百人一首 九十番歌 殷富門院大輔 ミセバヤ
百人一首の90番歌に、殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)の歌があります。
見せばやな
雄島の海人の袖だにも
濡れにぞ濡れし色は変はらず
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この歌は、古来解釈がむつかしいとされてきた歌です。
「見せばやな」は、「ばや」は願望、「な」は詠嘆の終助詞で「見せたいものだ」
「雄島の海人の」の「雄島」は、宮城県松島にある島のこと、「海人」は漁師、
「袖だにも」は、袖でさえも
「濡れにぞ濡れし」は、同じ語を繰り返して強調する語法、
「色は変はらず」は、漁師の袖の色は変わらないという意味で、「~だにも」の文脈で「私の袖の色が血の涙で変わった」ことを表わします。
このまま通しで現代語訳しますと、
見せてあげたいものですわ
雄島の漁師の
袖でさえ
海水で濡れに濡れていますが
色は変わりません
となります。
ここから一般的に流布している現代版の解釈は、「袖が濡れる」ということは、涙を拭いて袖が濡れるということなのですけれど、「海水に濡れた袖の布地の色さえ色が変わらない」というのだから、それは「きっと血涙に相違なく」、殷富門院大輔は、恋に破れて目の下から袖まで、血で真っ赤に染めているのだとしています。
様子を想像してみると、なにやらホラーみたいです。
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八十九番 式子内親王
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば
忍ぶることの弱りもぞする
まさに、玉の緒の歌です。
そして「ミセバヤ」も、別名が「玉の緒」です。
式子内親王の歌は、「ずっと平和な世を願ってきましたが、世の中が一向に変わらない。もう、耐え忍ぶことにも疲れ果ててしまいましたわ」といった意味の歌です。
そして続く90番の殷富門院大輔の歌は、その「玉の緒が次々と切り離されて三途の川の渡し人の袖まで濡れているであろうくらいなのに、世の中はちっともかわっていないではありませんか。殷富門院さまのおつらい御心をみなさまにも見せてあげたいくらいですわ」と詠んでいるわけです。
殷富門院さまにせよ、それに仕える大輔にせよ、あるいは式子内親王にせよ、ご皇族であり、そのご皇族のスーパー・アシスタントであるわけです。
ご皇族は、権力を必要とする政治には直接は関わりません。
日本における天皇や皇族は、権力よりも上位の権威というお立場です。
その権威が、「たから」としているのが、民衆です。
その民衆の生命が、政治権力の闘争によって、次々と奪われている。
そのことについて、政治家力者に成り代わって天皇やご皇族の方々が、政治権力を行使したら、我が国のカタチは支那と同じ皇帝陛下が絶対権力を持ち、王も貴族も民衆も、すべてを支配し隷属化するウシハク体制となってしまいます。
お立場上、それができないからこそ、式子内親王は、「もう耐える力も弱り果ててしまいそうです」と詠まれているわけですし、大輔は、斎宮であられた殷富門院様に代わって「世の中が変わっていませんわ」と詠まれているわけです。
89番の式子内親王の歌と、90番の殷富門院大輔の歌は、つまり、表裏の関係にある歌として、ここに並んでいるのです。
(と、実は、上に述べた塾で、H氏から、その指摘をいただき、思わず膝を打った次第です)。
殷富門院大輔の、他の歌をご紹介します。
いずれも、世の中の平和を求めるお心が、胸を打つ名作ばかりです。
花もまたわかれん春は思ひ出でよ
咲き散るたびの心づくしを
桜の花もまた枝と別れる春は、思い出が咲いては
散るたびに悲しみ悩むことと同じなのね
うき世をもなぐさめながらいかなれば
物悲しかる秋の夜の月
どうしたらこの世を慰めれるのか。
それを思うと秋の夜の月さえも物悲しく思えます。
虫のねのよわりはてぬる庭のおもに
荻の枯葉の音ぞのこれる
虫の声がすっかり弱くなった冬の庭には、
荻の枯葉の風に鳴る音ばかりが残ります。
かはりゆく気色を見ても生ける身の
命をあだに思ひけるかな
人の心がかわっていく様子を見るにつけ、自分の
命など、どうでも良いのかと思ってしまいますわ。
死なばやと思ふさへこそはかなけれ
人のつらさは此の世のみかは
死んでしまいたいと思うことさえ虚しく思えます。
人の辛さはこの世だけのことなのかしら。
それにしても、百人一首って、ほんとうに素晴らしいですね。
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ねず先生の百人一首を、ねずブロで読み始めた時は、百人一首が恋の歌という解釈ばかりではない、ということに、どうしてもすんなりと納得できませんでした。
式子内親王の89番歌も、絶対に藤原定家との秘密の恋を詠んだ歌だと思っていました。
(お二人には特別な絆はあったのですから)
だけど、今回のミセバヤ、玉の緒、雄島の海人、の神解説で、長年の胸のつかえがすっきりとした感じで、ようやくわかりました。
ねず先生の解説にお付き合いして三年。
百人一首は恋のみを詠んだものではなかったのですね♪
500年続いた貴族社会が音を立てて崩れていく、平家に呑み込まれ、悲劇の運命に翻弄されてしまう天皇様や内親王様や皇子様。
そういう全てを、この89番歌、90番歌のお二方の悲痛な叫びの和歌をもって、定家は
日本人の心の源が消えないように、美しい時代が忘れさられないように、後世の私たちに百人一首という形で託したのだ、とやっとわかりました。
ねず先生のお陰で、千年の時を超えて、やっと封印がとけ始めました♪
だけど、恋の歌のままにしておかないと困る先祖をお持ちの方は、このような解説を信じないかもしれません。
それはそれで良いのだと思います。
青葉慈蔵尊を、毎年お参りする方々もいれば
その真実を葬りさりたい方もいらっしゃいます。
そして、真実を語るものを妨害します。
通州事件とかは、良い例ではないでしょうか?
歴史というものは、真実に光をあてれば、嘘で塗り固めた側に、都合が悪いのです。
そんな風に、最近思えてきました。
それにしてもミセバヤという、こんな綺麗なお花があったなんて、しかも玉の緒という別名まであるなんて、とっても素敵なことですね(╹◡╹)