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2016年4月14日 (木)

パラオ・ペリリュー島の戦いと船坂弘さんのこと

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今日のねずブロは、久しぶりにパラオ・ペリリュー島の戦いのお話しでした。
何回か、リニューアルされてますので、そちらをまとめておきます♪

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【ランボーは日本人だった!・・・舩坂弘軍曹物語】
2009年11月28日07:04
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-708.html
シルベスター・スタローンの「ランボー」といえば、2008年にも「ランボー最後の戦場」が公開された、いわずと知れた大ヒットシリーズです。
ところが映画の主役のジョン・ランボー顔負けの大活躍をした日本兵がいます。
お名前は、舩坂弘軍曹。大正9年のお生まれの方です。

傷をみた軍医は、あまりの傷口の深さと大きさに、もはやこれまでと、舩坂軍曹に自決用の手榴弾を手渡して去ってしまう。
おまえはもう死んでいる、と宣告されたようなものです。「負けるもんかっ!」舩坂は近くにあった日章旗で足を包帯代わりに縛り、夜通し這って洞窟の陣地に帰り着きます。
着いた時には、死体が這ってきたような姿だったのですが、この舩坂軍曹、並みの体力気力ではありません。翌日には、左足を引き摺りながらでも歩けるまで回復してしまった。

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【舩坂弘軍曹物語】
2014年05月01日08:35
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2247.html

シルベスター・スタローンの「ランボー」といえば、大ヒットしたハリウッド映画ですが、実は、この映画の主役のジョン・ランボーのモデルは日本人であったという話があります。それが舩坂弘(ふなさかひろし)軍曹です。大正9年のお生まれの方です。

戦後、舩坂さんは渋谷で小さな書店を開き、それが大きくなって日本初の書店ビルを築き、渋谷の街の健全化にも貢献され、またパラオと日本の架け橋として数多くのご活躍をなさいました。

その舩坂さんが、パラオ・ペリュリュー島南西のアンガウル島に着任したのは、戦況も押し迫った昭和19年3月、23歳のときのことでした。このとき舩坂さんは、除隊を目前にした宇都宮歩兵第59連隊軍曹でした。

アンガウル島は、東西2.5km、南北3kmほどの小さな島です。
その島に、同年9月11日、米軍が来襲しました。


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【パラオ・ペリリュー・アンガウルの戦い】
2015年04月10日06:27
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2617.html
パラオ・ペリリュー島に天皇皇后両陛下が訪問されました。

そこで、戦いの模様を、舩坂弘(ふなさかひろし)さんの手記でご紹介したいと思います。

舩坂弘さんは、戦後、東京・渋谷で書店の経営をはじめ、日本最初の書店ビル「大盛堂書店」の経営者であった方です。
平成18(2006)年、86歳で永眠されています。

舩坂さんは、昭和19(1944)年3月、23歳で除隊を目前にした舩坂氏は、宇都宮歩兵第59連隊の軍曹として、パラオ・ペリュリュー島南西のアンガウル島に赴任を命ぜられました。

アンガウル島は、東西2.5km、南北3kmほどの小さな島です。
そこに同年9月11日、米軍が来襲しました。

開戦から5日間、米軍はまず空母ワスプから発進した爆撃機で島の絨毯爆撃を行いました。
次いで戦艦テネシーから、島の形が変わるくらいの激しい艦砲射撃をしました。
そして9月17日、米陸軍第81歩兵師団2万1千名が島の北東と南西の二面から海岸に上陸しました。

このとき、島を守っていた守備隊の日本軍は、わずか1400名です。


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【舩坂弘さんの戦い】
2016年01月23日07:56
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2898.html?sp&photo=true
坂弘(ふなさかひろし)さんは、戦後、渋谷で小さな書店を開き、そこから出発して渋谷に全フロアが書店という「書店ビル」を日本で初めて開かれた方です。
すでにお亡くなりになっていますが、渋谷がいまも若者たちが安心して集える街でいられるのも、実はその舩坂さんの貢献があったからといわれています。

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【日本の軍人】
2016年04月14日08:18
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2981.html?sp

ところが日本軍の場合は、どの戦いにおいても、上にある凄絶な戦いを、日本の軍人の誰もが行っています。
そこには、日本にしかない、何かがあったはずです。
では、その何かとはなんでしょうか。
そしてその答えが、実は「日本の心」そのものであると思います。

私は、この答えを「シラス国だからである」と解きます。
日本の心とは、天皇のシラス国のことをいいます。
天皇という国家最高権威によって、日本人の誰もが「おおみたから」です。
つまり人であり、たからであり、人として、たからとして対等な存在です。
だからこそ、武士も軍人も、そこには民を守るためという気概が自然と生まれます。

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なんと、ねずさんのこの記事をYouTubeで作成してくださった方もいらっしゃいます。

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http://youtu.be/BjF6ypaISjI
えん太郎
2015/10/01 に公開小名木善行(おなぎぜんこう)先生のご許可を得て、
ブログ:ねずさんのひとりごとを音声変換し、
小学生から中学生の生徒達には
文字と音声を読んでいただくと同時に、
目のご不自由な方々には
音声を聞いていただこうと思い作成しました。

えん太郎さん、ありがとうございます(^-^)

このパラオ・ペリリュー島の戦いについてのお話は、ねず先生はとても強い思い入れがあるようです。

ねずブロブログのトップは、このお話から始まります。

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【パラオ・ペレリュー島の戦い】
2008年09月17日07:46
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-719.html?sp


パラオをご存知ですか?
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おなじみの、日本からだいたい8時間かかるとても綺麗な南洋の島・・・。

最近の遺跡などの調査で、この島には約4000年前から人が住んでいたといわれています。

いまから70年ほど前、パラオには、たくさんの日本人が住んでいました。

日本人たちは、パラオの人たちのために、学校をつくり、教育を施し、医療を充実させ、野菜や果実の栽培方法を指導したり、工場を建設したり、道路を造ったりしました。

パラオの南部に、ペリュリュー島という小さな島があります。

そこには、899人のパラオの村人が住んでいました。村人たちと日本人は、とても仲良しで、みんなで一緒になって、パラオの歌や日本の歌を歌ったりもしていました。

***

2008年の9月17日から、ねずブロはスタートしています。
今年は2016年ですから、今年の9月で丸8年もの間、ねず先生は日本の良いお話を書き続けてくださっています。

一貫して、日本の美徳をご紹介しています。
シラス国の素晴らしさをです。

もちろん、悪い日本人もたくさんいたでしょう。
でも、そういう悪い部分は戦後たくさんの方々が紹介してくださってるので充分すぎるほど、資料はあります。
だけど、日本人としての心を養うための良いお話を拡散してくださる方は少ないです。

毎日ブログアップされることの拡散力と努力は、もうすでにねず先生が日本一なのではないでしょうか?


今日の記事をまとめていたら、そういうことを痛感しました。

本当に有難いことですね(^_^)v

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