栗のお話
栗のお話をしてみたいと思います。
どういうことかよくわからないのだけれど、最近では「栗(クリ)」といえば、天津甘栗のイメージなのだそうです。
なるほど、スーパーや商店街などで天津甘栗屋さんは、よく見かけます。
この天津甘栗というのは、China産の栗(くり)で、これは小粒で甘いのが特徴です。
栗は、他にも西洋栗なんてのもあって、これはマロングラッセなどによく使われる。
そういうのが栗だと思っていると、栗拾い園などに行って、栗を自分の手で拾ってみたとき、ひどく驚くことになります。
なぜ驚くかというと、
栗がでかい!、甘い!、うまい!
実はこの、大きくて甘くて美味しいというのが、日本栗(ニホンクリ)の特徴なのです。
栗は長いこと「Chinaから渡来し、江戸時代に品種改良されて、いまのニホンクリになった」とされてきました。
ところが、この筋書きを一変させたのが、青森県の「三内丸山遺跡」です。
なんとそこでは、いまから約5000年もの昔に、栗が栽培されていたことがわかったのです。
ただ栽培されていただけじゃありません。
管理栽培されていた。
それもなんと、1500年もの長きにわたり、栗が栽培されていたのです。
大きな実は、もちろん食用です。
そして栗の大木は、建築資材として用いられたのです。
そして何千年の時を経て、日本の栗は品種が改良され、いまのような大粒でたくさん採れて、甘くて美味しい栗になったのです。
栗は日本書紀にも登場します。
「栗栖」と書かれている。
「栖(す)」というのは、いまでは住処(すみか)のことで、昔は栽培している場所を表しました。
ですから、代々の天皇が持っていた「栗栖」は、栗の木を栽培していたところです。
9世紀には、常陸国の鹿島神宮の遷宮にあたって、大量の材木を使うため、 神宮司が神宮のそばに成長の早い栗の木を5700本、 杉を4万本植えることを太政官に申請し、許可されたことが、「日本三代実録」に記されている。
また、中世の荘園では、田畠からの年貢だけでなく、栗林については面積が、桑、漆、柿などは本数が正確に調査され、 それぞれに税金が課せられています。
要するに、栗が税の対象だったということは、栗がそれだけ国家的資産として、とても大切にされてきたということでもあります。
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