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2016年4月

2016年4月28日 (木)

個人主義的な女たちが、穴沢大尉から学ぶ「愛」

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最近、ねずさんのブログが、友達との会話で役立つことがたびたびあります。
だって、私たちは個人主義が当たり前になっているので、それで悩むことがあるからです。

『しかし彼は、歌に明らかなように、右大臣として自分個人の私心である慕情を抑え、冷たいようだけれど決然と、「君に逢いたいけど、逢えないよ」と詠んでいます。
要するにこの歌は、「公」のために「私」を捨てて生きた誠実な男の生き様を詠んだ歌です。
それが日本の男の美学です。

欧米型の個人主義の社会では、こうはなりません。
なぜなら、一番大事なのは個人(私)とするからです。
官僚であれ、幕僚であれ、閣僚であれ、あるいは民間の企業戦士であれ、彼らにとって仕事は、あくまで生活のための手段でしかありません。
常に自分が主だし、自分の欲望を満たすことが最優先ですし、私心が優先です。

ですからツインソウルのような異性に出会ったら、仕事や地位や名誉など捨てて、自己の欲望を遂げることを優先します。
女性の側も同じです。
「私を愛しているのなら、仕事などに行かないで」と、平気で言ってのけます。
これが個人主義です。』

***

友人のご主人は、まさに上のような「日本の男の美学」を持っている方です。
でも、そこが喧嘩の原因になってしまうところでもあります。
いつも仕事優先、頭の中は会社のことでいっぱい、家族のことより、自分の会社の儲けのことより、社会貢献していくことが最優先。
社員が大切。
シラス的経営なのです。

そういう男性は、女性にとって、とても魅力的ですから大好きになっちゃいますね💕
だけど、いざという時、自分より社会貢献を優先するのがわかるので、たまに怒りが爆発するのです。
個人主義の奥さんや恋人は、不満たらたらに違いありません。

そんな時ふと思い出すのが、ねずブロで紹介される
日本人女性の鑑のような方たちです。

***

【会ひたい、無性に 穴沢利夫大尉】
2012年11月03日10:31
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1687.html

二人で力を合わせて努めて来たが
終に実を結ばずに終わった。
希望も持ちながらも心の一隅であんなにも恐れていた
「時期を失する」ということが実現してしまったのである。

去月十日、楽しみの日を胸に描きながら池袋の駅で別れたが、
帰隊直後、我が隊を直接取り巻く情況は急転した。
発信は当分禁止された。

転々と処を変えつつ多忙の毎日を送った。
そして今、晴れの出撃の日を迎えたのである。
便りを書きたい、書くことはうんとある。
然しそのどれもが今迄のあなたの厚情に御礼を言う言葉以外の何物でもないことを知る。

あなたの御両親様、兄様、姉様、妹様、弟様、みんないい人でした。
至らぬ自分にかけて下さった御親切、
全く月並の御礼の言葉では済み切れぬけれど
「ありがとうございました」と
最後の純一なる心底から言っておきます。

今はいたずらに過去に於ける長い交際のあとをたどりたくない。
問題は今後にあるのだから。
常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれることと信ずる。

然しそれとは別個に、
婚約をしてあった男性として、
散ってゆく男子として、
女性であるあなたに少し言って征きたい。

あなたの幸を希う以外に何物もない。
徒に過去の小義に拘るなかれ。
あなたは過去に生きるのではない。

勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。
あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。

穴沢は現実の世界にはもう存在しない。
極めて抽象的に流れたかも知れぬが、将来生起する具体的な場面々々に活かしてくれる様、自分勝手な一方的な言葉ではないつもりである。
純客観的な立場に立って言うのである。

当地は既に桜も散り果てた。
大好きな嫩葉の候が此処へは直に訪れることだろう。

今更何を言うかと自分でも考えるが、ちょっぴり欲を言って見たい。

1、読みたい本
「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」

2、観たい画
ラファエル「聖母子像」、芳崖「悲母観音」

3、智恵子
会いたい、話したい、無性に。

今後は明るく朗らかに。
自分も負けずに朗らかに笑って征く。

昭20・4・12
智恵子様
     利夫
~~~~~~~

これが穴沢利夫大尉の最後の手紙です。
手紙の書かれた日付と、利夫さんの戦死の日付は、同じです。
おそらく、出撃の直前に、書かれたのでしょう。

智恵子さんは、穴沢大尉との面会の折とき、
「いつも一緒にいたい」と、自分の巻いておられた薄紫色のマフラーを渡しました。

穴沢大尉は、その女物のマフラーを首に巻いて出撃されました。
その様子が、次の写真です。
マフラーが首に二重に巻かれているので、他の隊員よりもマフラーが膨らんでいるのがわかります。

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愛する利夫さんを失った智恵子さんは、悲嘆の底に沈みました。
そんな智恵子さんを支えたのは、やはり穴沢大尉の、入隊二週間前の日記でした。
大尉の死後に、届けられたものです。

~~~~~~~~
智恵子よ、幸福であれ。
真に他人を愛し得た人間ほど、幸福なものはない。
自分の将来は、自分にとって最も尊い気持ちであるところの、あなたの多幸を祈る気持のみによって満たされるだらう。
~~~~~~~~

ある本の記述を転載します。
~~~~~~~~
その女性は、手のひらに乗るほどの小さな箱を箪笥から取り出すと、
「大切なものが入っているの」
そう言って微笑み、私の前へ静かに置いた。

見事な寄木細工の小箱だった。
一体、何が入れられているのだろう。

そっとふたを外してみると、タバコの吸殻がふたつ、綿に包まれて入っていた。
銘柄も判別できないほどに変色し、指で触れれば崩れてしまいそうな。

「彼の唇に触れた唯一のものだから」
八十四歳になる伊達智恵子さんにとって、六十年以上も前の吸殻は、婚約者であった穴沢利夫少尉(享年二十三)の遺品だったのである。


***

この感動的で美しい究極の愛のお話は、さすがの個人主義的な女たちの心にも響くものがあります。

身勝手な愛、安っぽい恋愛、そんな愛が溢れている世の中で、
穴沢大尉から真実の愛を捧げられた、智恵子さんという素晴らしい日本女性がいらしたというお話は、傷ついた個人主義の女性の心を慰め、日本的価値観を思い出すきっかけになると思います。

でも穴沢大尉のように、素晴らしい伝達をされないと、せっかくの「日本の男の美学」も理解されず、
理不尽な喧嘩ばかりになるし、「残念な男と女のすれ違い」で悲しい結末になりますから
ご用心を^_−☆

2016年4月23日 (土)

大切にしたい日本の四季

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http://youtu.be/U-yf2skmSks


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nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1483.html
【朧月夜(おぼろづきよ)】
1 菜の花畠に 入日薄れ
  見わたす山の端(は) 霞ふかし
  春風そよふく 空を見れば
  夕月かかりて にほひ淡し

2 里わの火影(ほかげ)も 森の色も
  田中の小路をたどる人も
  蛙(かはづ)のなくねも かねの音も
  さながら霞める 朧月夜

「おぼろ月」というのは、春先によく見られる、ちょっと霞(かすみ)のかかったお月様で、別名が「菜種月」ともいいます。

菜種(ナタネ)は、菜の花の別称です。
菜種から採れる油が、菜種油(ナタネアブラ)で、江戸時代には行燈(あんどん)によく使われたり、食用に使われたりしています。
実は今の日本でも、サラダ油の6割は、菜の花から採れる菜種油が原料なのだそうです。

菜の花は、芽茎が食用になり、この時期菜の花の胡麻あえなんて、実においしい。
それだけでなく、荒れた土地でも繁殖できるため、堤防や土手などの修景用にも、用いられます。
上の写真の江戸川の河川敷のものなどは、まさにそれです。

日本人は、こうして四季折々の美しい自然と、まさに共存して生きて来た。

春山の さきの ををりに 春菜採(つむ)
妹が白紐(しらひも) 見らく しよしも

と読んだのは、万葉集の尾張連(おわりのむらじ)ですが、他にも

菜の花や 月は東に日は西に(与謝蕪村)
菜の花の遙かに黄なり筑後川(夏目漱石)

なんていう俳句もあります。

日本には四季があります。
そして四季折々の美しさがある。
そういう美しさを大切にし、共存し、調和して生きて来たのが日本人だと思うのです。

戦後の日本は、そうした自然との共存を、ある意味否定し、都会化することを「開発すること」、「良いこと」としてきました。
四季は、いまでは、単に衣類の着あわせの中だけのものとなっているかのようです。

けれど忘れてはならないのは、
日本にもともとある四季折々の美しさと、
それに感動する、人の心 なのではないかと思います。

2016年4月22日 (金)

今夜は満月です(^-^)

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youtu.be/8JLsn1jEGYk

今夜は満月です。
お月様に、お祈りをする日です。
お天気が良いので、綺麗な満月が出ることでしょう。

この動画は、Facebookから見つけました。

朝1番でお友達から、山田先生の愛人問題を知らされました。

これは、、、

何とも残念です。

あっちでも、こっちでも、そんな問題ばかり浮上しているのは何故?

きっと、女性性の低下で愛を惜しみなく与えることができなくなっているからでしょうか?

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【百人一首の25番歌に、三条右大臣の歌があります。

 名にし負はば 逢坂山の さねかづら
 人に知られで くるよしもがな

もちろん人間ですから、右大臣といえども、ふとしたきっかけでツインソウルのような女性と出会い、 強い恋心を寄せてしまうこともあります。
ほんの一瞬の出会い、あるいはちょっとした出来事 がきっかけとなって、心が燃える。
今すぐにでも逢いたいし、二人だけの時間を過ごしたいとも思うのです。
そういうことに、身分や男女の貴賎は関係ありません。
人としての本能です。

けれど藤原定方は公人なのです。
仕事があり、責任があり、常に仕事の関係者たちが周囲にいます。
だからこそ彼は、逢いたい気持ちがあっても、
「人に知られでくるよしもがな」と思うわけです。

しかし彼は、恋心を胸に秘めたまま、彼女のもとへ通うことはありません。
なぜなら歌に「もがな」とあるからです。
「もがな」は願望を表す言葉です。

個人の欲望や恋心は、私事であり私心です。
現役の閣僚である彼は「公人」です。
そして日本における「公人」は、天皇の「おおみたから」を預かり、その「おおみたから」が、豊かに安心して安全に暮らせる世の中を担うために、右大臣の要職にあります。
それが「天皇の民をお預かりする」ということの持つ意味です。
だからこそ、どんなに逢いたい気持ちがあっても、相手が名の知れた美しい女性であっても、両思いであったとしても、それが「人に知られず」にできることであっても、彼には逢いに行くことができません。

そもそも誰も見ていなくてもお天道様が見ていると、厳しく自己を律して責任を果たしていくことが、人の上に立つ者に必要なことというのが、日本社会です。

そして、そんな生き方をしている戦士たちの姿は、日本中で見出すことができます。
この歌は、千百年前の日本人が詠んだ歌です。
けれど千年経っても、日本人は日本人なのです。】

nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2980.html?sp


うわ…>_<…
ねずブロ当たりすぎ!!!

やはり、政治家を志す方は公人としての、⬆︎のような決意がないといけないのですね。

たとえツインソウルのような人と出会ったとしても
男性は癒されて回復したら再び公人として羽ばたき
女性は、そのように元気になった男性を右近みたいに送り出してあげないといけないのですね。

百人一首凄すぎ。

公人たるべき人は、ねずさん流解説学ばないといけませんね(⌒-⌒; )

私は、とりあえず満月に祈りを捧げます。

そういえば、「マドンナたちのララバイ」。
女性の愛として、わかりやすいですね(^_^)v
youtu.be/v7fKAn3T8EI

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うーん。
かなり残念な発言ですね。

私も少し前までは、仕事の能力とプライベートは別物かも、と思っていました。
だけど、それはウシハクの個人主義的な西欧からの発想でした。
日本的なシラス的感覚では、公人としては失格ということになります…>_<…


☆☆☆

【山田先生に愛人がいようがいまいがどうでもいいこと。
彼を貶めたいやつらには絶好のネタ。
そんな程度のネタに振り回されるほど日本人は落ちぶれたのかな?

藤原定方には特殊な公の事情があったのだろう。(右大臣だし・・・)

同列の問題ではないと思う】

私の大切なお友達から、こんな貴重なご意見をいただきました。

そうですか。

私には難しい。。。

「公」にあるものの「私」を捨てる覚悟。

「男の美学」は、難しいのですね。。

2016年4月21日 (木)

発売から1年♪

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またまたFacebook機能からの嬉しいお知らせ。
昨年の今日、4月21日が百人一首本の発売日だったんですね♪

この和歌の中には、喜びも、哀しみも、愛も、恋も、国憂う愛国心も
日本人としての原型が、鮮やかに色褪せることなく残されています。

その原点を知りながら、現在に生きる私たちの心のオアシスとなっていくといいですね。

現代は忙しすぎて、またたくさんの情報や楽しみが豊富なので、「心の豊かさ」に対して疎かになっているようです。

千年前の人たちが、愛や恋に敏感で、真剣だったことは、百人一首を見ただけで一目瞭然ですね。

***

先日、久しぶりに明治神宮を参拝してきました。
誰一人いない清正の井戸は綺麗でした。

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しばらくここで、水の音と清浄な気を楽しみました。


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明治神宮御苑は、私の大好きな庭園です。
5月には、明治天皇様が昭憲皇太后様のために全国から取り寄せた花菖蒲が見事になります。

またお池には、蓮の花も咲き始めます。

忙しすぎて心を見失いがちな方は、こんな庭園で日本の心を思い出し、癒すことは大切です。

ひとりでのんびりとお散歩していたのですが、ふと気がつくと
木漏れ日の中から、いつも太陽に見守られているのを感じました。


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だから、自然と太陽とお話していました。


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帰りには、お月様とおしゃべり💕


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そして、明治神宮のお札を神棚におさめようとした時、ふとベランダに目をやると素敵な光があったので、導かれるように出てみると、光の上には見事な♡の形の雲がポッカリと浮かんでいました。
慌てて写メしました。
雲ってすぐに形が変わってしまうので、このハートの雲も一瞬の出来事でした。
明治天皇様からの、素敵なメッセージだと感じました♪

いつも笑顔と愛が輝く人になりなさい、ってことかしら? と。

そのお手本は、こちらの百人一首の中にありますね。

♡の雲と百人一首。

これは偶然ではなく、必然だった
と私の記憶に残しておくつもりです(^_^)v

2016年4月19日 (火)

熊本大地震と中央構造線という活断層について

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www.buccyake-kojiki.com/archives/1023001984.html
【中央構造線と神社 - なぜ、日本有数の神社は、地震大国たるこの断層系に沿って建っている?
2015/03/29 14:55】

諏訪大社も含めて、中央構造線のライン上には、奇妙に日本有数の神社が立ち並んでいる。伊勢の神宮もそう。そして、一宮の何社かもこのライン上にある。日本列島を地震大国としている一つの要因となっているこの断層系に、なぜ古社が並んでいるのか。神社による日本人への警告か。

ここでは、戸矢学『富士山、2200年の秘密』を参考にそうした神社を抽出した。

***

朝からお友達と、地震の話題で持ちきりです。

そして上のブログを教えてもらいました。

もちろん、私はねずブロを紹介しました。

【熊本地震と日本人の覚醒】
2016年04月19日06:46
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2986.html?sp


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今回の熊本地震の主役となった活断層は、中央構造線と呼ばれ、九州から四国を渡り、近畿からフォッサマグナを経由して関東の鹿島灘に至る巨大な断層です。
もし、今回熊本で起きた地震が、伊勢サミットを直撃していたら。
もし今回の地震が関東を直撃していたら。

***

『富士山、2200年の秘密』は、以前から気になっていましたが、スルーしていました。

だけど、もしかしたら古くからの神社と中央構造線と呼ばれる活断層は、関連があるかもしれないので
注文しました!

どんなことが書かれているのかな?

『そしてそのためには、日頃から対立や中傷や足の引っ張り合いや、バレなければ何をやっても良いとか、勝てば官軍ではなくて、たがいに共助の精神をもって助け合い、誰もが対等な人間として尊重され、いがみあったり対立したりするのではなく、互いが何よりナカヨクすることができる社会ではないでしょうか。
もしかすると神々は、あらためて日本人に、この日本的共助の精神に気付くように、いま大掛かりな警鐘を発して下さっているのかもしれません。』

これかな?

また、ご報告します。

2016年4月18日 (月)

2015年4月☆百人一首本奉献旅日記

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私はFacebookの過去記事をお知らせしてくれる機能を楽しみにしています。
今日は、昨年、こちらの記事をシェアしていました。
懐かしいです。
1年は、本当にあっという間に過ぎてしまいます。

【百人一首本奉献旅日記】
2015年04月18日07:40

nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2623.html

今日の記事は、完全に私的な日記です。

4月16日、17日と、これから発売となる本・『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』の奉献と御神楽奉納に、近江神宮、伊勢神宮、熱田神宮に行ってきました。
とっても不思議な体験をしましたので、今日は、そのご報告をしたいと思います。

私の住まいは千葉県(駅は埼玉の春日部)ですが、本をそれぞれの神社に各10冊奉献のため、荷物があまりに重く(本自体が1冊が厚くて重い)なるため、今回、車で滋賀、三重、愛知にでかけることにしました。
朝、3時に起きて4時に出発。
道中は空も晴れ、富士山がくっきりと見え、気持ちのよいドライブとなりました。

***

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そもそも私は、日頃信心が薄い方ですが、こういうことは、ただ非科学的だと一笑に付すものではなく、わからないことは「わからない」として、ただ記憶にとどめておくことだと思っています。
偶然かもしれないし、そうでないかもしれない。
それは、凡夫の私達にはわからないことです。
わからないから否定する、というのではなく、わからないけれど、そういうことがあったと記憶しておく。
それは大事なことだと思います。


☆☆☆

昨日は、銀座の風月堂画廊まで草場さんという方の陶彩画を見てきました。
私の大好きな陶彩画のポストカードを買うことができました。

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お友達は観音様シリーズです。

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そしてたくさんお喋りをしました。
ご縁とは不思議なものです。
お友達の妹さんの先生が、今度の選挙に比例から立候補するそうです。
それが何と、「日本の心を大切にする党」からだったのです。
恭子先生の人柄に感動して、依頼を快諾されたとのこと。

恭子先生のお話で大フィーバーしました💕💕

その時、私がふと頭に浮かんだことがありました。

「ねず先生って、中山先生ご夫妻や矢作先生やたくさんの素晴らしい方々が応援してくださる反面、変な人も利用しようとしてたくさん近寄ってくるんだけど、どうしてだろう?
神に開けるということは、魔にも開けるということだからなんだろうけど。。

もしかして、ねず先生、日頃信心がうすいということだから、おうちに神棚ないのかしら?」

とです。

友人二人は、口を揃えて

「それは大変。
神棚に毎日手をあわせるということが、平穏で魔を遠ざける毎日を過ごせるのだから
神棚なくちゃダメよ〜」

と教えてくれました。


**
やっぱり、日本人は
神棚に毎日手をあわせること、神社にお詣りすること
大切ですね(^_^)v

2016年4月17日 (日)

天災と田母神さんと三条右大臣

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14日の熊本での地震以来、不安な思いで毎日を過ごしています。
上の写真は、四年前の阿蘇の温泉の時のものです。
ここは、土砂崩れの被害でなくなってしまったようです。
荒ぶる自然の神様の前では、なす術はありません。
ただ、1日も早く鎮まり、被害が最小に止まることを願うばかりです。
天に召された方々の、ご冥福をお祈り申し上げます。

避難所の方々の配給が滞ることなく、まんべんに行き渡りますように☆

東京も、いつ直下型地震が来るかわかりません。

今回の地震は、田母神さんが逮捕された日の夜に起こりました。

前回の東日本大震災も、田母神さんの愛人問題をすっぱ抜かれて騒ぎになった日にありました。

こんな大地震と田母神さんの事件が二回も重なるとは。。

あ!
そういえば、リーマンショックの時に、田母神さんは幕僚長を更迭されました!

今回で3回目でした(⌒-⌒; )

田母神さんのような素晴らしい人を、更迭したり、陥し入れたり、逮捕したりする世の中は、やはりおかしいのかもしれません。

早く荒ぶる神様が鎮まるよう、ちゃんとした国のまつりごとをしていって欲しいですね。

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【個人の欲望や恋心は、私事であり私心です。
現役の閣僚である彼は「公人」です。
そして日本における「公人」は、天皇の「おおみたから」を預かり、その「おおみたから」が、豊かに安心して安全に暮らせる世の中を担うために、右大臣の要職にあります。
それが「天皇の民をお預かりする」ということの持つ意味です。
だからこそ、どんなに逢いたい気持ちがあっても、相手が名の知れた美しい女性であっても、両思いであったとしても、それが「人に知られず」にできることであっても、彼には逢いに行くことができません。

だからこそ彼は、
 名にし負はば 逢坂山の さねかづら
人に知られで くるよしもがな
と詠み、名を「三条右大臣」としたのです。】

この記事は、大地震の来る前にねず先生がアップされた
【男の誠実2016年04月13日07:15 】のものです。

私を捨て、公人として生きるという人の
〈男の美学〉を書いてくださいました。

だけど田母神さんを通してわかることは、どんなにボロボロになっても
どんなに陥し入れられても、誠実に愛を生き、誠実に公人としてオオミタカラを守るために
政治家を志した田母神さんの〈男の美学〉の方が、私は人間らしくて好きです。


人には、いろんな生き方がありますね。

私は、右近や小町の和歌から見える「女の美学」が、とても素敵だと思います💝

2016年4月14日 (木)

パラオ・ペリリュー島の戦いと船坂弘さんのこと

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今日のねずブロは、久しぶりにパラオ・ペリリュー島の戦いのお話しでした。
何回か、リニューアルされてますので、そちらをまとめておきます♪

***

【ランボーは日本人だった!・・・舩坂弘軍曹物語】
2009年11月28日07:04
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-708.html
シルベスター・スタローンの「ランボー」といえば、2008年にも「ランボー最後の戦場」が公開された、いわずと知れた大ヒットシリーズです。
ところが映画の主役のジョン・ランボー顔負けの大活躍をした日本兵がいます。
お名前は、舩坂弘軍曹。大正9年のお生まれの方です。

傷をみた軍医は、あまりの傷口の深さと大きさに、もはやこれまでと、舩坂軍曹に自決用の手榴弾を手渡して去ってしまう。
おまえはもう死んでいる、と宣告されたようなものです。「負けるもんかっ!」舩坂は近くにあった日章旗で足を包帯代わりに縛り、夜通し這って洞窟の陣地に帰り着きます。
着いた時には、死体が這ってきたような姿だったのですが、この舩坂軍曹、並みの体力気力ではありません。翌日には、左足を引き摺りながらでも歩けるまで回復してしまった。

***
【舩坂弘軍曹物語】
2014年05月01日08:35
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2247.html

シルベスター・スタローンの「ランボー」といえば、大ヒットしたハリウッド映画ですが、実は、この映画の主役のジョン・ランボーのモデルは日本人であったという話があります。それが舩坂弘(ふなさかひろし)軍曹です。大正9年のお生まれの方です。

戦後、舩坂さんは渋谷で小さな書店を開き、それが大きくなって日本初の書店ビルを築き、渋谷の街の健全化にも貢献され、またパラオと日本の架け橋として数多くのご活躍をなさいました。

その舩坂さんが、パラオ・ペリュリュー島南西のアンガウル島に着任したのは、戦況も押し迫った昭和19年3月、23歳のときのことでした。このとき舩坂さんは、除隊を目前にした宇都宮歩兵第59連隊軍曹でした。

アンガウル島は、東西2.5km、南北3kmほどの小さな島です。
その島に、同年9月11日、米軍が来襲しました。


***
【パラオ・ペリリュー・アンガウルの戦い】
2015年04月10日06:27
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2617.html
パラオ・ペリリュー島に天皇皇后両陛下が訪問されました。

そこで、戦いの模様を、舩坂弘(ふなさかひろし)さんの手記でご紹介したいと思います。

舩坂弘さんは、戦後、東京・渋谷で書店の経営をはじめ、日本最初の書店ビル「大盛堂書店」の経営者であった方です。
平成18(2006)年、86歳で永眠されています。

舩坂さんは、昭和19(1944)年3月、23歳で除隊を目前にした舩坂氏は、宇都宮歩兵第59連隊の軍曹として、パラオ・ペリュリュー島南西のアンガウル島に赴任を命ぜられました。

アンガウル島は、東西2.5km、南北3kmほどの小さな島です。
そこに同年9月11日、米軍が来襲しました。

開戦から5日間、米軍はまず空母ワスプから発進した爆撃機で島の絨毯爆撃を行いました。
次いで戦艦テネシーから、島の形が変わるくらいの激しい艦砲射撃をしました。
そして9月17日、米陸軍第81歩兵師団2万1千名が島の北東と南西の二面から海岸に上陸しました。

このとき、島を守っていた守備隊の日本軍は、わずか1400名です。


***
【舩坂弘さんの戦い】
2016年01月23日07:56
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2898.html?sp&photo=true
坂弘(ふなさかひろし)さんは、戦後、渋谷で小さな書店を開き、そこから出発して渋谷に全フロアが書店という「書店ビル」を日本で初めて開かれた方です。
すでにお亡くなりになっていますが、渋谷がいまも若者たちが安心して集える街でいられるのも、実はその舩坂さんの貢献があったからといわれています。

***
【日本の軍人】
2016年04月14日08:18
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2981.html?sp

ところが日本軍の場合は、どの戦いにおいても、上にある凄絶な戦いを、日本の軍人の誰もが行っています。
そこには、日本にしかない、何かがあったはずです。
では、その何かとはなんでしょうか。
そしてその答えが、実は「日本の心」そのものであると思います。

私は、この答えを「シラス国だからである」と解きます。
日本の心とは、天皇のシラス国のことをいいます。
天皇という国家最高権威によって、日本人の誰もが「おおみたから」です。
つまり人であり、たからであり、人として、たからとして対等な存在です。
だからこそ、武士も軍人も、そこには民を守るためという気概が自然と生まれます。

***

なんと、ねずさんのこの記事をYouTubeで作成してくださった方もいらっしゃいます。

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http://youtu.be/BjF6ypaISjI
えん太郎
2015/10/01 に公開小名木善行(おなぎぜんこう)先生のご許可を得て、
ブログ:ねずさんのひとりごとを音声変換し、
小学生から中学生の生徒達には
文字と音声を読んでいただくと同時に、
目のご不自由な方々には
音声を聞いていただこうと思い作成しました。

えん太郎さん、ありがとうございます(^-^)

このパラオ・ペリリュー島の戦いについてのお話は、ねず先生はとても強い思い入れがあるようです。

ねずブロブログのトップは、このお話から始まります。

***
【パラオ・ペレリュー島の戦い】
2008年09月17日07:46
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-719.html?sp


パラオをご存知ですか?
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おなじみの、日本からだいたい8時間かかるとても綺麗な南洋の島・・・。

最近の遺跡などの調査で、この島には約4000年前から人が住んでいたといわれています。

いまから70年ほど前、パラオには、たくさんの日本人が住んでいました。

日本人たちは、パラオの人たちのために、学校をつくり、教育を施し、医療を充実させ、野菜や果実の栽培方法を指導したり、工場を建設したり、道路を造ったりしました。

パラオの南部に、ペリュリュー島という小さな島があります。

そこには、899人のパラオの村人が住んでいました。村人たちと日本人は、とても仲良しで、みんなで一緒になって、パラオの歌や日本の歌を歌ったりもしていました。

***

2008年の9月17日から、ねずブロはスタートしています。
今年は2016年ですから、今年の9月で丸8年もの間、ねず先生は日本の良いお話を書き続けてくださっています。

一貫して、日本の美徳をご紹介しています。
シラス国の素晴らしさをです。

もちろん、悪い日本人もたくさんいたでしょう。
でも、そういう悪い部分は戦後たくさんの方々が紹介してくださってるので充分すぎるほど、資料はあります。
だけど、日本人としての心を養うための良いお話を拡散してくださる方は少ないです。

毎日ブログアップされることの拡散力と努力は、もうすでにねず先生が日本一なのではないでしょうか?


今日の記事をまとめていたら、そういうことを痛感しました。

本当に有難いことですね(^_^)v

2016年4月 6日 (水)

夜桜が綺麗でした☆

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昨夜は、目黒川の綺麗な夜桜が見れました。
毎年、同じ風景を見ながら
来年は見れるのだろうか?
と、少し感傷的になりながら見る桜は一段と心に響きます。
若い頃には、そういう心で見ないから、シニアになるのも悪い事ではありませんね。
楽しい思い出をたくさん持って、この世を去ることができたら私はいいと思います。


シニアになっても、若い頃の気持ちを思い出せるきっかけに、百人一首が私の中でブームです(^_^)v


《四十番歌 平兼盛 隠しきれない片思い》
忍ぶれど 色に出でにけり 我が恋は
ものや思うと 人の問ふまで

s.ameblo.jp/inukayh777/entry-12094683925.html

とても可愛らしい光景が目に浮かびますね。

平兼盛が現代に生まれたら、こんな歌を作るかも♪

《ずっと好きだった》
作詞:斉藤和義 作曲:斉藤和義
この町を歩けば 蘇る16才
教科書の落書きは ギターの絵とキミの顔
俺たちのマドンナ イタズラで困らせた
懐かしいその声 くすぐったい青い春

ずっと好きだったんだぜ 相変わらず綺麗だな
ホント好きだったんだぜ ついに言い出せなかったけど
ずっと好きだったんだぜ キミは今も綺麗だ
ホント好きだったんだぜ 気づいてたろうこの気持ち

話足りない気持ちは もう止められない
今夜みんな帰ったら もう一杯どう? 二人だけで

この町を離れて しあわせは見つけたかい?
「教えてよ やっぱいいや‥」 あの日のキスの意味

ずっと好きだったんだぜ まるであの日みたいだ
ホント好きだったんだぜ もう夢ばかり見てないけど
ずっと好きだったんだぜ キミは今も綺麗だ
ホント好きだったんだぜ 帰したくないこの気持ち

ずっと好きだったんだぜ 相変わらず綺麗だな
ホント好きだったんだぜ

ずっと好きだったんだぜ
ホント好きだったんだぜ

youtu.be/InfQUMh935c

私の大好きな歌です。
何で好きか、、、
日本的な心が込められているし、爽やかだし、こんな思いの男の子が縄文時代から、たくさんいたんだろうな、って感じるからだったのでしょうね。

そうして、こういう男の子の思いがあるから
永遠のマドンナ目指して頑張る女の子がいる、

素敵ですね💖

2016年4月 4日 (月)

桜の満開の頃♪

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 花の色はうつりにけりないたづらに
 わが身世にふるながめせしまに

nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2014.html

  淡き光立つ 俄雨(ニワカアメ)
  いとし面影(オモカゲ)の沈丁花(ジンチョウゲ)
  溢るる涙の蕾(ツボミ)から
  ひとつ ひとつ香り始める
  それは それは 空を越えて
  やがて やがて 迎えに来る
  春よ 遠き春よ 瞼(マブタ)閉じればそこに
  愛をくれし君の なつかしき声がする


  君に預けし 我が心は
  今でも返事を待っています
   どれほど月日が流れても
  ずっと ずっと待っています
  それは それは 明日を越えて
  いつか いつか きっと届く
  春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき
  夢をくれし君の 眼差(マナザ)しが肩を抱く


  夢よ 浅き夢よ 私はここにいます
  君を想いながら ひとり歩いています
  流るる雨のごとく 流るる花のごとく


  春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに
  愛をくれし君の なつかしき声がする

  春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき
  夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く

youtu.be/sp9Zm9vlf9w


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もしかして、小野小町が現代に生まれ変わっていたら
こんな歌をプレゼントしてくれたかもしれませんね(^-^)

百人一首と、今を結びつける歌を見つけるのも楽しいですね✨✨

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