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2016年3月 8日 (火)

和泉式部

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あらさらむ この世のほかの 思い出に

いまひとたびの 逢ふこともがな

もうじき私はこの世から去りますが、あの世への思い出に、もう一度あの人に逢いたいのです。

***
この歌を詠んだ和泉式部は、日記文学の代表作『和泉式部日記』でも有名な女性です。
和漢の詩歌に通じ平安時代を代表する女流歌人であった彼女が、晩年、「自らの死を前にして詠んだ」のがこの歌です。


この歌は『後拾遺集』(七六三)に掲載されていますが、詞書には「心地例ならず侍りける頃、ひとのもとにつかはしける」と記されています。
病に侵され、あと数日の命と知ったとき、彼女は自らの思いを歌に詠み、親しい人にこの歌を送っているわけです。
逢いたい相手が誰なのか定かではありません。
仏門に帰依した身としては不謹慎とも思える歌ですが、彼女は人生の思いのすべてを、この一首に託したのです。


いかでわれ この世のほかの 思ひ出に

風をいとはで 花をながめむ

西行


心もて この世のほかを 通しとて

岩屋の奥の 雪を見ぬかな

藤原定家

いかに和泉式部が天才歌人だったかということ、たった三十一文字の短い言葉のなかに、一人の女性の壮大な人生ドラマと、その時代背景までをも詠むことができるということ、そして彼女が今も私たちの心の中に生きていることを、藤原公任の「名こそ流れてなほ聞こえけれ」の歌と並べることで、定家は伝えたかったのだと思います。


『ねずさんの日本の心で読み解く「百人一首」: 千年の時を超えて明かされる真実』
より引用
s.ameblo.jp/inukayh777/entry-12136955172.html

☆☆☆
『「妻をひとりにしておいてあげよう」と、しばらく家を空けて実家に帰ってしまいます。
それは夫の妻を思いやるやさしさでした。
けれどそのことが和泉式部には、夫に見捨てられてしまったように感じられてしまいます。

そこで和泉式部は、縁結びの神様として有名な貴船神社にお参りに行きます。
その参拝の帰りに、和泉式部が詠んだ歌があります。

 もの思へば 沢の蛍も 我が身より
 あくがれいづる 魂かとぞみる

この歌には和泉式部の詞書があります。そこには次のように書いてあります。

 男に忘られて侍りける頃、
 貴船にまゐりて、
 御手洗川にほたるの
 飛び侍りけるを見て詠める

和泉式部は、夫のおもいやりを、自分が夫に忘れられたと思えてしまったのです。
だから貴船神社にお参りをしました。
その帰り道、暗くなった神社の麓に流れる御手洗川に、たくさんのホタルが飛んでいる姿を見て、自分の魂も、もうこの肉体から離れて(死んで)あのホタルとなって、何も考えずに自由に飛び回りたい、そんな歌です。

ところがこの歌を詠んだとき、和泉式部の頭の中に、貴船の神様の声がこだまします。
その声を、和泉式部は歌にして書き留めています。

 奥山に たぎりておつる 滝つ瀬の
 たまちるばかり 物な思ひそ

貴船神社の御神体は、神社の奥にある滝です。
その滝が「たぎり落ちる」ように魂が散る、つまり毎日、多くの人がお亡くなりになっています。
要約すると神様の声は、次のようになります。

 貴船神社の奥にある山で、
 たぎり落ちている滝の瀬のように、
 おまえは魂が散ることばかりを思っておるのか?
 人は、いつかは死ぬものじゃ。
 毎日、滝のように多くの人が
 様々な事由で亡くなっていることをお前も存じておろう。
 人は生きれば、いずれは死ぬのじゃ。
 おまえはまだ生きている。
 生きているじゃないか。
 生きていればこそ、ものも思えるのじゃ。
 なのになぜお前は魂の散ることばかりを思うのじゃ。

和泉式部は、夫のとの間にできた男の子が元服したのを機会に、そのやさしい夫である藤原保昌から逃げるように、夫に無断で、尼寺に入ってしまいます。
彼女はそのとき、すでに四十七〜八歳となっていたようです(正確な年齢はわからない)。
寺の性空上人は、和泉式部が髪をまるめたとき、自分が着ていた墨染めの袈裟衣を和泉式部に渡してくれました。そして、
「この墨染の衣のように、すべてを墨に流して御仏にすがりなさい」と仰しゃいました。
彼女も、その衣を着ることで、現世の欲望を絶ち、仏僧として余生を過ごそうと決意しました。

ところが、出家して間もないころ、彼女は不治の病に倒れてしまうのです。
医師の見立てでは、あと二〜三日の命ということでした。
そうと知った彼女は、病の床で、最後の歌を詠みました。
それが冒頭の、

 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
 いまひとたびの 逢ふこともがな

です。彼女はその歌を、親しい友に託しました。
人生の最後に、和泉式部が「もう一度逢いたい、そのあたたかな胸に抱かれたい」と詠んだ相手が誰だったのかはわかりません。

彼女は亡くなりました。
和泉式部は生前にたくさんの歌を遺しました。
彼女の歌で、特に秀逸とされるのは哀傷歌といって、為尊親王がお亡くなりになったときに、その悲嘆の気持ちを詠んだ歌の数々とされています。

けれど小倉百人一首の選者の藤原定家は、和泉式部を代表する歌として、彼女の晩年の最後のこの歌を選びました。
歌に使われる文字は、たったの31文字です。
そして、その歌にある表面上の意味は、たんに「もう一度逢いしたい」というものです。
けれど、そのたった31文字の短い言葉の後ろに、ひとりの女性の生きた時代と、その人生の広大なドラマがあります。
人の生きた証が、そこに込められているのです。』
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2932.html?sp


**

和泉式部が最後に逢いたかった人は誰だったのだろう、ずーっと考えてきました。

上のねずさんの「和泉式部まとめ」的なブログを読んで、やっと謎が解けました。

やはり、和泉式部の中に
イサナミから始まる日本女性としての美徳が受け継がれなければ、私たちに共感をもたらすことは、できません。

弟橘媛や豊玉姫、民さん、いろいろな感動する女性の愛の美徳の共通点を考えれば、和泉式部の逢いたかった人がわかります。

不幸な結婚に終止符を打って、愛に生き、たくさんの哀しみと喜びを和歌に託す人生を送った和泉式部。

最後に愛した夫の保昌とは、心のすれ違いで、その溝は埋まることなく出家されたのだと私は思います。

死ぬ間際、逢いたかった人は保昌としか考えられませんね。

和泉式部の非凡で悲しい人生は、ご神命であったのでしょう。

うかれ女と言われても、式部の愛は純粋だったのです。

平凡で、ありきたりの幸せの中で生きる私たちに、
愛することの素晴らしさ、悲しさを、そして全身全霊で愛と向き合って生きた人生を、現代に生きる私たちに、静かに語りかけてくれるます。
心の中にこの和歌を育むかぎり
和泉式部は愛というものを、惜しみなく教えてくれるのではないでしょうか。

本当に素敵ですね💖

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コメント

ねず氏は神様の歌の解釈を間違えておられます。

このような初歩的ミスをねず氏のブログで指摘差し上げても、誤りを訂正されることがありません。氏のブログでは和歌の解釈にとどまらず、自然科学、歴史などの分野すべてにわたってミスが多いのですが、そのような初歩的ミスについては以下のサイトにいろいろな方の指摘が蓄積されております。
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1451813942/
ここに参加されている皆様は、まずはねず氏にご指摘差し上げ、全く対応され事が無いためにどこかに記録を残しておこうという考えで書き込まれているようです。

この記事では、貴船の神様の歌の解釈が間違っています。

氏の解釈は、
貴船神社の奥にある山で、たぎり落ちている滝の瀬のように、おまえは魂が散ることばかりを思っておるのか?
人は、いつかは死ぬものじゃ。毎日、滝のように多くの人が様々な事由で亡くなっていることをお前も存じておろう。
人は生きれば、いずれは死ぬのじゃ。おまえはまだ生きている。生きているじゃないか。生きていればこそ、ものも思えるのじゃ。なのになぜお前は魂の散ることばかりを思うのじゃ。

ということのようですが、氏は歌の解釈をする際に、歌が詠まれた時代の語彙を検証されることをされません。場合によっては現代語的意味で解釈されてしまうため大きな間違いを犯されることが多いのです。

まず "魂散る" を氏は死ぬことと解釈されています。氏は以前から戦争関係の記事を多く執筆されておられ、そのような記事では"散る"は人の死を婉曲に表現する場合の現代語の言い回しとなっています。しかしこの歌の中での"散る"はそのような意味ではなく、一首目の和泉式部の歌の言っているとおり"迷い出る"というような意味です。

更に、氏は "魂散るばかり" を "死ぬことばかりを" と解釈されているのですが、これがまた大きな間違いです。ここでは "ばかり" は "~程" と解釈するべき物です。この歌の詠まれた時代には "ばかり" には氏が説明されているような、現代語の~ばかりというような意味はありませんでした。たとえば十訓抄の大江山の段では、小式部が御簾から少し体を乗り出したことを "御簾より半らばかり出でて" と表現していますね。半分程ということです。

ここで "散る" の意味と "ばかり" の意味を 訂正してこの歌の贈答を解釈しなおしてみましょう。

和泉式部
 もの思へば 沢の蛍も 我が身より
 あくがれいづる 魂かとぞみる

物思い (通常、和歌で物思いといえば恋していることになります) をしていると、沢の上を飛んでいる蛍も (男のもとに行こうと)自分の心から憧れ出た魂のように見えてくる

貴船神
 奥山に たぎりておつる 滝つ瀬の
 たまちるばかり 物な思ひそ

"奥山にたぎりておつる滝つ瀬の" は、次に来る言葉 "魂" を引き出すための序詞です。更に、一首目のの和泉式部の歌が山奥の貴船の沢の蛍を詠んだ歌であり、それに対する返歌として、同じ情景を読み込んだものです。つまりこの歌の初三句は技巧で "魂散るばかり物な思ひそ" だけがメッセージです。"魂が迷いだしてしまうほどの物思いをしてはいけないよ" ということです。

ねず氏の解釈は間違いが多いので、引用されるような場合は必ずご自分で確認されることをお勧めいたします。もし誤った物を引用して恥をかくようなことがあっても、ねず氏が責任を取ってくれるわけでもありませんので。

ナナシ様
ご意見をありがとうございます。
コメント頂いたことに気がつかないで承認が遅れてしまい申し訳ありませんでした。
ナナシさん、
私は、ねず先生のブログが好きだし、百人一首の解説、古事記の解説が大好きだから、このブログを作りました。
なぜ好きなのか、なぜファンが多いのか、おわかりになりますか?
ねず先生の解説からイメージを膨らませ、自分の生き方に夢と希望が見出せるヒントがたくさん、ちりばめられているからです。
年をとることの悲しさ、人を愛することの寂しさ、いろんな感情が豊かになります。
忘れてしまった、もしくは封印されてしまった心を、魔法の鍵で開いてもらえるような感覚です。
古来から日本人は、和歌で明察効過を養いながら、霊性も高めていたのだと、学ぶことができました。
だけどナナシさんにはそういう感覚を、ご理解いただけることはないでしょうね。

私も、ご紹介いただいた2チャンネルを読んでも、心に何も響かないし、感動しないし、それをヒントにイメージが膨らんで日々を過ごすことができそうもないので、ウンザリしています。
ナナシさんがいくら正しい解釈を、ご提示されても
心に響かない解釈は、1,000年前もなかったろうし、今後も語り継がれることはないのではないでしょうか。

私は、あのような2チャンネルを立ち上げるような人たちは大嫌いです。
今後、私には二度とコメントしないでください。
また、私のコメント、記事をコピペしたりもしないでください。
一切、関わりたくありません。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

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