日本人の死生観

2015年11月26日 (木)

黄泉の国と根の堅洲国

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youtu.be/mGmzCOcvGFM

【第34話 肉体が消えても、魂は残る 〜根の堅洲国の真意とは?〜】

今回のCGSの動画は、私のお気に入りになりました♪

ねず先生の新説のオンパレードですから、まだまだ理解できておりません。

神谷さんも、理解されてらっしゃらないようで
「根の堅洲国で、志半ばで諦めてしまった魂は、黄泉の国に行くのですね?」
とお話されています。

そうでしょうか。。

魂は黄泉の国に、行かなかったような。。

「切腹と命と魂」の中で、ねず先生は、はっきりと書かれています。
nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2750.html

《そして、日本では古くから、魂と命は別物と考えられてきました。
命は肉体がなくなれば、一緒に滅びます。
けれど魂は、再び輪廻転生してこの地上に舞い戻るか、あるいは魂魄となってこの世に留まり、国の守り神となると考えられていました。

こういう話は記紀の時代からすでにあって、天上界は高天原、この地上は葦原中つ国、そして地下世界(死者の世界)は、なぜか黄泉の国と根の堅州国の2つがあるのは、みなさまご存知のとおりです。
このうち、黄泉の国は、死者の肉体と命が行くところですので、いちど足を踏み入れたら、もう帰ってこれません。
一方、根の堅州国は、魂の国ですから、行ったり来たりが可能です。
ですから大國主は、根の堅州国のスサノオのもとに行き、そこから葦原中つ国に帰還しています。》

《切腹には、
責任を果たせなかったからという意味と
命がなくなっても、魂魄となって、なお戦うという、
実は2つの意味があるのです。

そういう日本人の死生観が、「命と魂が同じもの」と思っている外国人には理解できない。
だから「狂気」という説明しかできなかったし、戦後サヨクも、その路線を引きずったから、多くの生粋の日本人からみたら「?」としか言いようのない、おかしな解釈になってしまっているし、日本人の感覚からしたら、どうにも腑に落ちないから、多くの人が、とりあえず「考えないでおこう」と、意味の解釈を保留にしているです。

私は、宗教家ではありませんし、カルト的なことにはまったく不案内ですし、宗教のことは全くわかりません。
ただ、先日も伊勢神宮、熱田神宮、近江神宮、明治神宮等に参拝させていただき、神様の御存在は、まちがいなく「ある」と感じています。

◆ご参考→nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2623.html

そして、古くからの日本人が、命と魂を別物と考えていたということも、百人一首の研究や、記紀の研究等を通じて、学ばせていただきました。
命が失われることは、目に見えることですが、魂の永続性は、目に見えるものではありません。
ですからわからない世界です。

けれど目に見えないから存在しないというのなら、空気は存在しないことになる。
ウイルスや細菌や放射能も存在しないことになります。

何かある。

そういう「何かある」という自分自身の感覚は、自分自身の体験ですから疑いようがありません。
そして何万年も続く、古くからの日本人という血脈のなかで蓄積された古代の知恵というものは、それなりに尊重すべきものだと思うのです。》

私は、黄泉の国とは地獄なのでは?と漠然と思っていました。
地下世界は死者の国ですが、それは悪いことをした魂がいくところであるとずーっと思っていました。

それは仏教の思想が常識になっているからかもしれません。
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tobifudo.jp/newmon/betusekai/6dou.html

私は、今まで⬆︎のようにしか考えたことがありませんでした(⌒-⌒; )

でも、古事記って
仏教が渡来する以前の古代の日本の神話ですから、仏教的な感覚では想像できないことがたくさんあるのかもしれません。

仏教的な感覚で古事記を読めば
黄泉の国も根の堅洲国も地獄という事になってしまいます。

日本を作って下さったイザナミの命が、なぜ黄泉の国に行かなくてはいけないの?
何か罪でも犯したの?

という疑問にぶち当たるし

イザナギの命が、黄泉の国の穢れを祓う禊の中で生まれて来たのが、日本の最高神のアマテラス様だというのはいったい???

このように考えてしまうから、今まで考えないようにしてきたのだとわかりました。

ねず先生の新説古事記で、この仏教的な古事記解釈から、納得の神話に生まれ変わる事を楽しみにしております。

新しい素晴らしい時代の幕開けとなるような予感です(^_^)v


2015年7月 7日 (火)

日本人の太古の昔からの「結」と「絆」

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nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2692.html#more

《ふたつ目は、「魂」です。
日本では太古の昔から、肉体に宿る命には、その命と糸で結ばれた魂が宿ると考えられてきました。
これは仏教伝来以前からある、日本の古くからの考え方です。

肉体が滅びれば、命はなくなります。
けれどそのとき、魂は肉体を離れて神々のおいでになる天上界に行くか、あるいは死者の国に行くか、あるいはまた、別な人間となって転生します。
その糸が「絆」であり、糸と糸を結ぶことが「結い」です。
ですから絆や結は、肉体と肉体の結びつきではなくて、魂の結びつきです。

お天道さまが見ていないところで悪さをすれば、その魂が穢れます。
穢れれば、せっかく良いことをしてきても、来世で悲惨な人生を歩まねばなりません。
人は神になるために生まれてきたのであり、その神になりそこねたのみか、来世でいまよりもっと悲惨な人生が待っているのです。
だから「乞食したって、この魂だけは穢さない。」
それが日本人の生き方であり、生き様でした。》

《冒頭に、蓮の花の写真を掲示させてたいだきました。 季節の花ですけれど、蓮は、水上に美しい花を咲かせます。 けれど茎は、水の中を通り、根は、泥の中にあります。 この世で生きるということは、泥の中であえぐようなものです。 けれど、その泥があるから、蓮は茎を水中に伸ばすことができ、水面に美しい花を咲かせることができます。 水上の花が天上界、根が蓮根(レンコン)で、レンコンは穴があいていて、そこに空気を通すからかろうじて呼吸ができますが、これが根の堅州国、スサノオさんの国です。そして泥が黄泉の国。 人間界は、そんな蓮根と蓮の花をつなぐ橋渡し役の茎といわれます。 あるいは泥の中を這いずりまわる男が根、美しく咲く女性が花かもしれません。 おもしろいのは、花も根も茎も、実はそれらは全体として一体になっていることです。 根が腐れば蓮は立ち枯れます。 花が咲かなければ、交合ができず、蓮は滅んでしまいます。 実に不思議なことです。 すべてを尊重することで、はじめて一体となるのですから。 花には花の、根には根の役割があります。 それを守って生きるのが、分限(ぶんげん)とか分(ぶ)というものでした。 日本て、奥が深いと思います^^》

私の気に入ったところを抜き出して見ました。

日本古来からある教えは、仏教伝来前からあって 魂とか輪廻転生とかの概念があったとは驚きです。

そもそも古事記そのものが、このような不思議なことを記している聖書と並ぶ、もしかしたら世界最古の「教え」なのかもしれません。

何しろ国産み、いえいえ地球誕生からのことを記しているのかもしれないのですから、驚きです!

ねずブロって、とても精神的なのだけど、ねずさんご自身は渡来系仏教の宗教団体や、新興宗教団体とは無縁な方ですよね〜(⌒-⌒; )

何故か? 私が感じるところでは、一つの団体とかに収まるような器ではなく、次から次にコンタクトされてくる方々や団体とも、気軽に仲良くなって協力関係を築き、全てを自分の学びの場としているようだからです。

そのような性質だからこそ固定観念に囚われずに、目からウロコのねずブロを毎日発信し続けることができるのではないでしょうか。

これからも、太古の昔からある日本の教えを取り戻すべく ねずブロの更新をお願いいたします♡ Image_2

2015年3月16日 (月)

小名木善行先生の☆小桜姫物語から

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『人は蓮(ハス)の花だと言った人がいました。
蓮は、水面に美しい花を咲かせます。
けれど、根っこは水中のドロドロした泥の中にあります。その根っこがレンコンです。
そして、水面の美しい花と、地中のレンコンは、一本の細い茎でつながっています。

昔の人は、人間をそんな蓮の姿に例えたそうです。
レンコンは、肉体です。その肉体は世間という泥の中にあります。
けれど、精神は蓮の花です。水面にあって美しい花を咲かせることができます。
その肉体と精神は、一本の細い糸(茎)でつながっています。

精神は、どんどん浄化させていくことができます。
けれどそのためには、泥の中にあって、その泥から栄養分をどんどん吸収しなければなりません。
泥の中だけで一生を終えるか、心の花を咲かせるか。
それは、その人自身の選択です。

根がなければ、花は咲きません。
けれど根が、泥の中で我欲に走れば、根腐れを起こします。
そうなれば花は咲きません。

生きるって、とってもむつかしいことですけれど、でも生きているから花を咲かせることができます。』

この小桜姫物語は、私の興味のある世界についてのお話です。

前世とか輪廻転生とか、私には信じたい気持ちはあっても、どこか疑ってしまうような世界です。

だけど不思議な事は本当にあって、ねずさんのブログを毎日読んでいると必ずたまに体験します。

この小桜姫の物語の中に出てくるハスの花が、昨日からやたらと気になっていました。
すると、今日友人がこんな素敵な歌を私に紹介してくれました(^-^)

youtu.be/qfhdmX-Ccpw

人生の贈り物

歌:岩崎宏美 作詞:楊姫銀 作曲:さだまさし

季節の花がこれほど美しいことに
歳を取るまで少しも気づかなかった
美しく老いてゆくことがどれ程に
難しいかということさえ気づかなかった

もしももう一度だけ若さを くれると言われても
おそらく 私はそっと断るだろう
若き日のときめきや迷いをもう一度
繰り返すなんてそれはもう望むものではない

それが人生の秘密
それが人生の贈り物

季節の花や人の生命の短さに
歳を取るまで少しも気づかなかった
人は憎み諍いそして傷つけて
いつか許し愛し合う日が来るのだろう

そして言葉も要らない友に なってゆくのだろう
迷った分だけ 深く慈しみ
並んで座って沈む夕日を一緒に眺めてくれる
友が居れば 他に望むものはない

それが人生の秘密
それが人生の贈り物

季節の花がこれほど美しいことに
歳を取るまで少しも気づかなかった
私の人生の花が 散ってしまう頃
やっと花は私の心に咲いた

並んで座って沈む夕日を一緒に眺めてくれる
友が居れば 他に望むものはない
他になにも望むものはない
他になにも望むものはない

それが人生の秘密
それが人生の贈り物

♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡
この歌がとっても心に響きました(^-^)

ねずブロは、簡単なようでとっても難しいです。
百人一首の解説も、目からウロコのものばかりで、もうこれしかないでしょう!!
とは思いますが、内容はとても厳しいものです。
千年前の人が、千年後の私たちに何とか残したい!!というメッセージですから、成長途中の私では追いつけないところが多々あります。

だけど、いつも「何でだろう?」と心に留めていると少しずつわかるようなメッセージが、こんな感じで届けられるので嬉しいです。

辛くても、一生懸命生きていれば人生の花が散ってしまう頃、心に花は咲くものなのかもしれませんね。

それが人生の秘密で、それが人生の贈り物。

最後にわかるもの。

それが人生の秘密。

だとしたら、命が終わった時にこの小桜姫の物語が本当のことかどうかもわかるというお楽しみということでしょう。

とっても大切な思い出が、真実であったのか錯覚であったのかということも、いつかわかる時が来るということですね。

「小桜姫物語」と「人生の贈り物、他に望むものはない」
ワンセットにしておこうと思います(^_^)v