百人一首

2016年10月25日 (火)

百人一首 九十番歌 殷富門院大輔 ミセバヤ

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百人一首の90番歌に、殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)の歌があります。

見せばやな
雄島の海人の袖だにも
濡れにぞ濡れし色は変はらず

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この歌は、古来解釈がむつかしいとされてきた歌です。
「見せばやな」は、「ばや」は願望、「な」は詠嘆の終助詞で「見せたいものだ」
「雄島の海人の」の「雄島」は、宮城県松島にある島のこと、「海人」は漁師、
「袖だにも」は、袖でさえも
「濡れにぞ濡れし」は、同じ語を繰り返して強調する語法、
「色は変はらず」は、漁師の袖の色は変わらないという意味で、「~だにも」の文脈で「私の袖の色が血の涙で変わった」ことを表わします。

このまま通しで現代語訳しますと、
 見せてあげたいものですわ
 雄島の漁師の
 袖でさえ
 海水で濡れに濡れていますが
 色は変わりません
となります。

ここから一般的に流布している現代版の解釈は、「袖が濡れる」ということは、涙を拭いて袖が濡れるということなのですけれど、「海水に濡れた袖の布地の色さえ色が変わらない」というのだから、それは「きっと血涙に相違なく」、殷富門院大輔は、恋に破れて目の下から袖まで、血で真っ赤に染めているのだとしています。
様子を想像してみると、なにやらホラーみたいです。

***

 八十九番 式子内親王
 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば
 忍ぶることの弱りもぞする

まさに、玉の緒の歌です。
そして「ミセバヤ」も、別名が「玉の緒」です。

式子内親王の歌は、「ずっと平和な世を願ってきましたが、世の中が一向に変わらない。もう、耐え忍ぶことにも疲れ果ててしまいましたわ」といった意味の歌です。

そして続く90番の殷富門院大輔の歌は、その「玉の緒が次々と切り離されて三途の川の渡し人の袖まで濡れているであろうくらいなのに、世の中はちっともかわっていないではありませんか。殷富門院さまのおつらい御心をみなさまにも見せてあげたいくらいですわ」と詠んでいるわけです。

殷富門院さまにせよ、それに仕える大輔にせよ、あるいは式子内親王にせよ、ご皇族であり、そのご皇族のスーパー・アシスタントであるわけです。
ご皇族は、権力を必要とする政治には直接は関わりません。
日本における天皇や皇族は、権力よりも上位の権威というお立場です。
その権威が、「たから」としているのが、民衆です。
その民衆の生命が、政治権力の闘争によって、次々と奪われている。
そのことについて、政治家力者に成り代わって天皇やご皇族の方々が、政治権力を行使したら、我が国のカタチは支那と同じ皇帝陛下が絶対権力を持ち、王も貴族も民衆も、すべてを支配し隷属化するウシハク体制となってしまいます。

お立場上、それができないからこそ、式子内親王は、「もう耐える力も弱り果ててしまいそうです」と詠まれているわけですし、大輔は、斎宮であられた殷富門院様に代わって「世の中が変わっていませんわ」と詠まれているわけです。

89番の式子内親王の歌と、90番の殷富門院大輔の歌は、つまり、表裏の関係にある歌として、ここに並んでいるのです。
(と、実は、上に述べた塾で、H氏から、その指摘をいただき、思わず膝を打った次第です)。

殷富門院大輔の、他の歌をご紹介します。
いずれも、世の中の平和を求めるお心が、胸を打つ名作ばかりです。

花もまたわかれん春は思ひ出でよ
 咲き散るたびの心づくしを

桜の花もまた枝と別れる春は、思い出が咲いては
散るたびに悲しみ悩むことと同じなのね

うき世をもなぐさめながらいかなれば
 物悲しかる秋の夜の月

どうしたらこの世を慰めれるのか。
それを思うと秋の夜の月さえも物悲しく思えます。

虫のねのよわりはてぬる庭のおもに
 荻の枯葉の音ぞのこれる

虫の声がすっかり弱くなった冬の庭には、
荻の枯葉の風に鳴る音ばかりが残ります。

かはりゆく気色を見ても生ける身の 
 命をあだに思ひけるかな

人の心がかわっていく様子を見るにつけ、自分の
命など、どうでも良いのかと思ってしまいますわ。

死なばやと思ふさへこそはかなけれ 
人のつらさは此の世のみかは

死んでしまいたいと思うことさえ虚しく思えます。
人の辛さはこの世だけのことなのかしら。

それにしても、百人一首って、ほんとうに素晴らしいですね。

***

ねず先生の百人一首を、ねずブロで読み始めた時は、百人一首が恋の歌という解釈ばかりではない、ということに、どうしてもすんなりと納得できませんでした。

式子内親王の89番歌も、絶対に藤原定家との秘密の恋を詠んだ歌だと思っていました。
(お二人には特別な絆はあったのですから)

だけど、今回のミセバヤ、玉の緒、雄島の海人、の神解説で、長年の胸のつかえがすっきりとした感じで、ようやくわかりました。

ねず先生の解説にお付き合いして三年。
百人一首は恋のみを詠んだものではなかったのですね♪

500年続いた貴族社会が音を立てて崩れていく、平家に呑み込まれ、悲劇の運命に翻弄されてしまう天皇様や内親王様や皇子様。

そういう全てを、この89番歌、90番歌のお二方の悲痛な叫びの和歌をもって、定家は
日本人の心の源が消えないように、美しい時代が忘れさられないように、後世の私たちに百人一首という形で託したのだ、とやっとわかりました。

ねず先生のお陰で、千年の時を超えて、やっと封印がとけ始めました♪

だけど、恋の歌のままにしておかないと困る先祖をお持ちの方は、このような解説を信じないかもしれません。
それはそれで良いのだと思います。

青葉慈蔵尊を、毎年お参りする方々もいれば
その真実を葬りさりたい方もいらっしゃいます。
そして、真実を語るものを妨害します。
通州事件とかは、良い例ではないでしょうか?

歴史というものは、真実に光をあてれば、嘘で塗り固めた側に、都合が悪いのです。

そんな風に、最近思えてきました。

それにしてもミセバヤという、こんな綺麗なお花があったなんて、しかも玉の緒という別名まであるなんて、とっても素敵なことですね(╹◡╹)

2016年5月26日 (木)

今日は古典塾で清少納言です(^_^)v

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【清少納言と枕草子
2013年04月23日08:24 】

届けてくださった使いの人は、すっごいおっかない顔をして、「早く参上せよ」なんて言ってたのだけど、そのあとに、まじめくさって、
「じゃが、この紙はあまり上等ではなさそうじゃ。延命を祈るお経も書けそうもないようだが・・・」なんて、言うものだから、思わず吹き出しちゃった。

ほんとうはね、そんなんじゃないの。
前にあたしが中宮様に、「気が滅入っているときは、紙を見ていると気もちが晴れます」って言ったのを、中宮さまがちゃんと覚えていて下さっのよね。
それで紙を贈ってくださったんだわ。
だから、ほんとは、紙の質がどうのこうのなんてどうでもいいことなの。

でもね、言った本人が忘れていたようなことまでちゃんと覚えていてもらえるのって、うれしいくない?
相手が普通の人でもうれしいのに、ましてその方が、中宮さまってなったら、そりゃー感動だわ。

でね、あたし、ドキドキしちゃって、中宮様に、
「紙(神)のおかげで、あたし、鶴みたいに千年も長生きしそうです!」って歌を書いたの。

で、使いの人に、「この歌を中宮様にお渡しになるとき、私が、あまりに大げさでございましょうが、と言っていたって申し上げてくださいね」ってお願いした。

そのあと、使いの人にに青い綾織りの単衣をあげたりして、大騒ぎしちゃった。
そしたら、なんだか気持ちが晴れてきちゃって。
あたしったら、さっきまでへこんでたはずなのに、もうはしゃいでる。
人の心って、おもしろいわね。


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このときの歌が、

 かけまくも
 かしこき かみの しるしには
 鶴のよはひと なりぬべきかな

とても上品で、格調高いですね。
ほかにも、面白いのが、たとえば第25段。

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憎らしいもの

お部屋にこっそり忍んで来る恋人を、犬が見つけて吠えるのって、すっごい憎ったらしくない?
あとね、ようやく密かに忍んで来てくれたのはうれしいんだけど、みんなが寝静まってお屋敷がシーンと静まり返っているのに、大いびきをかきながら寝ちゃうヤツ。
もぉ、絶対、まわりにバレバレじゃん><

それから、きっとバシッと決めようと思ってのことなのだろうけど、大袈裟な長い烏帽子(えぼし)をかぶって忍んできてさ、慌てているのか、烏帽子が何かに突き当たり大きな音を立てるヤツ。
なにそれ〜って思っちゃう。

あとね、簾(すだれ)をくぐるときに、不注意で頭をぶつけて、「イテテテ!」って、大声をあげるような男って、絶対、無神経!。

それからさ、夜、忍んでくるときに、戸を開けるなら、少し持ち上げれば音などしないのにさ、ヘタすれば軽い障子でさえガタガタ鳴らす男もいて、そーいうのって、なんかにくったらしいわ。
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第26段 胸がときめくもの

髪を洗ってね、きれいにお化粧して、お香をよくたき込んで染み込ませた着物を着たときって、心の中は晴れやかな気持がして素敵。
別に見てくれる人がいなくてもいいんだ^^
男を待っている夜は、雨音や風で戸が音を立てるだけでも、ハッと心がときめく。


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第27段 過ぎ去った昔が恋しいもの

もらった時に心に沁みた手紙を、雨の日などで何もすることがない日に探し出したとき。
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こうした、いかにも女性らしい感受性の豊かなエピソードが、323話もぎっしり詰まっていて、躍動感ある大人の女性の感受性が活き活きと描かれているわけです。
実に、ほがらかで、感性豊かで、明るく楽しい。
これが平安中期の、世界最古の女流随筆でもあるわけです。


***

今日は、ねずさんの古典塾の日なので、清少納言のおさらいをしてみました。

定子様とのやり取りをみていると、今だって
女子校に通ってる女子や、宝塚大好き女子には、痛いほど理解できる感性です。

上に抜き出したところは、どんな女性にも当てはまるでしょう?

心はクルクルと上がったり下がったりするものだし。

落ち込んでいる時に、オシャレしてお出かけしたり、アロマテラピーを楽しんだり、綺麗なものを見つけたりして、気分を華やいだものにしたりするのも、同じ。

無神経な男に腹を立てるし。

清少納言の感性は、私にドンピシャでとても共感を覚えます。


そんな傷つきやすい繊細な感性の清少納言に
二股かけてた藤原行成さん。。

【補助線一本で解ける謎
2015年07月24日】
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そんなわけで、当時の一級の知識人である藤原行成は、清少納言を訪ねて、四方山話に花を咲かせていたのですが、この会話があまりにも楽しい。
ついつい彼は清少納言のもとで、すっかり時間を忘れて会話を重ねてしまったであろうことは、容易に察することができます。

ふと気がついたら、もう夜も遅い時間です。
すぐにでも別の彼女のところへ行かねばなりません。
そこで、「宮中で弔事があるので」などと、いい加減なことを言って清少納言のもとを去るわけです。

そして朝になって、彼は清少納言のご機嫌を伺う手紙を届けさせました。
ところが彼は、手紙に「ニワトリの声に促されて帰ってしまいましたが......」と書いてしまったのです。

彼が清少納言のもとを去ったのは、前の日の夜です。夜にニワトリは鳴きません。
別の女性のもとを去ったのが、明け方、ニワトリが鳴く早朝だったのです。


ここの解説は、とても興味深いです。

楽しみです(^_^)v

今夜の古典塾には
定子様や清少納言、行成さんも参加してると思いますよ、
それぞれの思いに寄り添って、みんなが納得!!
できる講義でありますように💝

2016年4月 4日 (月)

桜の満開の頃♪

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 花の色はうつりにけりないたづらに
 わが身世にふるながめせしまに

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  淡き光立つ 俄雨(ニワカアメ)
  いとし面影(オモカゲ)の沈丁花(ジンチョウゲ)
  溢るる涙の蕾(ツボミ)から
  ひとつ ひとつ香り始める
  それは それは 空を越えて
  やがて やがて 迎えに来る
  春よ 遠き春よ 瞼(マブタ)閉じればそこに
  愛をくれし君の なつかしき声がする


  君に預けし 我が心は
  今でも返事を待っています
   どれほど月日が流れても
  ずっと ずっと待っています
  それは それは 明日を越えて
  いつか いつか きっと届く
  春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき
  夢をくれし君の 眼差(マナザ)しが肩を抱く


  夢よ 浅き夢よ 私はここにいます
  君を想いながら ひとり歩いています
  流るる雨のごとく 流るる花のごとく


  春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに
  愛をくれし君の なつかしき声がする

  春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき
  夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く

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***

もしかして、小野小町が現代に生まれ変わっていたら
こんな歌をプレゼントしてくれたかもしれませんね(^-^)

百人一首と、今を結びつける歌を見つけるのも楽しいですね✨✨

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2016年3月 8日 (火)

和泉式部

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あらさらむ この世のほかの 思い出に

いまひとたびの 逢ふこともがな

もうじき私はこの世から去りますが、あの世への思い出に、もう一度あの人に逢いたいのです。

***
この歌を詠んだ和泉式部は、日記文学の代表作『和泉式部日記』でも有名な女性です。
和漢の詩歌に通じ平安時代を代表する女流歌人であった彼女が、晩年、「自らの死を前にして詠んだ」のがこの歌です。


この歌は『後拾遺集』(七六三)に掲載されていますが、詞書には「心地例ならず侍りける頃、ひとのもとにつかはしける」と記されています。
病に侵され、あと数日の命と知ったとき、彼女は自らの思いを歌に詠み、親しい人にこの歌を送っているわけです。
逢いたい相手が誰なのか定かではありません。
仏門に帰依した身としては不謹慎とも思える歌ですが、彼女は人生の思いのすべてを、この一首に託したのです。


いかでわれ この世のほかの 思ひ出に

風をいとはで 花をながめむ

西行


心もて この世のほかを 通しとて

岩屋の奥の 雪を見ぬかな

藤原定家

いかに和泉式部が天才歌人だったかということ、たった三十一文字の短い言葉のなかに、一人の女性の壮大な人生ドラマと、その時代背景までをも詠むことができるということ、そして彼女が今も私たちの心の中に生きていることを、藤原公任の「名こそ流れてなほ聞こえけれ」の歌と並べることで、定家は伝えたかったのだと思います。


『ねずさんの日本の心で読み解く「百人一首」: 千年の時を超えて明かされる真実』
より引用
s.ameblo.jp/inukayh777/entry-12136955172.html

☆☆☆
『「妻をひとりにしておいてあげよう」と、しばらく家を空けて実家に帰ってしまいます。
それは夫の妻を思いやるやさしさでした。
けれどそのことが和泉式部には、夫に見捨てられてしまったように感じられてしまいます。

そこで和泉式部は、縁結びの神様として有名な貴船神社にお参りに行きます。
その参拝の帰りに、和泉式部が詠んだ歌があります。

 もの思へば 沢の蛍も 我が身より
 あくがれいづる 魂かとぞみる

この歌には和泉式部の詞書があります。そこには次のように書いてあります。

 男に忘られて侍りける頃、
 貴船にまゐりて、
 御手洗川にほたるの
 飛び侍りけるを見て詠める

和泉式部は、夫のおもいやりを、自分が夫に忘れられたと思えてしまったのです。
だから貴船神社にお参りをしました。
その帰り道、暗くなった神社の麓に流れる御手洗川に、たくさんのホタルが飛んでいる姿を見て、自分の魂も、もうこの肉体から離れて(死んで)あのホタルとなって、何も考えずに自由に飛び回りたい、そんな歌です。

ところがこの歌を詠んだとき、和泉式部の頭の中に、貴船の神様の声がこだまします。
その声を、和泉式部は歌にして書き留めています。

 奥山に たぎりておつる 滝つ瀬の
 たまちるばかり 物な思ひそ

貴船神社の御神体は、神社の奥にある滝です。
その滝が「たぎり落ちる」ように魂が散る、つまり毎日、多くの人がお亡くなりになっています。
要約すると神様の声は、次のようになります。

 貴船神社の奥にある山で、
 たぎり落ちている滝の瀬のように、
 おまえは魂が散ることばかりを思っておるのか?
 人は、いつかは死ぬものじゃ。
 毎日、滝のように多くの人が
 様々な事由で亡くなっていることをお前も存じておろう。
 人は生きれば、いずれは死ぬのじゃ。
 おまえはまだ生きている。
 生きているじゃないか。
 生きていればこそ、ものも思えるのじゃ。
 なのになぜお前は魂の散ることばかりを思うのじゃ。

和泉式部は、夫のとの間にできた男の子が元服したのを機会に、そのやさしい夫である藤原保昌から逃げるように、夫に無断で、尼寺に入ってしまいます。
彼女はそのとき、すでに四十七〜八歳となっていたようです(正確な年齢はわからない)。
寺の性空上人は、和泉式部が髪をまるめたとき、自分が着ていた墨染めの袈裟衣を和泉式部に渡してくれました。そして、
「この墨染の衣のように、すべてを墨に流して御仏にすがりなさい」と仰しゃいました。
彼女も、その衣を着ることで、現世の欲望を絶ち、仏僧として余生を過ごそうと決意しました。

ところが、出家して間もないころ、彼女は不治の病に倒れてしまうのです。
医師の見立てでは、あと二〜三日の命ということでした。
そうと知った彼女は、病の床で、最後の歌を詠みました。
それが冒頭の、

 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
 いまひとたびの 逢ふこともがな

です。彼女はその歌を、親しい友に託しました。
人生の最後に、和泉式部が「もう一度逢いたい、そのあたたかな胸に抱かれたい」と詠んだ相手が誰だったのかはわかりません。

彼女は亡くなりました。
和泉式部は生前にたくさんの歌を遺しました。
彼女の歌で、特に秀逸とされるのは哀傷歌といって、為尊親王がお亡くなりになったときに、その悲嘆の気持ちを詠んだ歌の数々とされています。

けれど小倉百人一首の選者の藤原定家は、和泉式部を代表する歌として、彼女の晩年の最後のこの歌を選びました。
歌に使われる文字は、たったの31文字です。
そして、その歌にある表面上の意味は、たんに「もう一度逢いしたい」というものです。
けれど、そのたった31文字の短い言葉の後ろに、ひとりの女性の生きた時代と、その人生の広大なドラマがあります。
人の生きた証が、そこに込められているのです。』
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**

和泉式部が最後に逢いたかった人は誰だったのだろう、ずーっと考えてきました。

上のねずさんの「和泉式部まとめ」的なブログを読んで、やっと謎が解けました。

やはり、和泉式部の中に
イサナミから始まる日本女性としての美徳が受け継がれなければ、私たちに共感をもたらすことは、できません。

弟橘媛や豊玉姫、民さん、いろいろな感動する女性の愛の美徳の共通点を考えれば、和泉式部の逢いたかった人がわかります。

不幸な結婚に終止符を打って、愛に生き、たくさんの哀しみと喜びを和歌に託す人生を送った和泉式部。

最後に愛した夫の保昌とは、心のすれ違いで、その溝は埋まることなく出家されたのだと私は思います。

死ぬ間際、逢いたかった人は保昌としか考えられませんね。

和泉式部の非凡で悲しい人生は、ご神命であったのでしょう。

うかれ女と言われても、式部の愛は純粋だったのです。

平凡で、ありきたりの幸せの中で生きる私たちに、
愛することの素晴らしさ、悲しさを、そして全身全霊で愛と向き合って生きた人生を、現代に生きる私たちに、静かに語りかけてくれるます。
心の中にこの和歌を育むかぎり
和泉式部は愛というものを、惜しみなく教えてくれるのではないでしょうか。

本当に素敵ですね💖

2016年3月 6日 (日)

百人一首五十五番歌 大納言公任(966〜1041)

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滝の音は 絶えて久しく なりぬれど

名こそ流れて なほ聞こえけれ

今はもう枯れてしまった滝だけれど、滝の音色の素晴らしさは、今も世間に流れて聞こえています。

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五十三番から六十二番まで女流歌人の歌が続くのですが、なぜか五十五番にだけ、男性の歌が入っています。
そういう点にも注目して歌を詠んでいくと、配列に隠された、ある意図を見出すことができます。


『拾遺集』の詞書には、「大覚寺に人々あまたまかりたりけるに、古き滝を詠み侍りける」とあります。


このお寺に人々が集まったときに、大納言であった藤原公任が、「今はもう枯れて水のなくなった滝」を詠んだのがこの歌です。


昔の人は「人は神様になるために生まれてくる」と信じ、「この世は心と魂を浄化し鍛えるための場」と考えていました。
この世に生を受け、「まこと」を尽くして生きることで心魂を鍛え、あちらの世に還っていくのです。
肉体は滅んでも魂は永遠という考え方です。

そして人の死には二つあります。
ひとつは肉体の死、もう一つは人々の記憶から消えてしまう死です。
人々の記憶の中に生きることは、立派な生のひとつだと考えられていました。
だからこそ、枯れた滝を見て「名こそ流れてなほ聞こえけれ」と詠んでいるのです。
たとえ肉体は滅んでも、その人(個)は人々(集)の心の中に生きているという思想がここにあります。
それが、大納言公任の歌の真意なのです。


『ねずさんの日本の心で読み解く「百人一首」: 千年の時を超えて明かされる真実』
より引用


この部分は、最近私がはまっている矢作先生の著書と同じ価値観で解説されていました。

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この中の、「おかげさまで生きる」の21ページに書かれてあります。

『古来、日本人は生と死を同一視していました。
一万年を超える歴史を持ち、この世とあの世を精神レベルで自在につなぐことができた日本人は、死は単なる肉体死であり、魂は永遠の存在であると知っていたからです。
自分たちが大いなる存在に生かされている事実を知り、大自然と融合して生きることが最も大切だと知っていたのです。
だからこそ、そうした霊性の高さを失いつつある現在の状況はこまったものです。』

また、「見守られて生きる」の12ページには
『魂についてのお話は冒頭の通りですが、私たち人間という存在は「霊・心・体」の三つのバランスで構成されています。
ここでいうところの霊とは「たま」であり、これを魂と簡単に理解していただいても構いません。
こういう話はピンと来る人もいれば、いつまで話してもわからない人までさまざまですから、私自身は論争を仕掛けるつもりも受けるつもりもありません。
自分が実感していることを述べるだけです。
それでも申し上げたいこと、それは霊(魂)・心・体という構造があるとかないとかいうレベルの議論を、そろそろやめたほうが良いということです。
科学万能主義である現在の世界では、そんなものがあるわけないという意見が大半を占めています。
しかし今の科学で証明できないものを、ないと主張する行為はいかがなものでしょうか。
長年刷り込まれた「意識の壁」を乗り越える時期に、私たちはそろそろ差し掛かっているのではないでしょうか。』

矢作先生の著書を読んで、ねずブロ、ねずさんの著書、ねずさんの百人一首、ねずさんの古事記と
全く同じスタンスである事が、私には感動でした!!

この部分が理解できない方には、日本古来の死生観、文学、日本人としての心の在り方、武士道とか、全ての価値観を理解することができないのだと思います。


ここに根ざした「ねずさんの古事記」の発売が楽しみです(^_^)v

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こちらの動画も、「魂・心・体」についてわかりやすい説明でしたので、ご紹介します(^_^)v

2015年10月 3日 (土)

和歌を読み解く鍵を持てたら、どんなに素敵なことでしょう♡

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昨日と今日、2日続けて百人一首の解説だったので、とても嬉しかったです(^-^)

どこにもない解説を、時代背景と時代的思想を考慮されて、もうそれしかない!!
という感動の解説をされる、ねず先生の解説です。

『殷富門院大輔とドアの鍵
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百人一首の90番に殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)の歌があります。

 見せばやな 
 雄島の海人の袖だにも
 濡れにぞ濡れし色は変はらず

実は、百人一首の本を書くときに、いちばん苦労したのが、この殷富門院大輔の歌です。
といいますのは、一般にはこの歌は、「恋のつらさから血の涙で染まった袖を詠んだ歌」だとされているわけです。
ところが、歌をみたらわかりますが「色はかわらず」です。
つまり「袖の色は変わっていない」と詠んでいるのです。
殷富門院大輔は何を伝えようとしたのでしょうか。』

『皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)
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 難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ
 身を尽くしてや恋ひわたるべき
(なにはえのあしのかりねのひとよゆゑ みをつくしてやこひわたるへき)

百人一首八十八番の皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)の歌です。
表面上に書かれた歌の意味を現代語訳したら「難波江に生える葦の刈り根の一節のような、そんな短い一夜の契りであっても、私は身を尽くして恋い続けるのでしょうか」となります。
だからこの歌は、「一夜限りの恋のはかなさを詠んだ歌です」と紹介している本等が多いです。(というか、そればかりです。)

しかし昨日の記事の殷富門院大輔の歌で述べさせていただきましたように、和歌というのは、例えてみれば「ドア」です。
「ドア」の向こうに、素晴らしい世界が広がっているのです。
古い言葉で書かれているから、それを字義通りに現代語訳してわかったような気になるのは、「ドア」だけを見て、部屋の中にある宝を見たような気になっているようなものです。』

上にご紹介した二つのブログについて、Facebookフレンドの國語問題協議會常任理事のY先生が、素晴らしいコメントを寄せて下さいましたので、ご紹介いたします。

『みそひともじ(31文字)の秘密。
日本人が言葉で意思を伝える時、究極の美意識が遺憾無く発揮された形が、和歌ですね。
言外に隠され、臥された真実を察する事も出来ない程度の教養では、超一流の器を持った人物とは認められなかった時代は、日本は日本らしい道を歩めていました。
それが、字面だけを、まるで一語一意の翻訳文のように浅い解釈しかしなくなった時に、日本らしい格調の高さ、矜持が失われ国体も崩れ去って仕舞ったのです。
歌の鍵を開けようと救いの手を差し伸べて下さる、ねずさんがいて、良かった。
開かずの間の鍵の存在を示唆して下さる事で、日本人もはっと気付いて謙虚になれます。
日本人としての自覚が沸き上がってきます。
なぜ31文字なのか、自ら考えずにはいられません。
有り難う御座います。』

素晴らしいですね♪
\(^o^)/

☆☆☆☆

和歌には、その時々のTPOがありますから、これだけしかない!!
という決めつけではなくて、自分の心が感じるままに解釈して、今を生きる道標になればいいのではないかな、、、
と思います。

ねず先生は、日本人の心を取り戻し、日本再生の道標となるための大いなるメッセージを、百人一首から受け取られたのでしょう。

それは、何か大きなうねりを引き起こす原動力になるに違いありませんね。

私は、そんなだいそれたことは考えておりません。
ですから私には、「恋の歌」としての扉の鍵しか持ち合わせていません。

一夜限りの契りであったとしても、大切な思い出として心の中でずっと恋続ける想いとして、皇嘉門院別当様の和歌をイメージします♡

それは、それで良いのよ、
と皇嘉門院別当様は、微笑んでくださると思いますから(^_^)v

2015年10月 1日 (木)

中秋の名月とスーパームーン

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今日から10月となりました。
果物の美味しい季節になりましたね♪

皆様は、9月27日の中秋の名月、28日のスーパームーンはご覧になりましたか?

私は、しっかりと西郷公園までお月見に行きました(^_^)v

上の写真は、ねず先生がアップされた中秋の名月です♪
何やら幻想的で、古事記の時代にタイムスリップしそうな感じがしませんか?

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そしてこちらも、翌日のスーパームーンをねず先生がアップされました。

すると。。。

プロ意識に目覚めた日心会の田沼会長が、カメラ片手に車を走らせて撮られた写真が
こちらです( ̄ー ̄)

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さすがです!!

どうしてもお月様だけをクローズアップしている方が多い中、お月様の光は抑え気味にして、緑の濃淡で美しい映像に仕上げて下さいました💕💕

こんな素敵なお写真の風景に私も入りたいな♪
この景色に合う和歌ってないかしら〜と想像しても、思いつかないでいると。。。

ほんの僅かの間に

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こちらの79番歌を、挿入歌として加工してねず先生がアップして下さいました。

みんな感激しちゃって大変でした(⌒-⌒; )

凄い!!!
百人一首が、素晴らしい効果を生むのですね✨✨

そして意味として

「藤原顕輔が崇徳院に送った歌です。
名月ともいえる崇徳院様は、今は雲間にお隠れになられていますが、秋風にたなびく雲の切れ間から、 月の光が鮮明に照らすように、院様の御徳は世の中を照らしておりますよ、といった意味の歌になります。

もっと言ったら、いまは不遇だけれど、あなたの御徳は地上を照らしています、

厳しいこと、つらいことがあっても、清い心を失わなければ、その心はきっと世の中を照らす光となります、って感じです。

ブルームーンは願いが叶うっていうより、そういう清い心を失わなければ、きっとあなたの願いは叶いますよってことなのかもしれませんね^^」

とコメントされていました。

!!!!

さらに深い感動が込み上げてきました(T_T)

ねず先生流解説は、選者、時代、いろいろ、ある中で
そのTPOにあった和歌から感じとれる解説をされていることが特徴ですね。
ご自身の感性の豊かさで、いとも簡単に文字にされるのですから凄いですね〜
天才かも、、、って思っています(^-^)

いつか百人一首の全部に、たぬさんに写真を撮っていただいて
ねず先生の解説付きで、ポストカードが出来るといいな〜😊💕💕
とワクワクしたブルームーンの夜でした🌕

2015年8月 7日 (金)

小名木善行先生解説☆小野小町とやんごとなき君

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森田春代画「月華」(小野小町)

上にあるのは、森田春代さんの描いた小野小町です。
森田春代さんは、海外で活躍されている日本画家で、きもの美人を描いた豪華絢爛な作風は、いまや世界中で大人気なのだそうです。
絵に筆字で歌が書かれています。

 うつつには さもこそあらめ
 夢にさへ 人めをもると 見るがわびしさ

小野小町の歌です。
森田春代さんは、この絵に、この歌を配置されました。
絵には背景にまっすぐな竹が配置され、遠目に高貴なお方を象徴するような欄干が描かれています。
願いが叶うと呼ばれている満月、そして月夜の晩です。
よく考えられた、歌にとてもマッチした絵だと思います。

けれど、一般にはこの歌は「夢の中でまで人目を避けて逢うなんて、なんてさみしいことでしょう」と嘆いているとか、あるいは「現実でも夢の中でも人目を避けなければ逢えない寂しさ」を詠んだ歌だとかと解釈されています。
嘆きや寂しさを詠んだ歌だといのです。
この美しい絵と、嘆きや寂しさでは、なんだかそぐわないような感じがします。

ところが歌を音読してみるとわかりますが、この歌からは嘆きや哀切感は感じられません。
むしろ透明感や可憐さや美しさを、ことばから感じます。
まさに絵のイメージとぴったりの感じを、歌そのものから私達は感じ取ることができます。
そして、だからこそこの歌は千年の時を超えて人々から愛され続けているのだと思います。

では、歌の本当の意味は、どのような意味なのでしょうか。

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***

日頃からお慕いしていた男性です。
でも、本当にそんな男性が目の前に現れたら、きっと私はあまりの嬉しさに顔をあげてその男性のお顔を見ることさえできないでしょうと詠んでいます。
夢の中でさえも、顔をあげて正面から見ることができない相手なのです。
そんな人とリアルで会ったら、それこそ真っ赤になってうつむくばかりで、声も出せない。見ることもできない。
だからこそ、そんな自分を「わびしさに」と詠んでいるのではないでしょうか。

冒頭の一般の解釈では、人目を避けてリアルに逢う、もしくはリアルに逢えない寂しさを詠んだとしています。
けれど、私にはそのような歌にはどうしても思えないのです。
むしろこの歌は、大好きな人だけど、夢の中でさえ想いがつのって恥ずかしくて顔をあげてその人の姿やお顔を見ることさえできないでいるのに、リアルに逢ったら、それこそ、どうしましょう、どうしたらいいの?となってしまう。
そんな高ぶる感情を詠んだ歌に思えるのです。

 うつつには   現実には
 さもこそあらめ さすがにそうなってしまいますわ
 夢にさへ    夢の中でさえ
 人めをもると  人目を避けて
 見るがわびしさ 顔を上げて見ることもできない、そんなわびしさ

夢にまで見た憧れの君です。
夢の中でさえ、恥ずかしくって、
正面からお顔をみることさえできないのに、
現実にお逢いするなんて、
あまりにも恥ずかしすぎてお顔さえ見れない。
それでとってもわびしくてもったいないことですのに。

そんなニュアンスの歌なのではないでしょうか。

******

私は、こちらの和歌の解説で 小町の境遇が少しわかったような気がします。 小町のもとに、忍び込んできたやんごとなき方。

きっと小町が大好きな方だったのでしょう。 「やんごとなき方」だし、人目をしのばなければいけない方だったのですね。。

  気軽に逢うことは、叶わない。 だけど、小町はこの方のことがいつも頭から離れず、せめて夢の中でお逢いしたいのだけど、夢の中ですら大好き過ぎて、お顔を見るとこさえ恥ずかしい。

絶世の美女だけど、浮いた恋はできない一途な方だったのでしょうね。

そして、そういう手の届かない恋ではなく その後、文屋康秀さんとの堅実な愛を受け入れて 「あなたについていきます!」  

わびぬれば 身を浮草の 根を絶えて 

  誘う水あらば いなむとぞ思ふ

だけど、康秀さんには おいてけぼりにされてしまいました。

憧れた大好きな方との恋、幼馴染で心を許していた方との堅実な恋、 この二つとも、女性としての平凡な幸せを手に入れることは叶いませんでした。

古事記からもわかるように昔の人の方が、愛、性に物凄く真剣だったように感じます。

なぜなら、特に女性は 花の時間はあっという間でしたから。

30歳になれば、年増(⌒-⌒; ) 。。

それを考えると、和泉式部は類稀なる色気と美貌とご縁もお持ちの方だったのでしょうね〜。

30歳を過ぎてから、四人目の方と結婚までされて、そして子どもまで産まれたのですから驚異です!(◎_◎;)

アンチエイジングが発達していなかった平安の女性は、その短い花の間に 凝縮した愛を生きたし、その後は、その愛の時代を愛おしみながら暮らしたのではないかと思います。

《小町の恋歌》

思ひつつ寝ればや人の見えつらむゆめとしりせばさめざらましを 

うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき 

いとせめて恋しき時はむば玉のよるの衣を返してぞきる 

おろかなる涙ぞ袖に玉はなす我はせきあへずたぎつ瀬なれば 

秋の夜も名のみなりけりあふといへば事ぞともなくあけぬるものを 

うつつにはさもこそあらめ夢にさへ人目をよくと見るがわびしさ 

限りなき思ひのままに夜もこむ夢路をさへに人はとがめじ 

夢路にはあしもやすめず通へどもうつつに一目見しごとはあらず 

絶世の美女だった小町さんは、つれない女性だったと紹介されていることがあります。

恋してお慕いする方以外には見向きもせず、二度も悲しい失恋をされても乙女のままの心を失わなかった、素敵な女性だったのです。

ますます小町ファンになってしまいました heart01

ameblo.jp/inukayh777/entry-12052823758.html

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美しかったスーパームーン。 小町さんにプレゼントします(^_^)v

2015年7月15日 (水)

やまと新聞の百人一首収録

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昨日は、やまと新聞社さんのスタジオで
ねずさんの百人一首収録がありました♪

今回の収録は、25番歌から10首の解説の収録だと思って準備して行かれたそうなのですが、
なんと14番歌から24番歌の収録だったようです。

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現場で急きょ資料をパラパラと確認されています。


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はい。
あっという間に、準備完了です(^_^)v

今回の和歌は、私の大好きなものばかりでした。
ねずさんの解説は、とてもわかりやすく楽しいですから長編で動画アップされることを希望します♪
だけど、お忙しいですから無理でしょうね〜💦

『さて、次の22番歌は、文屋康秀(ふんやのやすひで)です。
文屋康秀は、小野小町の彼氏としても有名な人です。
彼は三河に赴任が決まったときに、小町に、一緒に三河に行かないかと誘っています。
そのときに小町が答えて詠んだ歌は、
 わびぬれば 身を浮草の 根を絶えて 
 誘う水あらば いなむとぞ思ふ
というのです。
浮き草のように私の根を断ち切ってあなたが誘い流してくれるなら、私はあなたについて行きますわ、つまり小町は康秀に、「私、あなたに付いていきます」と答えているのです。
こう返された文屋康秀は、結局、小町を連れず、単身で三河に赴任しました。
小町は、「一緒に行く」と言ってくれたのです。
康秀は、涙が出るほど嬉しかったにちがいありません。
けれど、なんでも揃っている都会暮らしと異なり、草深い田舎の三河の暮らしは、愛する小町にとって、きっと難儀な暮らしになる。
康秀は、三河に行ったときの小町の難儀を思い、黙って三河に旅立ちました。いい男じゃないですか。』

昨日も、22番歌の解説はこのようにお話しされていたねずさんです。

だけど、女性から見たら理解不能な「お別れ」なんですってば〜💦💦
「いい男」じゃないんですけど。
もう小町さんボロボロですよ。
だってこういう場合、男性は田舎で健康で若くてそこそこ綺麗な人と結婚して幸せな家庭を作ってしまうんですよね。
康秀さんも例外ではなく、この後しっかり幸せな結婚をされてるのです。

小町さんは、どうだったでしょうか?

この康秀さんの和歌に出会うと、いつもそんな思いで胸がいっぱいになってしまいます。

それだけに、この22番歌のねずさん流解説は、強烈なインパクトとなって記憶に残るものの一つです。

動画アップが楽しみです(^_^)v

2015年5月18日 (月)

男の価値

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本日配信のねずマグは「男の価値」というお題で、謙徳公の和歌の解説でした。

【百人一首に謙徳公の歌があります。

 あはれともいふべき人は思ほえで
  身のいたずらになりぬべきかな

私は父からこの歌について、「謙徳というのは、つましくて徳の高いことだ。この歌は、そういう徳の高い人であっても、いざという時に不退転の決意を示すことが大事であることを詠んだ歌だ」と教わりました。】


不退転といえば、トンボですね。

【ウィキより抜粋

縁起
トンボは勝ち虫とよばれ縁起物であり、前にしか進まず退かないところから、「不転退(退くに転ぜず、決して退却をしない)」の精神を表すものとして、特に武士に喜ばれた。戦国時代には兜や鎧、箙(えびら)刀の鍔(つば)などの武具、陣羽織や印籠の装飾に用いられた。トンボを勝ち虫とする由来は雄略天皇が狩に出かけた際に詠んだ歌が元になっている。素早く飛び回り害虫を捕食し、前進するのみで後退しない攻撃的な姿からともいわれる。徳川四天王の一人本多忠勝は蜻蛉切(とんぼぎり)とよばれる長さ2丈(約6m)におよぶという長槍を愛用した。名前の由来は蜻蛉が穂先に止まった途端に真っ二つに切れてしまったという逸話にちなんでいる。】


そして私が今朝Facebookで目にした、家康とお勝ちのお話がすぐに思い浮かびました。


【晩年の徳川家康がめっちゃ可愛がったのがこの女性

家康にはたっくさんの側室がいましたが、特に寵愛を集めました

お勝は1578年に生まれました
江戸城を作ったといわれている太田道灌の流れをくむ家に生まれ、「お八」という名前でした

幼い頃から賢く、美少女だったそうです

が、お父さんが早く死んでしまい、貧乏生活を送ることになってしまいました

どこで家康と知り合ったのかはわかりませんが、13歳の時に家康の側室となっています

ですがまだ幼かったため、家康もさすがに自分のようなじーさんの相手は気の毒に思ったのか、家臣の松平正綱と結婚させました

ケド、なぜかお八は家康のもとへ戻ってきたのです
これには色んな諸説があり、お八が正綱を嫌がったのか?それとも、お八があまりにも美しく成長したため家康が惜しくなったのか?などなど

とにかく、家康のところに再度召しだされ名前を「お梶」と改めました

でもって、お梶が22歳の時、天下分け目の関ヶ原の合戦が始まります

この時お梶は大阪城に捕らえられていたのですが、うまく城を抜け出し、家康のいる関ヶ原へやってきたのです
で、関ヶ原の合戦は家康の勝利

家康はたいそう喜んで、「お前がきたから勝ったんじゃ!!これからは名をお勝としよう!」と、またもネーミング変更

家康は縁起をかつぎ、大阪の陣にもお勝を連れて行きました
数多い側室の中で、合戦にまでついていったのはお勝だけであります

そんなお勝にはこのような逸話が

ある日家康が家臣たちと「食べ物の中で何が一番おいしいか?」という話をしていました
みんながわいのわいの話していると、お勝が「塩でございましょう」と答えました

なぜか?と理由を尋ねると「どんな料理でも、塩が入っていなければおいしくないでしょう?」と答えました

家康は「では、次に一番まずいものはなんであろう?」とたずねました
するとお勝
「それも塩でございましょう。塩は入れすぎるとものすごく辛いですからね」

家康は「う~ん。そなたは賢いな」と、とても感心したそうです

そんなお勝は、家康との間に市姫という娘を産みました
ちなみにこの市姫は、家康にとって最後の子供となります

が、市姫が4歳の時に死んでしまいました
お勝はものすごーーーーーく悲しみました
かわいそうになった家康は、ほかの側室が生んだ息子をお勝の養子にしてあげます
この子がのちに御三家の一人となる徳川頼房であります

こうしてお勝は晩年の家康の寵愛を一身に受けました

家康が亡くなると、お勝は髪を下ろし英勝院と称しました
そして幸せな老後を過ごしたといわれています

お勝は63歳の時に病気になり死去します
そして養子の頼房の計らいで、鎌倉の英勝寺に手厚く葬られたのでした】
http://hagakurecafe.gozaru.jp/zyosei74okatu.html

今日偶然にも配信された謙徳公のお話と、家康とお勝ちのお話は、こんな感じで私の頭の中で一つのメッセージとして繋がりました(^_^)v


【この歌は、伊尹がまだ若い頃、女性を口説くために詠んだ歌です。
何を言っているのかといえば、「黙って俺についてくることが、おまえにとっての幸せなのだ」というのです。
普通、女性を口説くのに、なかなかそんなセリフは言えるものではありません。
けれど、それをサラリと言ってのけた。
日頃、つつましくておとなしくさえみえる男が、いざというときに、まさに本気の男を見せたのが、実はこの歌なのです。

男の値打ちというのは、地位の上下や財力の有無でなどではありません。
一旦緩急あるときに、本気を出せるかどうか。
それが「男の値打ち」です。】ねずマグ「男の価値」より引用

きっと家康も謙徳公も、本気を出せる値打ちのある男たちだったということですね♪

仕事にも恋にも本気を出すのが「男の価値」ということです(^_^)v

みなさんは、いかがですか?

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