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2016年7月

2016年7月21日 (木)

人は死なない

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すこしスピリチュアルなお話をします。

これは、先日行われた「女性のための古典塾」でもお話させていただいたことなのですが、その日は清少納言についてのお話をさせていただきました。

清少納言といえば、世界最古の女流小説を遺した紫式部と並ぶ、女流随筆文学としてやはり世界最古の文学を遺した、日本の中世を代表する優秀な随筆家であり、歌人です。
ものすごく優秀な女性で、かつ魅力的な女性であることは、ねず本の第二巻でも『枕草子』の現代語訳などをご紹介して、詳しくお話させていただきました。
またブロクにおいても、

nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1869.html

nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2711.html
などでご紹介させていただいています。

 夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも
 よに逢坂の 関は許さじ

この歌は権大納言であった藤原行成とのやりとりの中で生まれた歌ですが、『枕草子』には次のような物語が書かれています。

*******
清少納言がこの歌を藤原行成に送ると、行成は、
「逢坂は人が越えやすい関なので、
 鶏が鳴かないうちにも関の戸を開けて待つといいますよ」
(あなたはいつでも容易に人に逢うとの噂ですよ)
という歌を清少納言の送ります。

そして清少納言に、
「夜をこめて」の歌は、
 殿上人がみな見てしまったよ」
と申し向けるのです。

実は、行成は、この時点で二股がバレています。
都合が悪くなったので、清少納言は「生意気な女だ」と、噂を広めたというわけです。

これに対する清少納言の返事です。
「本当に(あなたが私のことを)思ってくださっておいでと
 これで初めてわかりましたわ。
 すばらしいことを相手の人が言い広めてくださらないのは
 確かに甲斐のないことですわね。
 私は、見苦しいことが世間に散り広がるのが困るので、
 私はあなたのお手紙を隠していて、人に見せてはおりません。
 私の歌を人に知らせてくださったあなたのお心配りと
 相手を思いやる心は同じものですね。」

いかがでしょうか。
清少納言は、ここで男性であり、地位も名誉もある行成を「へこませた」のでしょうか。
そうではなくて、むしろ行成が男性であり、地位も名誉もあることを気遣い、行成の非礼さえも、隠し事にしただけでなく、あきらかに、行成をゆるしているのではないでしょうか。

だから行成は次のように述べています。
「まろの手紙を隠しなさったということは、
 やはりしみじみとうれしいことです。
(そうでなかったら)
 私はどんなにか情けなく
 つらかったことでしょう。」
二股がバレて、ヤバイヤバイと思っていた行成は、ここでどんなにか救われたことでしょう。

nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3046.html
***

私は、古典塾、ブログでこの解説を知って
とても感動しました。
きっと清少納言すら、目からウロコの解説で驚いていたことでしょう。
こんなに美しい気持ちとして、解説してもらえたことは喜びだったと思います。

だけど本当の気持ちは、今も昔も変わらないのが「心」だとしたら、生きていたときの清少納言の「心」は、ボロボロに傷ついていたのではないかしら。
だけど、どちらかの国のように、泣き叫んだり、中傷したり、恨んだりもしません。
この時代、輪廻転生の思想があったとしたら
「ご縁は今世限りのこと。
あちらの世でも、来世でも、二度と私の前に現れないで!!」と
「心」の奥深くで、願ったことと思います。

矢作直樹先生著の「人は死なない」では、以下のように書かれていました。

●母との再開 147ページ〜
次に、もう一つ疑問に思っていたことを訊ねてみました。
「亡くなったときに結婚指輪を外していたけれど、いつ外したの?」
「あなたは気が付かなかったかもしれないけれど、私がこちらに来る二ヶ月以上前よ。
お父さんの命日の後ね。箪笥の上に置いた通知用の葉書もそのときいっしょに置いたの」


私は、質問を続けました。
「そちらではお父さんには会ったの?」
「お父さんには会わないわ」
そう言って、母は少し右下を向きます。
それ以上の質問を拒むような雰囲気でした。
私には非常に意外な答えだったので、一瞬戸惑いました。
いったい、父母の間に何があったのか。
父の命日の後に指輪を外したということが、父と切れることを意味していたのか。
私は、晩年の二人は仲良く暮らしていたとばかり思っていたのですが、夫婦の間にはいろいろな事情があるのだろうと無理矢理納得して、それ以上は訊きませんでした。
「お祖父さん、お祖母さんには?」
「会ったわ」
「伯母さんには?」
「会ったわ」


人は輪廻転生をしながら、カルマを解消しながら魂を昇華していくことが事実だとしたら。

矢作先生のご両親は、今世でも、やはり前世のカルマを解消できない何かがあったのではないでしょうか。

矢作先生の著書は、たくさん読みましたが、上記の部分は私の「心」に衝撃として残りました。

ねず先生は、とても美しい日本の心で百人一首を解説してくださいましたが、何となく納得出来ないところがありました。

清少納言と行成が、今世に生まれ変わっていたとして
行成は、同じ過ちを犯さなかったか心配になります。
右近の想い、相模の想い、式子内親王の想い、もちろん小野小町の想い、たくさんあります。

矢作先生の著書から、今まで疑問だったことのヒントをいただけたようです。

これからも、百人一首は私の中で成長し続けることでしょう。

ねず先生、素敵な本の出版をありがとうございました(^_^)v

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