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2015年5月18日 (月)

男の価値

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本日配信のねずマグは「男の価値」というお題で、謙徳公の和歌の解説でした。

【百人一首に謙徳公の歌があります。

 あはれともいふべき人は思ほえで
  身のいたずらになりぬべきかな

私は父からこの歌について、「謙徳というのは、つましくて徳の高いことだ。この歌は、そういう徳の高い人であっても、いざという時に不退転の決意を示すことが大事であることを詠んだ歌だ」と教わりました。】


不退転といえば、トンボですね。

【ウィキより抜粋

縁起
トンボは勝ち虫とよばれ縁起物であり、前にしか進まず退かないところから、「不転退(退くに転ぜず、決して退却をしない)」の精神を表すものとして、特に武士に喜ばれた。戦国時代には兜や鎧、箙(えびら)刀の鍔(つば)などの武具、陣羽織や印籠の装飾に用いられた。トンボを勝ち虫とする由来は雄略天皇が狩に出かけた際に詠んだ歌が元になっている。素早く飛び回り害虫を捕食し、前進するのみで後退しない攻撃的な姿からともいわれる。徳川四天王の一人本多忠勝は蜻蛉切(とんぼぎり)とよばれる長さ2丈(約6m)におよぶという長槍を愛用した。名前の由来は蜻蛉が穂先に止まった途端に真っ二つに切れてしまったという逸話にちなんでいる。】


そして私が今朝Facebookで目にした、家康とお勝ちのお話がすぐに思い浮かびました。


【晩年の徳川家康がめっちゃ可愛がったのがこの女性

家康にはたっくさんの側室がいましたが、特に寵愛を集めました

お勝は1578年に生まれました
江戸城を作ったといわれている太田道灌の流れをくむ家に生まれ、「お八」という名前でした

幼い頃から賢く、美少女だったそうです

が、お父さんが早く死んでしまい、貧乏生活を送ることになってしまいました

どこで家康と知り合ったのかはわかりませんが、13歳の時に家康の側室となっています

ですがまだ幼かったため、家康もさすがに自分のようなじーさんの相手は気の毒に思ったのか、家臣の松平正綱と結婚させました

ケド、なぜかお八は家康のもとへ戻ってきたのです
これには色んな諸説があり、お八が正綱を嫌がったのか?それとも、お八があまりにも美しく成長したため家康が惜しくなったのか?などなど

とにかく、家康のところに再度召しだされ名前を「お梶」と改めました

でもって、お梶が22歳の時、天下分け目の関ヶ原の合戦が始まります

この時お梶は大阪城に捕らえられていたのですが、うまく城を抜け出し、家康のいる関ヶ原へやってきたのです
で、関ヶ原の合戦は家康の勝利

家康はたいそう喜んで、「お前がきたから勝ったんじゃ!!これからは名をお勝としよう!」と、またもネーミング変更

家康は縁起をかつぎ、大阪の陣にもお勝を連れて行きました
数多い側室の中で、合戦にまでついていったのはお勝だけであります

そんなお勝にはこのような逸話が

ある日家康が家臣たちと「食べ物の中で何が一番おいしいか?」という話をしていました
みんながわいのわいの話していると、お勝が「塩でございましょう」と答えました

なぜか?と理由を尋ねると「どんな料理でも、塩が入っていなければおいしくないでしょう?」と答えました

家康は「では、次に一番まずいものはなんであろう?」とたずねました
するとお勝
「それも塩でございましょう。塩は入れすぎるとものすごく辛いですからね」

家康は「う~ん。そなたは賢いな」と、とても感心したそうです

そんなお勝は、家康との間に市姫という娘を産みました
ちなみにこの市姫は、家康にとって最後の子供となります

が、市姫が4歳の時に死んでしまいました
お勝はものすごーーーーーく悲しみました
かわいそうになった家康は、ほかの側室が生んだ息子をお勝の養子にしてあげます
この子がのちに御三家の一人となる徳川頼房であります

こうしてお勝は晩年の家康の寵愛を一身に受けました

家康が亡くなると、お勝は髪を下ろし英勝院と称しました
そして幸せな老後を過ごしたといわれています

お勝は63歳の時に病気になり死去します
そして養子の頼房の計らいで、鎌倉の英勝寺に手厚く葬られたのでした】
http://hagakurecafe.gozaru.jp/zyosei74okatu.html

今日偶然にも配信された謙徳公のお話と、家康とお勝ちのお話は、こんな感じで私の頭の中で一つのメッセージとして繋がりました(^_^)v


【この歌は、伊尹がまだ若い頃、女性を口説くために詠んだ歌です。
何を言っているのかといえば、「黙って俺についてくることが、おまえにとっての幸せなのだ」というのです。
普通、女性を口説くのに、なかなかそんなセリフは言えるものではありません。
けれど、それをサラリと言ってのけた。
日頃、つつましくておとなしくさえみえる男が、いざというときに、まさに本気の男を見せたのが、実はこの歌なのです。

男の値打ちというのは、地位の上下や財力の有無でなどではありません。
一旦緩急あるときに、本気を出せるかどうか。
それが「男の値打ち」です。】ねずマグ「男の価値」より引用

きっと家康も謙徳公も、本気を出せる値打ちのある男たちだったということですね♪

仕事にも恋にも本気を出すのが「男の価値」ということです(^_^)v

みなさんは、いかがですか?

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