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2017年2月

2017年2月25日 (土)

『ねずさんと語る古事記 壱』が予約開始になりました♪

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『古事記については、これまで部分的にねずブロでご紹介したり、あるいは倭塾で講義をさせていただいたりしてきましたが、やはり「通し」で読んでいくと、ものすごく理解が深まります。』

ねず先生の倭塾講義では、日本の神様は愛によって成長して偉大な神様になっていく、ということを学ばせていただきました。
西洋の神様は、生まれながらに完璧であり、人類創生をなされました。
そこに神と人間の関係があります。
ところが、日本の神様は日本人の元のご先祖様であり、神代からの血筋を現代にまで継承される天皇という有難いご存在が、私たちを神様の世界としっかりと結びつけてくださっているのだ、ということを教えていただきました(^-^)

『この古事記の本は、取り組みを始めてから、出版に至るまでに、まる三年かかりました。
その間、20回以上、原稿をいちから書き直し、その都度、新しい発見や学びをいただきながら、自分としては、最高の内容の本になったと思います』

本当に、苦しまれていらっしゃいましたっけ(・・;)
お尻から根っこが生えるんじゃないの?
古事記なんてもう書くの止めて、百人一首の新作書いた方がいいのでは?
神様に満足していただける内容になるのかしら?
と、たくさん心配になりました。
だけど、神様から選ばれて、書き上げさせていただけて、最高の内容になった!ということは
とても喜ばしいかぎりです💕


『なぜなら古事記は、7世紀の白村江の戦いに破れ、唐と新羅の連合軍に我が国の国土を侵略されかねないという国家の危機にあって、我が国の国家国民としてのアンデンティティを確立するために書かれた書であるからです。
つまりそこには、日本を取り戻すための大きな知恵が、まさに宝物のように連なって書かれています。

私たち現代日本人は、71年前に大きな敗戦を経験し、いま再び「日本を取り戻そう」としています。
では、その取り戻すべき日本というのは、どのような形をしているのか。
実はそのことについて、明確な回答を与えてくれているものは、残念ながらありません。』

なぜ、今、古事記ブームなのか
あちこちで古事記が見直されているのか
⬆︎の部分で、よく理解できます。
日本は長い歴史の中で、敗戦したのは二回しかありません。
白村江の戦いと、大東亜戦争です。
白村江の戦いで、危機を感じた天武天皇の大御心により、古事記は生まれました。
日本を護るための大いなるメッセージが込められているはずです。

その大いなるメッセージを、ねず先生がどのように解き明かしてくださったのか、とても楽しみです。

百人一首も、現代の私たちと何ら変わることのない日本人としての感情を読み解いていただき、歌人たちが、まるで『長年の友』のような錯覚を覚えるほど身近に感じられました。

きっとねず先生の古事記は、神様が私たちと同じように感じたり、愛を生きていらしたことを教えてくださるのではないでしょうか。

3月15日の発売が、とても楽しみです!


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2017年2月12日 (日)

天智天皇と天武天皇と持統天皇について

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2月9日は、ねず先生の百人一首塾でした。
持統天皇についての授業でした。
その時の内容は、今日のねずブロでアップされています。

また、塾生の疑問などに、ねず先生から直接のご返答をいただくことのできるサイトがあるのですが
私の質問に、完璧なお答えをしてくださいました。

ねず先生の了解がありましたので、以下に転載させていただきます。

◆私の質問
昨日は、ありがとうございました。
さて授業の中で、天智天皇が森の中へ姿を消して行方知らずになった!と古事記の中に書かれているというところが、とても気になりました。
これは、ねず先生の古事記からの大発見なのではないでしょうか?

ネット検索すると、天武天皇により暗殺されたのだ、というものが多数検索されました。
もしそうだとすると、娘の持統天皇が父を殺した天武天皇に対して、二番歌のような天武天皇を亡くなった後も恋い慕うはずもないのだから、そのような暗殺などなかったのだ!
というとても強いメッセージの和歌となります。

昨日は、サラリと「天智天皇は森の中へ消えてしまわれました」
でしたが、いつかこの辺りを
持統天皇、天武天皇の和歌をご紹介いただいて、時代背景、ねず先生の読み解きを教えていただいて、また皆様とも意見交換できたら素晴らしいだろうな〜と思いました。

ネットからの検索だけでしか調べていませんが、どうも天智天皇、天武天皇が貶められている意図を感じました。
それは、今上天皇へも繋がっているようなのです。
これは、何とか正しい読み解きで名誉挽回をしないといけません。

またいつの日か、よろしくお願いいたします♪

◆ねず先生のお答え
天智天皇は、中大兄皇子時代に、本当に日本をひとつにまとめるためにたいへんな大鉈(おおなた)を振るわれました。とにかく、支那との交易は儲かるのです。その代わり、多くの命が犠牲になります。このことは今も昔も変わりません。
中大兄皇子は、蘇我入鹿を討ちましたが、蘇我氏の財力は、当時、天皇を凌ぐとさえいわれたのです。そして国内最強の財力を得た蘇我氏は、朝廷を壟断するという挙に出ました。これをそのまま放置しておけば、蘇我氏は堂々と唐に朝貢して日本国王の称号を得、日本を唐の属国としていったことでしょう。

乙巳の変は、まさにこれを防いだ戦いであったし、その後に続く大化の改新における公地公民こそ、まさに民を天皇の「おほみたから」とするという我が国の国是を、そのまま形にしたものであるということができます。

一般に、領主であれば、自分の領土領民を、その上の偉い人のものにしてしまい、さらに税をその上の偉い人に上納することなど、誰も好みますまい。ところが公地公民が豪族の間に広く受け入れられたということは、それ以前に何百年何千年の間、それを当然とする風土が我が国に育っていたということです。大化の改新は、それを蘇我氏のような履き違えた者が出ないように、それを文字にしたというだけのものであると理解すべきなのだと思います。

ところが、あらためて文字にするとなれば、それに抵抗する者もいる。既得権益を奪われると反対する者もいる。これらに対して、情け容赦ない粛清をするということは、これは政治権力の行使であり、そうした権力行使は天皇の役目ではありません。だから中大兄皇子は、みずから進んでその泥をかぶり辣腕を揮われました。

その結果、中大兄皇子は皇位に就かれますが、これはおそらくご本人は希望しなかったと思います。なぜなら、皇位に就くにはあまりに泥をかぶりすぎているという自覚があったからです。

だから御在位、わずか4年にして、お隠れになられています。
反対派(つまり開国朝貢派)の恨みを、我が身一身に集中させ、そして自ら死んだことにすることによって、その恨みの矛先を消してしまう。これは、後年、信長が本能寺で同じことをしています。
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持統天皇は、御在位中に、ひんぱんに吉野に行幸されています。
これは異常なほど、多いことです。
おそらく天智天皇は、名前を変え、姿も変えられて、額田王とともに、吉野にお住まいであったのであろうと思います。
ですから何かあれば、吉野の父に、教えを請いに行っていたとするなら、このあたりの辻褄があってきます。

また、巷間、天智天皇と天武天皇が対立していたという構図を描こうとして歴史を解釈する人がいますが、私は、それは間違いだと思っています。
なぜなら、そもそも幕末に英語の翻訳語として「対立」という熟語ができるまで、我が国には対立という概念はなかったからです。


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是非、皆様も百人一首塾にご参加くださいね💕

とても素晴らしい授業です❣️


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