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2020年11月 7日 (土)

岩崎ユキと従軍看護婦のはじまり

岩崎ユキという、わずか17歳の少女の覚悟と死を最初に知ったとき、私は人前だったのに涙があふれました。

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是非、みなさまにご一読賜りたいと思います。


明治27(1894)年8月1日、日本と清國の双方の宣戦布告によって「日清戦争」(〜1895)が勃発しました。

戦争指導のため、明治天皇と大本営が広島に移りました。

このとき国会も広島に場所を移しています。


日清戦争のために出征した日本の将士は総計30万人です。

広島の宇品の港には、軍船がひっきりなしに往来しましたが、こうした大兵の往復海運は、衛生と関係が深く、まして戦争となればこれに戦傷病者が加わります。


戦死や負傷に比べ、病人の数は何倍にもなります。

ましてChinaはコレラ、赤痢、疱瘡その他、伝染病の問屋ともいうべき場所でした。


このため7月20日には、広島城の西側の広島衛戍病院も戦時編成の広島陸軍予備病院へと改編されていました。

そして実は、ここが日本ではじめて女性が軍看護婦として採用された病院でした。


医師に看護婦という組み合わせは大昔からありました。

しかし、戦は男がするものです。

ですから我が国においては古来戦場に出向くのは医師も看護人も、すべて男でした。

このことは、明治維新の際の戊辰戦争や、その後の西南戦争、佐賀の乱等においても同じです。

戦場ないしその後方には病院がありましたけれど、医師も看病人も、すべて男でした。


******

「お父さま、お母さま、

 ゆきは大変な名誉を獲得いたしました。

 家門の誉れとでも申しましょうか。

 天皇陛下にゆきの命を喜んで捧げる時が来たのであります。

 数百名の応召試験の中から、

 ゆきはついに抜擢されて、

 戦地にまでも行けるかも知れないのであります。


 ゆきは喜びの絶頂に達して居ります。

 死はもとより覚悟の上であります。

 私の勤務は救護上で一番恐れられる

 伝染病患者の看護に従事すると云う最も大役を

 命ぜられたのであります。


 勿論予防事項については充分の教えは受けて居ります。

 しかし強烈あくなきばい菌を取扱うのでありますから、

 ゆきは不幸にして何時感染しないとも限りません。


 しかし、お父さま、お母さま、考えても御覧下さい。

 思えば思う程この任務を命ぜられたのは

 名誉の至りかと存じます。

 それはあたかも戦士が不抜と云われる要塞の

 苦戦地に闘うのと同じであるからであります。


 戦いは既にたけなわであります。

 恐ろしい病魔に犯されて

 今明日も知れぬと云う兵隊さん達が

 続々病院に運ばれて来ます。


 そして一刻も早く癒して再び戦地へ出して呉れろと

 譫言にまでどなって居ります。

 この声を眼のあたりに聞いては

 伝染病の恐ろしいことなぞはたちまち

 消し飛んでしまいます。

 早く全快させてあげたい気持ちで一杯です。

 感激と申しましょうか、

 ゆきは泣けて来て仕方がありません。


 今日で私の病室からは十五人もの兵士達が死んで行きました。

 身も魂も陛下に捧げて永遠の安らかな眠りであります。

 また中には絶叫する兵士達もありました。

「死は残念だぞ!

 だが死んでも護国の鬼となって

 外敵を打たずに済ますものか」と

 苦痛を忘れて死んでいったのです。


 あるいは突然「天皇陛下万歳!」と叫ぶので

 慌てて患者に近寄りますと、

 そのまま息が絶えていた兵士達もありました。


 しかも誰一人として

 故郷の親や兄弟や妻子のことを叫んで

 逝ったものはありません。


 恐らく腹の中では飛び立つほどに

 故郷の空が懐かしかったでありましょう。

 ただそれを口にしなかっただけと思われます。

 故郷の人達は、彼の凱旋を、

 どんなにか指折り数えて待っていたことでありましょう。


 悲しみと感激の中に、私はただ夢中で激務に耐えて居ります。

 数時間の休養は厳しいまでに命ぜられるのでありますが、

 ゆきの頭脳にはこうした悲壮な光景が

 深く深く焼きついていて、

 寝ては夢、醒めては幻に見て、

 片時たりとも心の落ちつく暇がありません。


 昨日、人の嘆きは今日の我が身に振りかかる世のならい

 とか申しまして、

 我が身たりとも、何時如何なる針のような油断からでも

 病魔に斃されてしまうかも解らないのであります。


 しかしゆきは厳格なお父様の教育を受けた娘であります。

 決して死の刹那に直面しても

 見苦しい光景などは残さない覚悟で居ります。


 多くの兵士達の示して呉れた

 勇ましい教訓通りにやってのける決心であります。

 決してお嘆きになってはいけませぬ。


 男子が御国のために名誉の戦死をしたと

 同様であると呉れ呉れも思し召して下さい。」


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