛉が穂先に止まった途端に真っ二つに切れてしまったという逸話にちなんでいる。】


そして私が今朝Facebookで目にした、家康とお勝ちのお話がすぐに思い浮かびました。


【晩年の徳川家康がめっちゃ可愛がったのがこの女性

家康にはたっくさんの側室がいましたが、特に寵愛を集めました

お勝は1578年に生まれました
江戸城を作ったといわれている太田道灌の流れをくむ家に生まれ、「お八」という名前でした

幼い頃から賢く、美少女だったそうです

が、お父さんが早く死んでしまい、貧乏生活を送ることになってしまいました

どこで家康と知り合ったのかはわかりませんが、13歳の時に家康の側室となっています

ですがまだ幼かったため、家康もさすがに自分のようなじーさんの相手は気の毒に思ったのか、家臣の松平正綱と結婚させました

ケド、なぜかお八は家康のもとへ戻ってきたのです
これには色んな諸説があり、お八が正綱を嫌がったのか?それとも、お八があまりにも美しく成長したため家康が惜しくなったのか?などなど

とにかく、家康のところに再度召しだされ名前を「お梶」と改めました

でもって、お梶が22歳の時、天下分け目の関ヶ原の合戦が始まります

この時お梶は大阪城に捕らえられていたのですが、うまく城を抜け出し、家康のいる関ヶ原へやってきたのです
で、関ヶ原の合戦は家康の勝利

家康はたいそう喜んで、「お前がきたから勝ったんじゃ!!これからは名をお勝としよう!」と、またもネーミング変更

家康は縁起をかつぎ、大阪の陣にもお勝を連れて行きました
数多い側室の中で、合戦にまでついていったのはお勝だけであります

そんなお勝にはこのような逸話が

ある日家康が家臣たちと「食べ物の中で何が一番おいしいか?」という話をしていました
みんながわいのわいの話していると、お勝が「塩でございましょう」と答えました

なぜか?と理由を尋ねると「どんな料理でも、塩が入っていなければおいしくないでしょう?」と答えました

家康は「では、次に一番まずいものはなんであろう?」とたずねました
するとお勝
「それも塩でございましょう。塩は入れすぎるとものすごく辛いですからね」

家康は「う~ん。そなたは賢いな」と、とても感心したそうです

そんなお勝は、家康との間に市姫という娘を産みました
ちなみにこの市姫は、家康にとって最後の子供となります

が、市姫が4歳の時に死んでしまいました
お勝はものすごーーーーーく悲しみました
かわいそうになった家康は、ほかの側室が生んだ息子をお勝の養子にしてあげます
この子がのちに御三家の一人となる徳川頼房であります

こうしてお勝は晩年の家康の寵愛を一身に受けました

家康が亡くなると、お勝は髪を下ろし英勝院と称しました
そして幸せな老後を過ごしたといわれています

お勝は63歳の時に病気になり死去します
そして養子の頼房の計らいで、鎌倉の英勝寺に手厚く葬られたのでした】
http://hagakurecafe.gozaru.jp/zyosei74okatu.html

今日偶然にも配信された謙徳公のお話と、家康とお勝ちのお話は、こんな感じで私の頭の中で一つのメッセージとして繋がりました(^_^)v


【この歌は、伊尹がまだ若い頃、女性を口説くために詠んだ歌です。
何を言っているのかといえば、「黙って俺についてくることが、おまえにとっての幸せなのだ」というのです。
普通、女性を口説くのに、なかなかそんなセリフは言えるものではありません。
けれど、それをサラリと言ってのけた。
日頃、つつましくておとなしくさえみえる男が、いざというときに、まさに本気の男を見せたのが、実はこの歌なのです。

男の値打ちというのは、地位の上下や財力の有無でなどではありません。
一旦緩急あるときに、本気を出せるかどうか。
それが「男の値打ち」です。】ねずマグ「男の価値」より引用

きっと家康も謙徳公も、本気を出せる値打ちのある男たちだったということですね♪

仕事にも恋にも本気を出すのが「男の価値」ということです(^_^)v

みなさんは、いかがですか?

2015年5月17日 (日)

江戸城天守閣が再建されなかった理由

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◯◯先生、こんばんは。
次世代の党を応援し、先日の次世代の党を応援する会におきましても壇上で応援メッセージを申し上げさせていただきました小名木善行です。

江戸城天守閣の再建についてですが、
私ども徳川直参旗本の家に生まれた者としては、江戸城は、
「天守閣がないことが誇り」です。

なぜ「天守閣がないことが誇り」なのか。
江戸城天守閣は、四代将軍家綱の時代に起きた「明暦の大火」で消失して以降、再建されずに今日に至っています。

なぜ徳川幕府は江戸城天守閣を再建しなかったのか。
武門の頂点として天下に権威権勢を誇るなら、そびえ立つ天守閣は不可欠です。
けれど徳川幕府は、天守閣の再建をしませんでした。

お金がなかったからではありません。
当時の徳川将軍というのは、日本一の大金持ちです。
そして当時の世界にあって、日本一ということは、世界一の大金持ちでさえもありました。
しかも通貨の発行権さえも持っていました。
大判小判から一分銀まで、通貨の発行権は徳川幕府が一元管理しています。
つまり、お金はあったのです。
けれど、天守閣の再建はしませんでした。

なぜか。
答えは「必要がなかったから」です。
それどころか、「天守閣の再建をしないこと」こそが、必要だったのです。

徳川幕府は、もともとは戦国大名の徳川氏です。
そして家康、秀忠、家光の三代で、国内の統一はほぼ完了しました。
この段階で必要なことは、武力にものを言わせる時代から、人々が平和に安心して暮らせる時代の構築です。

そういう武威を否定し平和を求めるという「志」を明確に持ったからこそ、幕府は武力の象徴としての天守閣をあえて再建せず、その経費をむしろ民生にまわしたのです。

それが4代将軍家綱の時代のできごとで、5代将軍綱吉の時代になると、生類憐れみの令が出ています。
生類憐れみの令のことを、お犬様と呼んだアホな将軍だとか犬公方だとか、悪口は多々あります。
江戸政権に言論の自由があったからです。
けれど、生類憐れみの令の本質は、お犬様ではありません。
殺すこと自体が悪だとして、猛烈な取り締まりを行ったのです。
犬より前に、人が人を殺す、人が武力を用いて人を殺したり傷つけたりすることの一切を禁じたのです。

武士は、人と戦い、人を殺す職業です。
けれどその武士たちに、腰の刀を用いてはいけないというおフレは出せません。
だからこそ、生類憐れみの令だったのです。
犬でさえ殺さないなら、人はもっと殺せないからです。

徳川幕府は、武家でありながら、武威の象徴である天守閣さえも再建しませんでした。
生類憐れみの令まで出して、武をあの時代にあって極限まで否定しました。
そしてそのことが、結果として、平和な江戸時代を築き、また武よりも学問を優先する時代を築き、また、何のための武なのかを武士が先頭をきってしっかりと踏まえる、平和な江戸武士の時代を築いたのです。

だからこそ、江戸城に天守閣が「ないこと」が、私達幕府旗本にとっては誇りでした。
そしてそのことは、同時に日本人にとっての誇りと誰もが考えました。

◯◯先生は、そうではなくて、武力を用いて他人に無理やり言うことを聞かせる、そういう時代を望んでおいでなのでしょうか。
そうでないなら、江戸城の天守閣の再建は、不要だし、すべきでないと私は思います。
再建の前に、なぜ徳川幕府は天守閣を再建しなかったのかを、しっかりと啓蒙していくことの方が、余程大事なことだと私は思います。

まして、いまの江戸城は、明治以降、皇居です。
天守閣は、その皇居を一般の観光客が「間近に見下ろす」ことになります。
そのような施設を、どうして作らなければならないのでしょうか。

単に観光になるからとか、儲かるからという前に、なぜ天守閣を作らなかったのか。
是非、そのことをいまいちど先生にお考えいただけたらと思います。

小名木善行 拝
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http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2643.html?sp


以前MLで、江戸城天守閣は再建すべきか、するべきではないか、で議論されたことがありました。

なるほど!!

徳川様は、このような理由で再建されなかったのですね〜

そうと知ったからには、江戸っ子として再建を支持するわけにはいきません。

このことをたくさんの方に知っていただいて、ご判断の材料にしていただきたいものですね(^_^)v

ねずさんの、この意見表明はかなりのお覚悟があったと察します。

きっと、近江神宮での「雄々しくあれ」というメッセージに影響されてのことですね。

そうでなければ、こういう形での発信はされないのが今までのねずさんですから。

これからも、どんどん「雄々しくあれ」発信をしていっていただきたいものですね^_−☆


2015年5月10日 (日)

【拡散希望】戦後70周年に向けて☆

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ご紹介する動画は、先日DVDで全国の教育関係者に約22万枚配布された動画です。
このたびYoutubeにもアップされました。

タイトルは、
「戦後70周年に向けて
 正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」です。

先の大戦だけでなく、古代からの日本の歴史を振り返り、大人から子供まで日本をあらためて考えるという内容になっています。

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http://youtu.be/cGBGZu2qTkU

こちらのねずさん動画は、昨日1日で凄いアクセスになってます。

面白いので、ぜひご覧ください(^-^)

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こちらは、昨日の倭塾の様子です。
満員御礼の中、とても楽しい授業だったようです。
動画配信があると、遠方の方でも
お仕事で参加できない方でも学べるのに。。。
残念です(T_T)

今日は五月晴れの素晴らしい日ですね〜
あちこちお散歩して、楽しまないともったいないですね(^_^)v

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