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2020年11月 8日 (日)

オトポール事件

オトポール事件というのは、昭和13(1938)年3月にモンゴルと満州の国境付近にあるオトポール駅で、旅費も食事も防寒服も満足になく凍死寸前の状況にあったユダヤ難民を保護し、彼等の命を救った事件です。

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3月の北満州といえば、まだまだたいへんに寒い時期です。

ドイツや周辺諸国を逃げ出したそのユダヤ人たちは着の身着のままの姿でした。


そんな彼等の入国を、当時の満州国政府は拒否しました。

理由は、ナチス・ドイツへの遠慮です。

実はこれは、満州国に限らず、当時の世界中の諸国がユダヤ人の入国を拒否していたのです。


そんな彼等を救ったのが当時ハルビンで関東軍特務機関長だった樋口季一郎少将でした。

樋口少将は、次のように述べました。

「わずかな荷物と小額の旅費だけで野営しながらオトポール駅に屯ろしているユダヤ人を、もし満州国が入国拒否するなら、ユダヤ難民の進退は極めて重大である。しかるに『五族協和』をモットーとする、『万民安居楽業』を呼号する満州国の態度は不可思議千万である。」


そして友人で南満州鉄道の総裁の松岡洋右に連絡を取り、満鉄の救援列車の出動を命じてもらいました。


こうして「臨時の」救出列車は、ハルピンと満州里駅を13回往復し、オトポール駅に集まっていたユダヤ人全員を救出しました。

このとき救出されたユダヤ人の数は、一説によれば二万人、そのユダヤ人の方々が、満州のハルピンで歓迎を受け、そこから上海などを経由して米国へと疎開していきました。

これが、オトポール事件の概略です。


ただ、この事件に関し、二万人ではなく二千人程度だったのではないかとか、あるいはこの救出事件自体がなかった、などという説が、一部の左翼系の学者等を中心に出されています。
理由は、当時この事件が、新聞等のメディアでまったく報道されていないことによります。

ただ、この事件に関して、ドイツのリッべントロップ外相が、オットー駐日大使を通じて次のような抗議文を送っています。
「今や日独の国交はいよいよ親善を加え、両民族の握手提携、日に濃厚を加えつつあることは欣快とするところである。然るに聞くところによれば、ハルビンにおいて日本陸軍の某少将が、ドイツの国策を批判し誹謗しつつありと。もし然りとすれば日独国交に及ぼす影響少なからんと信ず。請う。速やかに善処ありたし。」
つまり、オトポールの救出は「あった」ということです。

では、なぜ、日頃記録を正確に付けることが得意な日本人が、被救出者の名前や人数を正確に記録していないのでしょうか。
なぜ、報道機関は、この事件をまったく報道しなかったのでしょうか。
実は、このオトポール事件について、ユダヤ人たちを救った樋口少将の奥様でさえ、夫がこのような善行を施していたことをまったく知らなかったのです。
それはなぜでしょうか。

理由があるのです。
当時日本は、ドイツとの間で「日独防共協定」を結んでいました。
そしてドイツはこれを拡大解釈して、ユダヤ人も防共の対象としていました。
ドイツにとって、ユダヤ人殲滅は、これは国策であったのです。
ひとつの政策を断固実施しようとするとき、これに逆らうものは断固排除する。
それが当時のナチス・ドイツの政治です。
つまり日本がユダヤ人に手を貸せば、これは「日独両国の政治的外交問題になる」ということです。

これに対し、当時の樋口少将が採った行動は、このユダヤ難民への対処を、
「政治上の問題」ではなく、
「人道上の問題」にしたことです。

樋口少将が関東軍司令部に送った書簡です。
「私の行為は決して間違っていない。法治国家として当然のことをしたまでである。
満州国は日本の属国ではない。ましてドイツの属国でもない。たとえユダヤ民族抹殺がドイツの国策であったとしても、人道に反するドイツの処置に屈するわけにはいかない。」

そしてこれ受けた当時関東軍の参謀総長だった東條英機(後に首相)は、樋口の救出に全責任を持つことを請け合ったのです。
「たとえどんなに相手が強くても、弱い者いじめは許さない」

こうなるとドイツは分が悪いのです。
政治問題化させればさせるほど、むしろ日本側に世界の同情が集まる。
だからドイツも黙りました。

そして難民に対しては、日本は、彼等の移動のための列車を用意しただけではなく、彼等の宿泊所、着替え、食事を提供し、さらに親戚をたどって上海や米国に逃れたいという希望者には旅費まで面倒を見ているわけです。
当然、そのためには、ひとりひとりの名前等についても正確に記録されたであろうけれど、すべてそれらは水面下の出来事とし、一切の公開はしませんでした。

手柄を誇れば、我欲になります。
そしてそれだけではなく、それは政治上の問題になります。
けれど、どこまでも人道のために行っただけであって、相手が誰かさえも、人数さえも「わからない」としておけば、政治問題にできないのです。

簡単な理屈です。
「日本がユダヤ人を助けたのは許せない」
「はい。誰を助けたのですか?それはなんという人なのですか?人数は何人ですか?」
情報がなければ、政治上の問題にできないのです。

樋口季一郎の行為について、アブラハム・カウフマンの息子のテオドル・カウフマンは、著作の中で「樋口は世界で最も公正な人物の一人で、ユダヤ人にとって真の友人である」と書いています。
そしていま、米国で活躍する多くのユダヤ系の人達の祖父母、曾祖父母たちは、こうして日本人、樋口季一郎と松岡洋右、東條英機らによって助けられた人達なのです。

日本は、歴史の真実を知れば知るほど、日本人の凄み、祖先たちの勁さを知ることができます。
どこかの国が、歴史の真実を知れば知るほど、恥ずかしくて正視できなくなって、もう歴史を捏造するしかないのとは大違いです。
そんな日本を、わたしたちはもっともっと学んでいきたいと思います。


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