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2015年12月

2015年12月23日 (水)

口難口事にご用心

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先日、生まれて初めて沖縄に行ってきました。
沖縄については、政治的な問題だけがネット上で一人歩きしているので、何となく沖縄の方に対して偏見を持ってしまっていました。

ところが本当のところは、全く違いました。
新聞が反日しようが、政治が反日しようが、沖縄で暮らす方々は
本土の私たちが忘れてしまった、古代から伝わる大和の伝統と文化が途切れることなく、まるでタイムスリップしたかのような、当時のままを想像させるかのような、町でした。

外人を受け入れながらも、大切なところではしっかりと区別しています。

血族意識が強いので、国際結婚とかはされる方は少ないのではないでしょうか。

国際通りには、たくさんのスピリチュアルのお店が多かったので不思議でした。
牧志の駅に着くと、ふと目に入った図書館。
そこで沖縄の歴史を調べながら、ふと目にとまったこちらの本。
あまりにもスピリチュアル過ぎて、信じられませんでした。

ところが帰りの飛行機に隣に座った可愛い沖縄のお嬢さんと仲良しになって、お話すると、
でるわでるわ。
この本以上にスピリチュアルな沖縄の方々の生の生活をお聞きしてしまいました!!

最高にビックリしたのは。。
ユタの修行の場に、招かれていない人が踏み込むと殺されてしまう、ということでした💦💦
これ、もしかして警察の手も届かない?
心臓麻痺とかで処理されてしまうとか?

大切なお墓参りしないとバチが当たる、とか。
血族が大切されて、年に一度はバス何台も借り切ってハイキングに行く、とか。。
初めてお聞きする、沖縄の風習に驚きっぱなしの2時間のフライトでした。

それで、牧志の図書館で出会った⬆︎の本を読みはじめました。

その中で一部ご紹介を。

世の中には、批難中傷が尽きません。
人を妬んだり、恨んだりする人も多いということです。

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「禍は口より出ず」ということわざがあるが、沖縄にも似た言葉があって、これを「口難口事」という。
相手からの妬み、嫉妬、怨みといった悪感情に根ざした言葉が我が身に入ることを意味し、もしこういう悪口を受けてしまうと体調を崩したり、気鬱になったり、仕事に身が入らなくなったり、やることなすことうまくいかなくなってしまうという。

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モノカキは自分の意見や主張を世間に向けて発表することを生業にしているので、ただでさえ異論や反感を持つ人をこしらえやすい。
なかには考え方が極端に異なる人もいるだろうし、書いた内容によっては目くじらを立てて激昂する人だっているはず。

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この職業は本が売れるほど反感を買う人も自動的に増えるわけだから、口難口事は増加の一途を辿ることになりやしないか。

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生き霊といえば生きている人物の分身みたいなのをつい想像してしまうのだが、霊能者によれば口難口事も生き霊の一種だという。
しかも、生き霊のなかでもいちばんやっかいな存在だそうで、場合によっては、人をあやめることができるくらい強烈な影響を相手に及ぼすという。

***

悪口をいわれたり、悪感情を向けられた相手は禍を受けるものの、禍の原因が誰かの口難口事によるものであることに相手が気づいたとき、禍の矢は一転して悪感情を抱いた人に向けられるというのだ。
しかも、その禍や苦しみは倍になって跳ね返ってくるという。

***
では、口難口事を祓いたいときはどうするのか。
口難口事を発しているのが誰だかわかれば、その人物が住んでいる方向を向いて、次のようなウグワンを立てると良いのだそうだ。
「私に対するヤナ口(いやな言葉)は相手に返し、よい口にして戻してください」
ただし、このときは自分に口難口事を招くようなふるまいがなかったかどうか内省し、これからは自分もよき心で相手を迎えると意思表示することが大切だという。

***

これを読んで私が思いだしたのは古事記でした💝

古事記には、有名なイザナキ、イザナミの神話があります。
ご存知の方は、そのラストシーンで、半狂乱になって黄泉の国から追いかけてきたイザナミが、千引岩を挟んで夫のイザナキと対峙したときの対話です。

ミ「愛しき我が夫の命(みこと)よ、お前がこのようなことをなさるなら、私は汝の国の人草を一日に千人絞(くび)り殺しましょう」

キ「愛しき我が妻よ、おまえがそうするなら私は一日に千五百の産屋(うぶや)を建てよう」

女性が半狂乱になって追いかけてくるシーンばかりが強調されているようですが、この会話が重要です。
イザナミは「毎日千人殺す」と言っています。
そう言われたら、普通はどうするでしょうか。

たとえばISがが「日本でこれから毎日千人殺す」と言ってきたら、どうするでしょうか。
そういう設問なのです。
普通なら、「おい、やめてくれ!」と懇願するか、怒鳴るか、千引岩を開けて黄泉の国へ攻め込むか、つまり相手に軍事的制裁を加えるか。
そんな選択しかないと思います。

けれど古事記は、「ならば私はこれから毎日1500の産屋を建てるよ」と答えているのです。
相手の主張に対して、怒るわけでもなければ、拒否するわけでもない。叱るわけでもない。受け入れ協調するわけでもない。相手の言いなりになるわけでもない。
まったく第三の選択として、もっと多くの子を生むよ、と答えています。

これが日本的和の精神の神髄です。
協調でもなければ、迎合でもない。
対立でもなければ闘争でもない。
相手を受け入れ、それ以上の良い結果を見出しています。

これが古事記に書かれた日本人の知恵です。
こういうことを、1300年前の古事記が書いているのです。
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2839.html?sp
***

このように相手の全てを受け入れて、1000のマイナスパワーを受けたら、1500のプラスパワーで対処していくということでした。

口難口事を相手にお返しして、よい口にして戻していただいて
1500のよい口を発していく。

この二つは、幸運のためのセットかも(^_^)v

ってわかってしまいました🎶🎶🎶

沖縄の知恵って素晴らしい!!
これからも、沖縄の研究を続けたいと思います。
幸せに生きていく知恵がいっぱいつまっているはずです。

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首里城で見つけたススキ。
沖縄には、セイタカアワダチソウが一つもなくて、シラガ頭になっていない本来のススキが元気よく茂っていました。
また、沖縄に行きます。
そして、私たちが忘れてしまった心を教えてもらいます(^-^)

2015年12月 9日 (水)

小野小町と「小さな恋の物語」

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 うつつには さもこそあらめ
 夢にさへ 人めをもると 見るがわびしさ

私の大好きな和歌の一つです。

何と書いてあるのか読めなくって、お友達に教えてもらったりしましたが
どんな意味なのか。。。

ある日、ねずブロにアップされていたのでビックリしました💦

こういう不思議な偶然って、ねずブロの読者なら度々経験されてらっしゃるのではないでしょうか✨

***
夢にまで見た憧れの君です。
夢の中でさえ、恥ずかしくって、
正面からお顔をみることさえできないのに、
現実にお逢いするなんて、
あまりにも恥ずかしすぎてお顔さえ見れない。
それでとってもわびしくてもったいないことですのに。

そんなニュアンスの歌なのではないでしょうか


***

つまりこの歌は、一般の解釈のように「人目を避けて逢うことへの嘆き節」だとか、「夢だけじゃなくリアルにも逢えない辛さ」だとかいうような「しみったれた歌」などでは全然なくて、絶世の美女と人に讃えられた、そんな小野小町であっても、大好きな人との出会いにふるえる、そんな純粋な心を持った乙女であることを象徴した歌ということができます。

輝くばかりの美女でも、心の中は、純粋で恥ずかしがり屋の少女であり乙女なのです。
その意味では、一般の普通の女性そのものです。
人は外見ではない。
心の純粋さや、内側にある心は、美女であっても、普通であっても、みんな同じです。
そして、そのような心を持った女性を、美女と讃えたのが日本の古代です。

少し考えたらわかることですが、このとき忍んで行った男の子の側も、なんたって小野小町という絶世の美女のもとに忍んで行くのです。
もしかしたら、自分なんて歯牙にもかけてもらえないかもしれないという不安な気持ちを持ちながら、小町のもとに忍んで行ったに違いないのです。
つまり、小町も、相手の男性も、お互いに夢にまで見た相手とリアルに逢っています。
そして逢いながら、お互いに恥ずかしくて顔を合わせることさえできないでいます。
すこし生臭い表現をしますが、心の高鳴りやトキメキこそが大事なのです。

近年、男女の仲を、ただの肉体の関係みたいに扱うドラマや小説が増えてきているような気がします。
しかし人間は獣(けだもの)ではありません。
愛しあう心のふれあいや、心の高鳴りがあって、はじめてそこに悦びがあります。
そういうことがわからないと、女性をただの性の道具に見立てる馬鹿者が生まれます。

典型が、慰安婦性奴隷という、韓流日本人の造語です。
心こそ大事。
そう思うからこそ、戦前の日本人は、ただの売春婦に、兵隊さんが亡くなる前に最後に接してなぐさめ安心させるご婦人という意味で慰安婦と名づけているのです。
性奴隷と慰安婦では、そこに天地ほどの意味の開きがあります。

 好いた惚(ほ)れたと
 けだものごっこがまかり通る世の中でございます。
 好いた惚れたは、もともと心が決めるもの。
 こんなことを申し上げる私も、
 やっぱり古い人間なんでござんしょうかね。

鶴田浩二の「傷だらけの人生」の歌にあるセリフです。
この通りと思います。
そして心のトキメキをなにより大切にしてきたのが、日本人だし、1200年以上昔の小野小町が詠んだこの歌が、いまでも多くの日本人に愛されている理由だと思います。

小町の詠んだ歌は、女性の立場からの歌ですが、こうした心理は、中高年になってからでもあるものだと思います。
密かに想う憧れの君がいる。
夢にまで見てしまう。
けれど、リアルにその人と会うと、ただのおじさんやおばさんを演じてしまう。
そんな自分を見る(感じる)さみしさ、みたいな感じです。

 うつつには さもこそあらめ
 夢にさへ 人めをもると
 見るがわびしさ

それにしても、小町の心をここまでとろかした「やんごとなき君」って、いったい誰なんでしょうかね。
まさに男冥利に尽きるというか。。。。

***

こちらのブログをお読みいただいてから
⬇︎の動画を見ていただくと、より理解が深まります♪

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youtu.be/43dXpQ16_bY


ねずブロを読んでからねずさんの動画を見ると、より分かりやすいです。

私が大好きなブログと動画をセットにして、これからもご紹介させていただきますね(^_^)v

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