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2020年11月 4日 (水)

文明の衝突

ある米国黒人が言ったそうです。
「俺たちの祖先は人じゃない。奴隷だ」

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この言葉には、たいへん大きな意味があります。
「人ではなかった」というのです。

アメリカには二種類の被征服民が存在します。
ひとつは、みなさまご存知の通り、黒人たちです。
彼らは、奴隷となることで、人種を保持し、つなげました。
ただし、現在米国にいる黒人の方々は、肌の色が黒くても、ほぼ100%白人との混血種です。

もうひとつは、アメリカインデアンたちです。
アメリカインデアンたちは、白人の奴隷となることを断固拒否しました。
そして戦いました。
その結果、彼らは、死滅させられました。
彼らは、もともと北米大陸に800万人の人口があったと伝えられています。
けれどいま、北米大陸に現存するインデアン種は、たったの35万人です。
そして全員、白人との混血種です。

文明の衝突という言葉があります。
平成8年(1996)に出版された、米国の政治学者サミュエル・ハンチィントンの著書のタイトルで有名になった言葉ですが、この本の衝撃は、あまりに強いものでした。
それは、異なる二つの文明が衝突したとき、それは「どちらか一方が消滅するまで戦いが続く」ことを意味するものだったからです。


戦いの結果は、どちらかの文明が完全に滅びてなくなるまで続きます。
そして滅びる側のは、文明も種もなくなるか、世界秩序の中で劣位・・・つまり下位に置かれる(奴隷化する)ことで文明が滅んで種だけが生き残るか、そのどちらかの選択しかないというわけです。

上の例でいえば、文明も種も滅んでなくなったのが、アメリカインデアン。
文明が滅び、言語も失われたけれど、種だけが混血して生き残ったのが米黒人種ということになります。

他にもあります。
かつて南米には、スペイン、ポルトガルがやってきました。
そしてアルゼンチンやウルグアイは、完全に白人だけの国家になりました。
そこには先住民の文明も、種も、痕跡さえなくなっています。
そこでは先住民族たちが、ほぼ完ぺきに抹殺されたのです。

同じ南米でも、エクアドルやペルー、ボリビアなどには、原住民系の顔立ちの人たちが数多くいます。
けれど彼らは、支配階級が白人の純血種、そして先住民系の人たちは貧困な被支配層となっています。
そして、100%白人種との混血です。
そして先住民たちが、かつてもっていた文明は、言語習俗習慣さえ、完全に消えてなくっています。

このことは現代においても、わたしたちの目の前で繰り広げられています。
中共漢族によるチベット、ウイグル、女真族に対する民族浄化と称する混血の推進と文明と血の消去がそれです。

これが文明の衝突です。
文明の衝突は、片方が完全に絶滅するまで続けられるのです。

日本は、もともと多文化共生を目指す社会です。
東亜のはずれにある島国の日本には、かつて様々な種がやってきました。
有色人種もいたし、白人種もやってきました。
けれど、そうした様々な人種や文明が、日本という国でひとつに溶け合い、融合し、それぞれの良いところを活かしあって、日の本にひとつになり、日本というひとつ屋根の下に暮らす家族となって、新たな文明を長期間に渡って築いてきたのが日本であり、日本文明です。
日本は多神教国ですが、それは同時に多文化共生国であることをも意味しています。

その日本に、かつて、異文化排除をもらたす征服民族の脅威がやってきました。
日本は、多文化共生社会と種を維持するために、国内の大改革を成し遂げ、むしろ積極的に彼らの文明文化を取り入れ、学び、努力して彼らと「対等な国」つくりを行いました。

その最初の出来事が7世紀の大化の改新でした。
Chinaに新たにできた軍事国家「唐」の大帝国の脅威の前に、彼らの文明を積極的に取り入れ、学び、国内の大改革を実現したのです。

その大改革によって構築された体制は、約千年続きました。
途中に、政権は貴族政権、武家政権と様々に変化しましたが、その基本となる統治体制は、ずっとそのまま保持されました。

ところが19世紀に、欧米列強の脅威がやってきたとき、日本は、二回目の大改革の必要に迫られました。
文明の衝突に勝ち抜き、日本の文化文明と種を保持するため、むしろ積極的にその脅威の根源となっている欧米の文化を学び、取り入れ、彼らと対等な国家の構築を図りました。
明治維新です。

明治維新のはじまりは、嘉永6年(1853)の黒船来航である・・・と、このことは、誰もが同じ認識であろうと思います。
学会においても、そういう認識です。

けれど、「では明治維新のゴールはいつなのか」という点に関しては、学会においても諸説あります。
明治政府の樹立をゴールとするもの、大日本帝国憲法制定をゴールとするもの、明治44年の条約改正をゴールとするもの等、さまざまです。

明治維新を、内政という面で見るならば、なるほどそのような見方ができようかと思います。
ただ、明治維新を日本文明と西欧文明の「文明の衝突への応答」とみるならば、実は、まだその衝突状態は続いているともいえるのではないかと思います。

なぜなら、日本が不平等条約を解消して、欧米諸国と完全に対等な独立国となり得たのは、嘉永6年の黒船来航以降、実は、たった3年間しかなかったからです。

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