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2016年3月

2016年3月26日 (土)

祝☆神谷宗幣さん『坂本龍馬に学ぶ「仲間をつくる力」』出版記念パーティ

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今夜は、神谷さんの出版記念パーティに伺いました。
毎週、ねずさんとの目からウロコの日本の歴史を楽しみにしているので、一言お礼を伝えたかったのです。

実物の神谷さんは、番組のまんまの素敵な好青年の方でした💝

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これからも、日本のために頑張っていただきたいと、心から思える政治家の方です。
未来の総理大臣になーれ✨✨✨🇯🇵

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このケーキ最高でした!!!

坂本龍馬のお兄さまのご子孫の方も、ご参加され
神谷さんを応援されてらっしゃいました(^_^)v

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そして、とっても嬉しいことに
帰りの道では、今年初めての桜とお月様が、ふと見上げると目の前にありました。
すっごいラッキー✨✨✌️
神谷さんの笑顔を思い出しました。
少し前までは、「怒リンボ保守のおじさん」ばかりで、お花畑の一般の人と乖離していましたよね。
怒れば怒るほど、お花畑には受け入れられなくって。。
だけど、ねずさんや神谷さんは、爽やかな笑顔とユーモアで、お花畑の一般にも受け入れられます。
これは、とても大切な事ですね。
笑顔の素敵な「日本のこころを大切にする」方々が、日本を守る原動力になってくれますように。。。

そんなことを、お月様にお願いしながら帰ってきました(^_^)v

2016年3月22日 (火)

第26回倭塾での中山恭子先生のお話に感動♡

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3月13日の倭塾動画が、昨日配信されました。

その中で、恭子先生のお話がメチャメチャ感動したものですから
感動のお裾分けをしたくなりました!!
政治嫌いの私が、これだけ感動したのですから、このお話で今回の選挙の目玉となされば
きっと政治嫌いな有権者が、「日本」を応援されること間違いなし!です。

***

私が国会議員になりましてから、8年半になりました。
その政治の場で、しっくりこない、自分の居場所でないという思いがありました。
日本の政治の世界は、何か余所者ののような、日本の社会から離れているような、そんな印象がありました。

何でだろうと考えている中で、国会を中心とした政治の世界というものが、本当の日本ではなくて、『輸入してきたもので作ってある』という場であるということです。
日本的な感覚でものを言いましても、まったく受け入れてくれる場所がありません。
すべてが主義で考えられているということでございます。

自由主義、民主主義、社会主義、共産主義、保守主義、すべてが元々アメリカ、西欧の主義の世界であると思いますが、特に戦後、日本に入ってきたものはアメリカ的な主義で、政治の世界が支配されているという印象を強く持ちました。

主義というものが悪いばかりでなく、良い面もたくさんありますので、主義の全てを否定しようというつもりはありませんが、主義だけで日本の政治が行われているということは、やはり、何かが欠けているのではないかという思いがありました。

その主義のグループを一つの柱とするのであれば、もう一つの『日本の社会がずっと長い年月をかけてつくりあげてきた日本の有り様、日本の素直な心』が、もう一つの柱として、政治の場でも立っていなければいけない、そのような思いから党名を「日本の心を大切にする党」という名前に変えました。

戦後の政治というものは、輸入品の政治だけではおかしいです。

やはり、日本がずーっと培ってきたものを一つの柱にしたいという思いのあらわれだとお考えいただけたら嬉しいです。

民主主義のような多数決で決めるだけでは、日本の温かい社会を作り上げることはできません。

「日本の心」とは、誰か1人が考えたものではなくて、長い歴史で考えられた皇紀2672年のもの、
縄文時代一万年という長い時間をかけてきた「日本の心」は、法律で書いてあるわけでなく、長い年月をかけて「良い、悪い」を決めてきたものです。

昭和18年にフランスのポール・クローデルが、パリの中枢で数百人の有識者の前で
「私にとって世界の中で、どうしても滅びて欲しくない、ただ一つの民族があります。
それは日本人であります。
日本は貧しい。ですが日本人は高貴です。」と自分の身の危険を冒してまで結んでくれました。

そんな素晴らしい「日本の心」を、みんなで建て直したい。

政治の場では、徹底して「悪」であるとされている「日本の心」を、何とか政治の場でも取り戻したいです。

「日本を大切にする党」は、略称「日本」になりました。

私たちを「日本」と呼んでください。

自民党が、本来の自民党でない、本来の主張も出来ない中で

これでは、「日本がうす汚れたもの」になってしまう、これではいけないという思いがあります。

「美しい佇まいの日本」というものを、しっかりと主張する人々が、国会の中にいなければいけないのです。

戦争なんて、誰も望まないし考えてもいません。

日本の持っている「底力」といえば、文化、風俗、習慣です。
この事が、日本の中でしっかりとすれば、国際社会で日本が貢献できます。
皆様、よろしくお願い申し上げます。

***

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お話が終わって、日心会メンバーから、恭子先生へ花束がプレゼントされました💕


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斉彬先生、ねず先生とにこやかになさってる様子が、動画から伝わってきました(^-^)


私は、何度か恭子先生のお話をうかがいましたが、これほど共感できるものは初めてでした。

日本の政治の場に、日本の心を取り入れてもらえるなら、そんな嘘みたいで夢のようなことが実現できるのは「日本」以外にありません。

どうか、皆様
次回の選挙では「日本」の応援をよろしくお願い申し上げます(^_^)v

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玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば

忍ぶることの 弱りもぞする


恭子先生と式子内親王の思いが、なぜか重なりました。
やはり、素敵な大和撫子は、千年前も現在も同じ心をお持ちなのですね(^-^)

恭子先生、頑張ってください💕💕💐


2016年3月10日 (木)

小名木先生☆熱田神宮文化講座のお知らせ♪

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名古屋の熱田神宮では、文化殿におきまして、毎年、テーマに沿って各界より著名人を招聘し、講演会を開催しています。
聴講は無料で、全講座聴講の方には、聴講修了証が発行されています。
毎回、満員御礼で、会場の都合で満席になると入場制限になる場合があるそうです。

その文化講座の今月12日は、私の講演になります。
名古屋方面においでの方は、是非、お越しいただければと思います。

1 日時  平成28年3月12日(土)14時〜16時
2 場所  熱田神宮文化殿講堂
      愛知県名古屋市熱田区神宮1丁目1−1
3 名称  平成27年度熱田神宮文化講座
4 講師  小名木善行
5 演題  日本人の誇り(百人一首とシラス国)
6 料金  無料

☆☆☆☆☆

凄いですね〜(^-^)

私も受講したいのですが、仕事で行かれません。

お近くの方は、是非ご参加下さいね♪

ねず先生、頑張ってらして下さい。

翌日は倭塾もありますから、大忙しの週末ですね。

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2016年3月 8日 (火)

和泉式部

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あらさらむ この世のほかの 思い出に

いまひとたびの 逢ふこともがな

もうじき私はこの世から去りますが、あの世への思い出に、もう一度あの人に逢いたいのです。

***
この歌を詠んだ和泉式部は、日記文学の代表作『和泉式部日記』でも有名な女性です。
和漢の詩歌に通じ平安時代を代表する女流歌人であった彼女が、晩年、「自らの死を前にして詠んだ」のがこの歌です。


この歌は『後拾遺集』(七六三)に掲載されていますが、詞書には「心地例ならず侍りける頃、ひとのもとにつかはしける」と記されています。
病に侵され、あと数日の命と知ったとき、彼女は自らの思いを歌に詠み、親しい人にこの歌を送っているわけです。
逢いたい相手が誰なのか定かではありません。
仏門に帰依した身としては不謹慎とも思える歌ですが、彼女は人生の思いのすべてを、この一首に託したのです。


いかでわれ この世のほかの 思ひ出に

風をいとはで 花をながめむ

西行


心もて この世のほかを 通しとて

岩屋の奥の 雪を見ぬかな

藤原定家

いかに和泉式部が天才歌人だったかということ、たった三十一文字の短い言葉のなかに、一人の女性の壮大な人生ドラマと、その時代背景までをも詠むことができるということ、そして彼女が今も私たちの心の中に生きていることを、藤原公任の「名こそ流れてなほ聞こえけれ」の歌と並べることで、定家は伝えたかったのだと思います。


『ねずさんの日本の心で読み解く「百人一首」: 千年の時を超えて明かされる真実』
より引用
s.ameblo.jp/inukayh777/entry-12136955172.html

☆☆☆
『「妻をひとりにしておいてあげよう」と、しばらく家を空けて実家に帰ってしまいます。
それは夫の妻を思いやるやさしさでした。
けれどそのことが和泉式部には、夫に見捨てられてしまったように感じられてしまいます。

そこで和泉式部は、縁結びの神様として有名な貴船神社にお参りに行きます。
その参拝の帰りに、和泉式部が詠んだ歌があります。

 もの思へば 沢の蛍も 我が身より
 あくがれいづる 魂かとぞみる

この歌には和泉式部の詞書があります。そこには次のように書いてあります。

 男に忘られて侍りける頃、
 貴船にまゐりて、
 御手洗川にほたるの
 飛び侍りけるを見て詠める

和泉式部は、夫のおもいやりを、自分が夫に忘れられたと思えてしまったのです。
だから貴船神社にお参りをしました。
その帰り道、暗くなった神社の麓に流れる御手洗川に、たくさんのホタルが飛んでいる姿を見て、自分の魂も、もうこの肉体から離れて(死んで)あのホタルとなって、何も考えずに自由に飛び回りたい、そんな歌です。

ところがこの歌を詠んだとき、和泉式部の頭の中に、貴船の神様の声がこだまします。
その声を、和泉式部は歌にして書き留めています。

 奥山に たぎりておつる 滝つ瀬の
 たまちるばかり 物な思ひそ

貴船神社の御神体は、神社の奥にある滝です。
その滝が「たぎり落ちる」ように魂が散る、つまり毎日、多くの人がお亡くなりになっています。
要約すると神様の声は、次のようになります。

 貴船神社の奥にある山で、
 たぎり落ちている滝の瀬のように、
 おまえは魂が散ることばかりを思っておるのか?
 人は、いつかは死ぬものじゃ。
 毎日、滝のように多くの人が
 様々な事由で亡くなっていることをお前も存じておろう。
 人は生きれば、いずれは死ぬのじゃ。
 おまえはまだ生きている。
 生きているじゃないか。
 生きていればこそ、ものも思えるのじゃ。
 なのになぜお前は魂の散ることばかりを思うのじゃ。

和泉式部は、夫のとの間にできた男の子が元服したのを機会に、そのやさしい夫である藤原保昌から逃げるように、夫に無断で、尼寺に入ってしまいます。
彼女はそのとき、すでに四十七〜八歳となっていたようです(正確な年齢はわからない)。
寺の性空上人は、和泉式部が髪をまるめたとき、自分が着ていた墨染めの袈裟衣を和泉式部に渡してくれました。そして、
「この墨染の衣のように、すべてを墨に流して御仏にすがりなさい」と仰しゃいました。
彼女も、その衣を着ることで、現世の欲望を絶ち、仏僧として余生を過ごそうと決意しました。

ところが、出家して間もないころ、彼女は不治の病に倒れてしまうのです。
医師の見立てでは、あと二〜三日の命ということでした。
そうと知った彼女は、病の床で、最後の歌を詠みました。
それが冒頭の、

 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
 いまひとたびの 逢ふこともがな

です。彼女はその歌を、親しい友に託しました。
人生の最後に、和泉式部が「もう一度逢いたい、そのあたたかな胸に抱かれたい」と詠んだ相手が誰だったのかはわかりません。

彼女は亡くなりました。
和泉式部は生前にたくさんの歌を遺しました。
彼女の歌で、特に秀逸とされるのは哀傷歌といって、為尊親王がお亡くなりになったときに、その悲嘆の気持ちを詠んだ歌の数々とされています。

けれど小倉百人一首の選者の藤原定家は、和泉式部を代表する歌として、彼女の晩年の最後のこの歌を選びました。
歌に使われる文字は、たったの31文字です。
そして、その歌にある表面上の意味は、たんに「もう一度逢いしたい」というものです。
けれど、そのたった31文字の短い言葉の後ろに、ひとりの女性の生きた時代と、その人生の広大なドラマがあります。
人の生きた証が、そこに込められているのです。』
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2932.html?sp


**

和泉式部が最後に逢いたかった人は誰だったのだろう、ずーっと考えてきました。

上のねずさんの「和泉式部まとめ」的なブログを読んで、やっと謎が解けました。

やはり、和泉式部の中に
イサナミから始まる日本女性としての美徳が受け継がれなければ、私たちに共感をもたらすことは、できません。

弟橘媛や豊玉姫、民さん、いろいろな感動する女性の愛の美徳の共通点を考えれば、和泉式部の逢いたかった人がわかります。

不幸な結婚に終止符を打って、愛に生き、たくさんの哀しみと喜びを和歌に託す人生を送った和泉式部。

最後に愛した夫の保昌とは、心のすれ違いで、その溝は埋まることなく出家されたのだと私は思います。

死ぬ間際、逢いたかった人は保昌としか考えられませんね。

和泉式部の非凡で悲しい人生は、ご神命であったのでしょう。

うかれ女と言われても、式部の愛は純粋だったのです。

平凡で、ありきたりの幸せの中で生きる私たちに、
愛することの素晴らしさ、悲しさを、そして全身全霊で愛と向き合って生きた人生を、現代に生きる私たちに、静かに語りかけてくれるます。
心の中にこの和歌を育むかぎり
和泉式部は愛というものを、惜しみなく教えてくれるのではないでしょうか。

本当に素敵ですね💖

2016年3月 6日 (日)

百人一首五十五番歌 大納言公任(966〜1041)

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s.ameblo.jp/inukayh777/entry-12136256577.html


滝の音は 絶えて久しく なりぬれど

名こそ流れて なほ聞こえけれ

今はもう枯れてしまった滝だけれど、滝の音色の素晴らしさは、今も世間に流れて聞こえています。

***

五十三番から六十二番まで女流歌人の歌が続くのですが、なぜか五十五番にだけ、男性の歌が入っています。
そういう点にも注目して歌を詠んでいくと、配列に隠された、ある意図を見出すことができます。


『拾遺集』の詞書には、「大覚寺に人々あまたまかりたりけるに、古き滝を詠み侍りける」とあります。


このお寺に人々が集まったときに、大納言であった藤原公任が、「今はもう枯れて水のなくなった滝」を詠んだのがこの歌です。


昔の人は「人は神様になるために生まれてくる」と信じ、「この世は心と魂を浄化し鍛えるための場」と考えていました。
この世に生を受け、「まこと」を尽くして生きることで心魂を鍛え、あちらの世に還っていくのです。
肉体は滅んでも魂は永遠という考え方です。

そして人の死には二つあります。
ひとつは肉体の死、もう一つは人々の記憶から消えてしまう死です。
人々の記憶の中に生きることは、立派な生のひとつだと考えられていました。
だからこそ、枯れた滝を見て「名こそ流れてなほ聞こえけれ」と詠んでいるのです。
たとえ肉体は滅んでも、その人(個)は人々(集)の心の中に生きているという思想がここにあります。
それが、大納言公任の歌の真意なのです。


『ねずさんの日本の心で読み解く「百人一首」: 千年の時を超えて明かされる真実』
より引用


この部分は、最近私がはまっている矢作先生の著書と同じ価値観で解説されていました。

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この中の、「おかげさまで生きる」の21ページに書かれてあります。

『古来、日本人は生と死を同一視していました。
一万年を超える歴史を持ち、この世とあの世を精神レベルで自在につなぐことができた日本人は、死は単なる肉体死であり、魂は永遠の存在であると知っていたからです。
自分たちが大いなる存在に生かされている事実を知り、大自然と融合して生きることが最も大切だと知っていたのです。
だからこそ、そうした霊性の高さを失いつつある現在の状況はこまったものです。』

また、「見守られて生きる」の12ページには
『魂についてのお話は冒頭の通りですが、私たち人間という存在は「霊・心・体」の三つのバランスで構成されています。
ここでいうところの霊とは「たま」であり、これを魂と簡単に理解していただいても構いません。
こういう話はピンと来る人もいれば、いつまで話してもわからない人までさまざまですから、私自身は論争を仕掛けるつもりも受けるつもりもありません。
自分が実感していることを述べるだけです。
それでも申し上げたいこと、それは霊(魂)・心・体という構造があるとかないとかいうレベルの議論を、そろそろやめたほうが良いということです。
科学万能主義である現在の世界では、そんなものがあるわけないという意見が大半を占めています。
しかし今の科学で証明できないものを、ないと主張する行為はいかがなものでしょうか。
長年刷り込まれた「意識の壁」を乗り越える時期に、私たちはそろそろ差し掛かっているのではないでしょうか。』

矢作先生の著書を読んで、ねずブロ、ねずさんの著書、ねずさんの百人一首、ねずさんの古事記と
全く同じスタンスである事が、私には感動でした!!

この部分が理解できない方には、日本古来の死生観、文学、日本人としての心の在り方、武士道とか、全ての価値観を理解することができないのだと思います。


ここに根ざした「ねずさんの古事記」の発売が楽しみです(^_^)v

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youtu.be/EQaW0sOwIjM

こちらの動画も、「魂・心・体」についてわかりやすい説明でしたので、ご紹介します(^_^)v

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